前回、前々回に引き続き、

遠藤周作さんの人生論、

自分づくり―それぞれの“私"にある16の方法

の内容を紹介します。

 

今回は、

「三分法の考え方」

を中心に紹介します。

 

いまのぼくたちは、西洋の教育を受けてきたせいか、

物事を二つに分けて考える習慣がある。

いわば、二つの対立した概念で物を考える傾向があります。

 

たとえば、

きれいに対して汚い、

白に対して黒、

善と悪、

ヤセにデブ、

美人にブス

といったように

二つに分けて考える癖があるんじゃないかな。

物事を二つに考えることは、

西洋人の思考法で、

たいへんわかりやすい。

つまり、

これは二分法という考え方です。

しかし、最近、

ぼくはこの二分法に懐疑的になっている。

つまり、

物事を黒か白かと割り切らなくてもいいんじゃないか。

その中間には灰色があるという考え方です。

 

それが「三分法の考え方」です。

 

そこで、

ぼくは二分法でなく、

三分法の生き方みたいなものはないかと考えた。

人生の幸福、不幸を例にとっても、

実際、心の底から不幸だと嘆いている人は

何人いるだろうか。

普通の生活を送っている人の大半は、

半幸福半不幸の状態だと思う。

ぼくを含めて、

あなたたちも完全な幸福ではないでしょう。

が、しかし、それほど徹底して不幸でもないのとちがうかな。

半幸福半不幸な状態が

人生の中では一番多いのではないか。

病気だってそうです。

病気をかかえて生きている人はいくらでもいる。

結構、会社で働いたりしているでしょう。

半健康半病気の状態で、

病気と根気よくつき合って長生きしている人もいる。

不治の病といわれるガンにしても、

まったくこれを撲滅しようという考えはいき詰っているらしい。

そうではなく、

ガンと平和的共存はできないか

という考え方になっている。

 

私も持病があるので、

この発想、勇気づけられます(^^;

 

新型コロナに対しても、

この捉え方は、有効かもしれませんね。


三分法の考え方を身につけると、

人生、楽に生きられるような気がします。

 

ちなみに、

私の好きな氏の言葉、

仕事は「くるたのしい」

(苦しく、かつ楽しいもの)

というのも三分法の発想がありますね。

 

また、近年話題の

ダイバーシティー(多様性)

にもつながると考え方だと思いますが、

この三分法の発想は、
もともと、日本人は持っていたんです。
 
「縁側」というもは、
いわば、半庭で半屋内ともいえます。
自然と家とをうまく融和させるしくみですね。
 
仏教の考え方もそうだといいます。
仏教の考え方は
「善悪不二(ふじ)」といって、
善と悪は決して二つのものではありませんと説明している。
“二つにあらず”という考え方は
二分法的発想では出てこない。
つまり善も限界を超すと悪になるという思想です。
われわれの日常生活の中でも、
他人を傷つけてしまうことがよくある。
氏の小説やエッセーの中でも、
よく、行き過ぎた善意(自己満足)が、
かえって相手を傷つけてしまうというケースがよく出てきます。
 
たとえば、
善意でやっていると信じ込んでいる
熱心な看護師が、
実は患者の尊厳を踏みにじっている場合や、
過保護すぎて、
子供をだめにしてしまう親などがそうですね。
 
三分法の考え方は、
でも、3回にわたり紹介してきました、
「マイナスにもプラスがあり、プラスにもマイナスがある」
ということにもつながります。
 
生活上のマイナスを、どう人生のプラスに転換させるか。
 
遠藤周作氏は、
大病をしましたが、
その経験を小説に生かしたり、
「心あったかな病院」
の活動につなげたりしました。
 
いまぼくは“心あったかな病院”というのを夢見て、
みんなで考えようじゃないか、
といろいろなところで呼びかけているんです。
これは設備の立派な病院という意味ではなく、
たとえば、
注射のときに「痛いからちょっと我慢してくれよ」
と先生が声をかけてくれるとか、
看護婦さんが患者の身になって励ましてくれるような
文字通り“心あったかい病院”のことです。
たしかに、注射のときに、
「チクっとしますよ・・・」
といってもらうだけで、
ずいぶん違います(^^)
 
ぼくは手術を三回受けたけど、
一度目の手術のときは、
麻酔が醒めて、もう痛くて痛くて
「イテーッ」と叫んだり、
ノドがかわいたから、
「水くれー」といったり、
「さすってくれー」
と付添いのおばさんにいっていた。
そのとき、痛み止めの注射をたびたび打ってはいけないからと、
看護婦さんが手を握ってくれた。
そうしたら、
自分の痛みが
向こうに腕を通じてずーっと伝わっていく感じがある。
少なくともこの人は
ぼくの痛みがわかってくれるんだと。
ウッて呻くと向こうもグッと手を握ってくれる。
わかってくれるんだなということがわかった。
それによって随分助かりました。
そのときはじめて、
苦しみというのは必ず孤独感が伴っているのだ
ということがわかった。
その孤独感が
「あなたの辛さがわかっているんだよ」という行為によって、
肉体的な痛みさえ、全部は静まらないけど
非常に緩和されるということが、
そのとき身をもってぼくはわかったんです。
 
私も、カウンセラー、コーチとして、
クライアントの苦しみに寄り添い続ける、
同伴者でありたいと思っています。
 
今回もお読みくださいまして、
有り難うございました。