どちらから読んでも大丈夫に作ってます
小説☆ひきこもり
光が漏れないように、
自分の存在が外に漏れないように
びっちりと閉じられた部屋は、居心地のよさを生み出す。
積み上がったモノ達は時間と共に地層を作り上げ、ベッドと椅子の上の聖域以外は混沌が広がっている。
戦闘音楽をバックに、
キーボードを叩いて技を繰り出す音によって奏でられる効果音だけが響く部屋は、しばらくひとりごと以外の肉声が存在したことがない。
デスクトップのディスプレイの奥には、戦いの場所がある。
存在を許された場所。
ルールが分かりやすい世界で、目的が明確な努力を積み上げていく。
確実に家族の皆が出払っている平日の昼下がり。
いつものように階下に降りてご飯を漁ることにした。
この時間はゲームのイベントも成果を上げにくい。
食事をとるには絶好のタイミングだった。
部屋の外に出ると違和感があった。
やけに掃除が行き渡っている。
清浄さは、「まともに生きればいいのに」と責め立ててきた。
攻める声を潰すようにゲームの攻略で頭を溶かしながら階段を降りる。
トイレに向かおうとするとリビングのドアが開いた。
長い髪の若くて美しい女。
「こんにちは」
脊髄が「逃げろ!」と命令して部屋に閉じこもった。
階段を駆け上がったおかげで心臓が早鐘を打っている。
油断した。
引き込もった当初は家族が家を出る生活音を確認していたのに、ここ最近緩んでいた。
母親か姉か妹がいたのだろう。
誰のつながりで来たかわからないが、客が来ていて気づかないなんて、なんてバカなのか。
存在が見られてしまった。
いてはいけない姿を見られてしまった。
隠さなければ。
染みだらけのスエットに、しばらく風呂に入っていない体は公害以外の何物でもない。
人に会う資格がないように作り上げている体だ。
見られるなんて恥辱だ。
気配は階段を登ってくる。
久しく感じてなかった暗い気持ちが湧き上がってくる。
世間と離れたことでやっと手に入れた安寧の地を奪われてしまう。
やっと落ち着いた心がまたあのときの混乱に戻ってしまう。
気配はドアの前で止まった。
コンコンと軽くノックしてきた。
「こんにちは。
これから数日で居心地悪くなってきますから、落ち着かなくなったら、お風呂に入って湯船に浸かってくださいね」
それだけ言うと階段を降りていった。
狐につままれるというのはこういう気持ちを言うのだろう。
しばらく待ってドアをうっすら開けた。
もしかして、階段を降りていったのはフェイクで、どこかにあの女が隠れていて外にひっぺがそうとしているのではないか、と悪夢に押しつぶされそうになったが、そこには誰もいなかった。
充分に用心して食事をとり、その日の夜はなんともなかったものの、次の日から違和感が出てきた。
落ち着かない。
部屋の外はますますキレイになっている。
インテリアの配置が変わったわけでもない。
大きく何かが変わっているわけではないのに、やけに家中がきらめいている。
トイレのためだけでも部屋の外に出ることがツライ。
結婚式にTシャツと短パンで来てしまっているような違和感が生まれてくる。
「湯船に入れ」という言葉がつきまとってくるので、昼下がりに食事のついでに入ってみることにした。
ここ数年、コンビニへ行くときと、フケと体の油に耐えられなくなったときにカラスの行水程度しか入っていない。
待つことが面倒だったので、湯船の中でシャワーを浴び続けながらお湯を貯めることにした。
この生活をはじめてから、考えるだけで面倒だったはずのに、なんとなくできたことにびっくりする。
自分が思っているよりずっと回復していることをはじめて自覚した。
シャワーが体をあたためていき、湯船の水位が上がってくる。
次第に気持ち悪くなってきた。
息は荒くなり、体からなにかを削がれていく気がする。
体は動けても、熱を上げるだけの体力がなかったらしい。
体温の上昇と共に意識が遠のいていく。
シャワーを止めて、這うように風呂を出た。
脱衣所で意識が落ちた。
「汚い!なにやってるの!」
体を揺さぶられる感覚と鋭い声で重たいまぶたを持ち上げる。
姉が、汚いモノを扱うように立ったまま足裏で肩あたりを無造作に押して揺らしてくる。
「おかーさーん!
おにぃが倒れてるよー」
と別の部屋で妹の声がする。
のぼせた体はまだ重い。
意識がまた落ちそうになったところに母親の顔が迫ってきた。
「部屋から…出たのね…」
両手を顔に当てて泣き出す。
その行為に怒りがわく。
ー自分が、そんな風に「最低な男」であることを思い出させないでくれ。
と叫び出したくなった。
姉が
「お母さん、これ、部屋から出たうちに入るの?
違うでしょ。
ほら、誰も動かせないんだから、早くどいてよ。
私お風呂入りたいの」
なんとか動く体を引きずってリビングへと動く。
パタリと洋服が落ちた。
局部に脱いだ服を置かれていたらしい。
体は少し乾いていたが、髪はまだ濡れている。
そのままソファーに倒れ込んだ。
動けなかった。
そして、家族と顔を合わせたくなくて寄り付かなかったリビングで、久しぶりにテレビを見た。
裸で、バスタオルだけ掛けられて、母親に世話をされた。
ミジメだった。
そして、その日からなにか大きなものが砕けて終わった。
情けない終わり方だった。
数日後、スッキリした部屋で、パソコン画面で就職情報を開いて閉じて開いて閉じてという延々ループを繰り返していると母親に呼ばれた。
あの最高に情けない日から、なんとなくゴミに埋もれている部屋が居心地悪くなって、ゴミをまとめて捨てた。
もともと部屋には物が少なく、ゴミを捨てただけで、部屋はシンプルになった。
部屋が元に戻ってくると、ゲームに入る時間も減った。
ずっとやっていたゲームでやりたいことがなくなり、次に熱中できるものを探していたタイミングだったのだ。
どのゲームをやっても、結局やることは一緒なのか、という思いが自然に湧いてきて、手をつけることが馬鹿らしくなっていた。
そうして、「働くか」となんとなくパソコンで就職サイトを開けるところまではできるようになった。
急激な変化にとまどいながら、変化はそこで止まった。
「おまえみたいなやつ、うちの会社が雇うと思ってるの?」
という声が就職サイトから何度も聞こえてきて、それ以上どうしてもすすめることができなかった。
母親の声に応じながら、窓ガラスに写った自分を見る。
世間的には少ないかもしれないが、2日に1度お風呂に入るようになった。
あののぼせた日から1週間。
自分の体を清潔に保って、母親の声に応じるところまで回復した。
どんなに他人が非難しようと、ここまですんなり動けるようになったことは奇跡だった。
リビングに入ると、あの女が座っていた。
「こんにちは」
不敵ともいえる笑顔を突き刺してくる。
脊髄は、やっぱり「逃げろ!」と言ったが、持ちこたえた。
少し震えていることに気づかれないといい。
そう願いながら、虚勢を張ってソファに座った。
母親はぐしゃぐしゃに泣いていた。
「おかげ…さまで、この通り…なんです」
話が見えなくて困惑する。
「手を出してください」
女は、体をずらして前に出ると、手を絡ませてきた。
「引きこもるの、飽きてたんでしょ。
でなきゃ、こんなに変わるわけない。
惰性で出れなかっただけよね」
女の目の中の自分は、家族の中の自分とも、社会で失敗した世間的な自分とも違っていた。
引き込まれる。
「ダメ男演じるの、疲れたでしょ。
もっといい男になっていいのよ」
女の目の中の自分をもっと見たくなった。
できる男、
勝てる男。
そんな風に見てくれていることを肌で感じた。
誰もその目で見てくれたことはなかった。
それは、いつも自分ではない誰かに向けられる眼差しだった。
女は、ふ、と笑う。
「女に、逆らえないのね」
もともと女性に逆らえない部分があることは知っていたが、男なら誰しも持っているものだと思っていた。
「それは違う」と心から理解したのは、初めての就職で女性ばかりの職場に回されたとき。
「人当たりのいい新入社員だから」として回された部署で、女性の言うことにひとつひとつ従っていたら、仕事が破綻し、精神が破綻した。
「全部まともにとらなくていいんだよ」
「言いたいだけなんだから」
「考えれば分かるだろう」
「そこまでバカじゃないだろう」
「真意を汲んでうまくやれよ」
「あの人達わかりやすいだろう。
前にどうしたらいいか教えたじゃないか。
なぜ、やらないんだ」
相談する男性社員に何度言われたことだろう。
けれど、どうしてもダメだった。
矛盾していると分かっていても、言われること全部を優先することはできないと頭で分かっていても、女性に逆らえない。
怖い。
女性には、
察せない男
最低な男としてレッテルをはられた。
やめるしか選択肢がなかった。
ほかの新入社員が、「ホワイト企業」と喜ぶ横で、自滅した最低な男として会社から逃げた。
そこから外に出れなくなった。
「就職、超こわいでしょ」
図星を刺されて奥歯を食いしばった。
「私とどっちがこわい?」
女はニコニコと笑っている。
リアルの世界で、この問の答えが見つからない。
「あなたに必要なことは、家を出ることよ。
どんなに鍛えても、この家にいる限りあなたは立ち直れない」
母親が顔を上げた。
「この子には無理です!」
それがすべての答えだった。
女の顔が、問いかけてくる。
どうする?
と。
このまま心配される存在で終わるの?
と。
「家を出る覚悟があるなら、私が雇ってあげる。
その女に逆らえない気質、最高に素敵。
来る?」
「行きます」
俺、家守衛は、即答していた。
この女の目の前でなら「男」として生きていけると確信した。
それ以外では無理であることも。
そうして、秘書「家守衛」は生まれた。
人生が本当の意味ではじまった瞬間だった。
☆おわり☆
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