「おまえの仕事は、何もしないことだ」
と父である王は言った。
「与え、認める。
それだけでいい」
ドアを開けてもらうことさえ、
仕事として成立する。
仕事を与え、最高級だと認めてあげること。
それが、役割なのだ、と。
「只人に人は仕えない。
王とは、皆が、認めて欲しいと願わずにはいられない
神
なのだ」
そして、父王は死に、私は女王となった。
大臣は、私に巷で流行っている君主論を覚えさせようとしたが、断固として拒否した。
そんなものは所詮、只人が作ったものだ。
政治も最高級であるかを判断するだけでいい。
最高級であるかは、会議を見ていれば分かる。
本当のことを言ってる人間の顔と、何か含みがあることを言っている人間の顔は違う。
政治を最高のものにしようと思う者に機会を与え、結果を出したものに褒美を与える。
結果を正しく判断する。
裏切ることは、気持ち悪いこと。
最大の喪失感を得ることを思い知らせればいいのだ。
そして、今日も私の治世は安泰に続いている。
ガリオ女王の治世は、今日も安泰だ。
サイヒ大臣は、会議前の資料を整えながら、ため息をつく。
今日報告する結果に女王は満足してくれるだろうか?
サイヒの祖父の時代には、王族の暗殺もあったというのに、ガリオ女王の父王ダジから、ガラリと変わり、威光がよみがえったのは確実だった。
この国は、王というものを正しく認識し、神の輝きを取り戻したのだ。
サイヒをはじめ、国民の全てが「ガリオ女王に尽くしたい」と心の底から思ってしまう。
ガリオ女王は、よく見ている。
「あの人に認められる仕事をしたい」と思ってしまう。
くやしいほどに仕えられる喜びを感じてしまう。
サイヒは、元々ガリオが即位するとき、反対派だった。
ダジ王が取り戻した「神のごとき王の威光」を女王であるガリオが続けられるとは思えなかった。
ただのわがまま王女だと思っていたのだ。
カリスマ性はあったが、政治を勉強する気配もなく、また、混乱の時代に入ると思われた。
それがどうだ。
ダジ王以上にガリオは、敏感だった。
誰がどれだけ誠実で結果を残しているか、その評価する力は父王以上だったのだ。
「おまえは、これで最高だと思っているのか?」
この言葉に何度苦しめられただろう。
そして、それ以上に、
「よくやった」
のひとことにどれだけ喜んだことだろう。
元反対派のサリオでさえ、魅了され夢中になっていた。
ガリオは、ベッドに入って、天蓋を見つめる。
女王の顔を捨て、ただの女となって横になる。
伴侶はまだいない。
父王に「すべての国民の母であれ」
と教えられてきた。
親離れした国民が、次に頼るのは王族なのだ。
守り、認め、生かす。
全ての国民の母である女王を外し、何重にも守られたこの部屋で、ぼんやりとするのがガリオの楽しみだった。
ガリオ女王の治世は安泰だ。
ガリオが、神である限り。
ガリオが女王であることを忘れない限り。