八月十五日 『 終戦 』 |  レッツアイ社長 “探検家” Blog.

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1%の探検家となり、あえて困難で険しい道を選び、探求を楽しむか?
選択は君次第だ。

ミッドウェー、ガダルカナル、サイパン、硫黄島(いおうとう)、沖縄、、、


第二次世界大戦~末期にかけ、日本国軍とアメリカ、イギリスを中心とする連合国軍の戦いはさらに激化。


歴史上極めて厳しい国難に立ち向かうため、数々の将来有望な若者達が戦場へと借り出された。


一億総動員という言葉も当時の新聞を賑わった。


私の亡き祖父も『赤紙』で徴兵され、満州へ。


『 林 一朗君 』と書かれた当日の初戦陣式に使われた旗が今でも田舎に残っており、私はそれを見て、涙せずにはいられなかった。


当時の祖父初め、若者達もこのように徴兵されたのだなと思うに。


1945年、米軍の沖縄本土上陸を阻止するため、全国から鹿児島などの沖縄最近地へ優秀な若者が徴集された。


鹿児島の知覧から、神風、桜花特別攻撃隊などの非常手段的攻撃も軍の上層部により決定、激行へとむかった。


特攻平和記念館には今も、1024名の若き特攻兵の生前の写真が並ぶ。http://p.tl/R13j  凛としたその表情と向き合うと、66年後の今も尚、彼らは大切な何か?を語りかけてくれる。


特攻を目の当たりにした米軍、米兵からは「クレイジー(気が狂った)」という表現が使われた。あれは「クレイジー」だと、、、


「クレイジー」であるわけがない。


彼らは、清く、たくましく、強く、両親を愛し、ふるさとを愛し、日本を愛し、恋人を愛し、奥さんを愛し、子供を愛し、家族を愛した皆心の優しい若者達であった。


そんな若者達が、『 死ぬのが怖くない 』はずがないじゃないですか。


 きっと、生き残りたかったはずです。


 きっと、愛する恋人の顔、愛する子供の顔をみたかったはずです。


 きっと、もう一度ふるさとへ戻りたかったはずです。



靖国で会おう」 彼らは血書の誓いの鉢巻を頭にし、皆でそういい残し、戦散された。


硫黄島の戦い。


1945年2月19日-3月26日にかけて東京都小笠原諸島南端での米軍との戦いで、米軍の作戦名は『デタッチメント作戦(関わらない作戦)』


日本軍の司令官として、栗林忠道陸軍中将。2万933名の日本兵が水ひとつないと言われた硫黄島で米軍を迎え撃った。


当初アメリカはこの作戦は、3日で終わると読んだいた。しかし、実際は35日も日本軍は戦った。いや、戦うことができた。


「本土の女性、子供の命を守らなくては将来の日本はなし。」栗林中将率いる将兵の皆がそう決意し、紛れもなく戦われたという現実。


なぜ、3日で終わると言われたと局部的戦地でその10倍の35日も、日本軍は戦え抜けたのか。


そこに愛する家族、ふるさと、子供達がいたからしかないじゃないですか。


「ここを死守しならければ将来の日本はなし。」そう覚悟され、命がけで守られたからこそ、その気持ちだけで、35日も延戦されたに違いない。


逆に本土からすると。1ヶ月も米軍の上陸を遅らせたことになる。


2万933名の内、硫黄島の戦死率は96%。硫黄島の戦いはノルマンディ上陸作戦と同じくらい厳しい戦いだった。


硫黄島生存者の方はこう言っていた。


ドラム缶にためた50度を超えるような雨水が、まるで『甘露の水』のように美味しかった」と。


硫黄島。


66年も経っているのに、戦死された方々の遺骨がまだ日本本土へまったく帰ってきていないじゃないですか。


一部のボランティアが細々とそのような動きをしているだけで、政府、日本は一体何をしてるのか。


私がここ2年、8月15日のブログには必ず『終戦』を書くといってきましたし、今日も書いています。


もっと言うと、『終戦記念日』ではなく、『終戦』と書いています。


これはなぜか?


それは『記念日』というイベントで終わらせて欲しくないというのがあります。


毎年、毎年日本人なら、この日をしっかり自分で考え、受け止め、勉強し、もっというと66年前の先人達のメッセージを今の日本人が受け取り、これからの日本を考えていく、創って行く。


本当に大切なものは何か?


日本人が忘れたものは何か?


日本人が得たものは何か?


66年前の祖父母、曾祖父母様は間違いなく、8月15日、昭和天皇の肉声による玉音放送でポツダム宣言受諾の旨のラジオを聞いた。すわなち、日本は戦争に降伏したという現実を知った。(※いや、凄く厳密にいうと、ラジオの雑音もあり、ポツダム宣言を受諾したとまで聞ききれた人は少なかったとも言われている。)


自ら、この日くらい考えてみる。そういう日にしたい。誰から強く教えられるわけでもなく、みずからふと『聴いてみる』ような感覚と感性を大切にして欲しい。


そう思います。


あの時の温度を、あの時の空気を、先人達の想いを、少しでも感じたい。


だからこそ、8月15日は記念日ではなく、毎年私達にとっての『終戦』がやってくるんだという気持ちでこの日を迎えたい。


私は真剣にそう想っています。


66年前の若き日本兵の皆様が今の日本を見られたら皆どう思うでしょうか。


何と言ってくれるでしょうか。


「便利になったな。良くなったな。素晴らしい日本になったな。」と言ってくれるでしょうか。


「俺が守りたかった日本はこんな感じさ」と笑顔で笑ってくれるでしょうか。


「日本もアメリカ、中国、世界に誇れる国になったな」と言ってくれるでしょうか。


それとも?



さて、これを書いているとリアルタイムで、あるニュースが伝わってきました。

今年は、『全閣僚が靖国神社を参拝せず。』


あなたはこれをどう感じますか?

正しいと感じますか? 間違っていると感じますか?


一人一人が異なる解釈でもかまわない。


一人一人が少しでも考え抜き、哀悼の意を表し、供養することが大切です。


そして、それは平和であり続ける事の素晴らしさを改めて必ず気付かせてくれることになるのですから。




~今日のヒトコト~

あなたは『 終戦 』を感じたことがありますか。




※注 私はいかなる思想・政治・宗教団体にも入っておりません。