Let's Go Steady――Jポップス黄金時代 ! -8ページ目

Let's Go Steady――Jポップス黄金時代 !

Jポップスの黄金時代は80年代から始まった。

そんな時代を活写した幻の音楽雑誌『MUSIC STEADY』をネットで再現します。

 

既に福岡発のBEAT MUSICの応援サイト「福岡BEAT革命」のFBページでも紹介しているが、井上富雄のアコースティック・ギターの弾き語りによる全国ソロ・ライブ・ツアー『Peaceville spring tour 2025』は始まったばかり。これを機会に是非、同ツアーを皆様に体験していただきたく、アメブロにも告知を兼ね、掲載しておく。多少、加筆などもしているので、こちらも読んでいただければ幸いだ。

 

 

先週、3月15日(土)に井上富雄のこの春の全国ツアー『Peaceville spring tour 2025』が東京・渋谷「ビートカフェ」から始まった。このところ、井上富雄バンドやband HANADAなどのバンド活動、ANZAiFURUTA(安齋肇+古田たかし)、布袋寅泰、麻田浩などのサポート、そして暴動クラブなどのプロデュース……と、八面六臂の活躍ぶりの井上富雄。そんな活動の中でも忘れてはならないのがアコースティックギターを抱えて弾き語るアコースティック・ライブだ。井上は歌と演奏だけで、自ら作った名曲達を披露している。

 

“ツアー初日”の会場「ビートカフェ」は渋谷・道玄坂「O‐EAST」や「duo MUSIC EXCHANGE」などが入る建物の側にある。同所はBLUE TONIC(ブルー・トニック)、TH eROCKERSの(ザ・ロッカーズ)の田中ゲンショウがオーナーを務めている。井上は「ビートカフェ」で度々、アコースティック・ライブを行っているという。

 

小さな店だが、立ち見も出る盛況ぶり。ひといきれで埋まる。“カフェ”とあるが、雰囲気は“バー”だ。小さな“レッドシューズ”という感じだろうか。

 

 

土曜日のため、気持ち早い開演時間の午後5時30分を少し過ぎて、井上富雄がステージに登場。井上はアコースティックギターを手に取り、演奏を始める。セカンドアルバム『AFTER THE DAWN』(2019年)から「Bridge over dawn」を演奏するが、アンプにノイズが発生する。度々、中断するも何とか、歌い切る。2曲目も演奏すると、また、ノイズが発生。今回は原状回復が難しく、スタッフがシールドやエフェクター、アンプなどを調整する。その間、井上は山本コウタローとウィークエンドの「岬めぐり」やバンバンの「『いちご白書』をもう一度」(作詞・作曲は荒井由実)を“カヴァー”。花田裕之の“流れ”か。意外な曲の披露というサービスもあり、会場の観客も得した気分になったはず(!?)。

 

 

アンプのご機嫌も収まり、調整後はノイズもなく、井上も快調に飛ばす。ツアーは始まったばかりなので、セットリストなどは公開しないが、第1部は井上のソロアルバムからお馴染みの曲が披露される。「夏の終わりの白昼夢」や「夜間飛行」(ともにサードアルバム『遠ざかる我が家』2021年)などは、ドノバンやアル・スチュワートを彷彿させる“マジック”がある。改めてソロアーティスト、井上富雄の個性と魅力が浮き彫りにされる。洒落ていて、落ちついた佇まいがありつつ、ちゃんと聞いていないと曲の肝やあやを聞き逃してしまう。ちょっと捻くれている。北九州のビートのベース(基礎)を池畑潤二と作り上げ、その後、早過ぎた渋谷系といわれたバンドを率いただけある。一筋縄ではいかないのだ。

 

 

井上は“いつもなら2部の最後にやるけど、今回は1部の最後にやります”と告げ、第1部を「シーラカンスの憂鬱」(フォースアルバム『Diamond Planet』2023年)で締める、1部は午後6時30分過ぎに終わる。

 

 

 

15分ほどの休憩後、6時45分には第2部が始まるのだが、実はSNSにも“ビートカフェでのライブは二部構成で後半は元ブルー・トニックのドラマー、田中ゲンショウと二人ブルー・トニックでブルー・トニックの曲をたっぷりやります。サブタイトルは「半分、青い。」お楽しみに!”と発表されている通り、井上は田中ゲンショウをともなってステージに登場する。

井上はアコースティックギター、ゲンショウはミニドラム(!?)を演奏する。私が彼のドラムスを叩く姿を見るのはTH eROCKERSの38年ぶりの新録オリジナルアルバム『Rock'n Roll』(2019年)のリリースツアー以来か。気づいたら6年ぶりになる(勿論、田中自身はその間、ホフ・ディランのサポートなど、ライブは行っている)。バーカウンターでビールやカクテルを振舞う姿も様になるが、やはりドラマーとしての颯爽とした佇まい、実際の音も北九州(田中ゲンショウは北九州市)出身者の地が染みつき、血が流れている。実際、彼は池畑に薫陶を受けた。ちなみにこの日、井上は午後2時からリハーサルをしようと思っていたが、田中ゲンショウに3時からにしてくれと言われたそうだ。それは田中が池畑に誘われ、野球の試合に出るため。池畑はその試合で、いきなり二塁打をかっ飛ばしたらしい。

 

 

井上は“ゲンショウの「ビートカフェ」では何回も演奏しているけど、一緒に演奏していないことに気づいた。僕から一緒にセッションをやってみようと声をかけた。初の試み”だそうだ。そういう時機なのだろう。実は、先の2019年のザ・ロッカーズのリリースツアーの全公演に同行している。宣伝マン(!?)として、ライブ速報を彼らのHPなどに掲載している。田中ゲンショウの“復活”に立ち合わないわけにはいかない。これをきっかけに田中ゲンショウの本格的な音楽活動の再開を密かに期待している。

 

 

“半分、青い。”(勿論、朝ドラから取ったものだが、誰もツッコミをいれないことに井上gは不満気!?)の二人で演奏される「I GOD A LOVELY GIRL」」や「Paradise」、「Groovy day」など、ブルー・トニックの名曲の数々がアップデートされる。

 

井上は“ブルー・トニックは23、4歳から28歳までやっていたバンド。頑張って作っていた”と語る。今回、当時の曲を演奏するに際して、構成などの確認のため、改めて聞き直したそうだ。ある曲は最近の風潮に倣い、“時短”のため、早送りしながら聞いたそうだが、勿論、当日の演奏そのものはちゃんと尺通り。ただ、言葉数が多く、いまは活舌が悪くなっているから言葉を詰め込んで歌うのが大変という。あの時代、言葉を詰め込むというのが主流になっていた。思えば佐野元春や桑田佳祐、小沢健二などがその先駆けだろう。そんな彼らの音楽作りに井上は関わっていた。改めて、彼が日本の音楽界に果たした役割りを考えるべきだ。

 

 

ブルー・トニックにはダブルミーニングの歌詞も少なくないという。それに気づく方もあまりいないそうだ。実際、種明かしもされたが、あの曲の“世紀末が待っている”という歌詞にそんな意味があるとは思いもしなかった。

 

 

第2部は午後7時25分には終わる。二人はステージから消える。当然の如く、観客は熱烈にアンコールを求める。その声援と拍手に応え、5分後に二人はステージに戻って来る。井上はソロアルバムからのナンバーを披露した。井上のヴォーカルをゲンショウのドラムスが盛り立てる。元々、バンドメイトなので、相性がいいのは当然。このツアーにところどころで、飛び入りして欲しい、と誰もが思ったはず。井上は“幸先のいいツアーのスタートになりました”と、嬉しそうに語る。

 

 

ゲンショウがステージを去ると、最後に井上はとっておきの曲を歌う。締めに相応しいナンバーだ。その歌は聞くものに深い余韻を残す――。

 

今回のツアーは初めて行く土地や場所も多いらしい。まだ、彼のライブを見たことのない方は駆け付けるべき。改めて、井上富雄の存在の大きさを体感して欲しい。

 

なお、3月22日(土)の会場「cafesaien」の場所は坂祝町。どこ? と思われる方もいるかもしれないが、岐阜県加茂郡坂祝町(さかほぎちょう)である。花田裕之も同店でライブを行っている。そんな曰くのあるところ。ルースターズやband HANADAなど、いまも彼らの友情物語が続いていること、嬉しくなる。

 

 

 

3月15日(土) 渋谷ビートカフェ

3月21日(金) 名古屋バーサンディーズ

3月22(土)日 坂祝町カフェサイエン

3月23(日)日 静岡リビングルーム

3月29日(土) 仙台ディンプルズ

4月4日(金) 横浜ブリクストンマーケット

4月6日(日) 長野ネオンホール

 

INFO/

http://inouetomio.com

 

 

 

PARCO(パルコ)――ある世代にとって青春時代を共に過ごし、劇場やライブハウスもあった同所が発信した流行や文化に影響を受けたという方も少なくないだろう。単なる百貨店ではなく、流行や文化の発信基地的な存在だった。そのPARCO、千葉県船橋市にあった「津田沼PARCO」(1977年7月1日開業)が2023年2月28日に閉店、45年の歴史に幕を下ろしたのを皮切りに、2024年2月29日に埼玉県所沢市にあった「新所沢PARCO」が閉店(1983年6月23日の開業だから約40年の歴史に幕を下ろしたことになる)、さらに本2025年2月28日に長野県松本市中央にあった「松本PARCO」(1984年8月23日開業)が40年の歴史に幕を下ろした。相次ぐ「PARCO」の閉店、時代の潮目が変わったのだろう。松本PARCOの閉店に関して、同店はその理由に郊外店の隆盛、商圏の移動などの影響を上げている。

 

 

経済や流通に明るいわけではないので、詳述は避けるが、松本PARCOでは閉店に際して、様々なイベントやキャンペーン、セレモニーなどが行われた。実はその閉店に先駆け、昨2024年12月23日(月)というクリスマスイブイブに松本PARCOへ行ってきた。閉店セールに駆け込んだわけではない。同日に40年のご愛顧を感謝するフリーライブ『PARCO×ALECX presents GOODBYE PARCO』がPARCOの特設会場で長野県上田市出身のバンド「Os Ossos」と、ドラムスのRONZIとコントラバスのMAKOTOが松本市出身(ヴォーカルのTOSHI-LOWは茨城出身、アコースティックギターのKOKIは和歌山出身、ヴォーカル、ヴァイオリン、アコースティックギターのMARTINはアメリカ・フロリダ州出身、パーカッションのKAKUEIは神奈川出身)という「OAU」(OVERGROUND ACOUSTIC UNDERGROUND)が出演して行われた。

 

今回、「PARCO」とイベントを共催した「ALECX」は長野県松本市にあるライブハウスで、同所には地元のバンドだけでなく、THE BLUE HERB、SOIL&“PIMP”SESSIONS、怒髪天、フラワーカンパニーズ、浅井健一、木暮"shake"武彦、泉谷しげる、T字路s、MO'SOME TONEBENDER 、GLIM SPANKY(ヴォーカルの松尾レミは長野県下伊那郡出身、ギターの亀本寛貴は長野県飯田市出身)……など、全国をサーキットするバンドなども出演している、長野の拠点的ライブハウスだ。

 

 

実は2年前、長野県内で”Sunny”という名でライブ企画を行っているサニーレコードが2023年5月27日(土)に長野県上田市の信州国際音楽村 「パノラマステージ ひびき」で開催した350人限定の音楽祭『Sunny”音楽の村”』に出演するOs Ossosを見るため、長野まで行っている。今回も彼らを“地元”(メンバーはヴォーカルの上原浩樹、ギターの堀内拓也、ベースの櫻井善彦の3人組。長野県上田市出身で東京を拠点に音楽活動をしていたが、2021年から堀内と櫻井は長野に拠点を移し、プライベートスタジオを設立。アレンジ、録音、ミックスなど全てを自ら行う、超マイペースで超DIYな精神で、作品を制作している)で、見たいという思いから松本まで足を伸ばしている。

 

 

長野は“音楽の村”になる!――「Sunny "音楽の村"」信州国際音楽村パノラマステージひびき

https://ameblo.jp/letsgosteady/entry-12807142598.html

 

 

 

BRAHMANのメンバーが全員参加する6人編成のアコースティック・バンド「OAU」は今回の松本で見ると2回目(BRAHMANというか、TOSHI-LOWは“アラバキ”や“フジロック”、京都「磔磔」など、池畑潤二の“Big Beat Carnival”や“ROUTE 17 Rock‘n’Roll ORCHESTRA”絡みで何度も見ている)になる。OAUを最初に見たのは2024年4月29日(月・祝)に福島県いわき市「clubSONIC iwaki」で開催されたSION'S SQUADとの共演ライブ『SHINJUKU LOFT 25TH ANNIVERSARY EXTRA SHOW!! In IWAKI』。2回目が長野県松本市になる。OAUは旅先で見るものという勝手なイメージも沸く。Os Ossosを見に松本へ行き、その旅先でOAUを見る――何か、おつなものを感じた。

 

 

 

新宿から松本までは「特急あずさ」で2時間30分ほど、そう遠いところではない。最近は車で行くことが多かったが、今回は久しぶりに電車利用である。その日、2024年12月23日(月)にJR新宿駅のホームに立つと、♪8時ちょうどのあずさ2号で~という狩人の歌が木霊する(笑)。

 

 

 

先日の「仲野茂バンド」の浜松でのライブリポートで、ヤマハやカワイ、ローランドなど、大手の楽器メーカーが本社を構える静岡県浜松市は“楽器の街”として紹介したが、ギターに限れば長野県だろう。特に松本はギター生産量が日本一である。松本駅の改札を出るとコンコースにショーケースがあり、そこにはエレキギター3本が飾られ、“ギター生産 日本一 松本”というボードも展示されていた。長野県中央部の松本市一帯は寒暖差と乾燥した気候から良質な木材が産出され、古くから木工業が発展。松本市は、フジゲンやモーリスなど、国内産エレキギターやアコースティックギターで名を馳せたメーカーが本社を置いている。ギター工房も多く、松本で生まれたギターを愛用するプロのアーティストも多いそうだ。

 

 

また、松本は「楽都・松本」として知られている。様々なライブやイベントが積極的に開催されている。松本駅のお城口を出ると、その広場に2011年末に建設された「楽都」と書かれた時計台がある。同書はサイトウキネンフェエスティバルの総監督、指揮者の小澤征爾が揮毫したもの。時計台は3面で他の2面は「岳都」と「学都」が同じく書かれている。“岳都”は北アルプスの玄関口としての松本のことで、登山家の田部井淳子、“学都”は学びの都のこと、松本には信州大学の本部がある。その信大医学部出身の医師で、在職中はチェルノブイリ原発事故被災地の医療支援活動に参加、2004年から2020年まで松本市長を4期務めた菅谷昭がそれぞれ揮毫している。

 

 

 

松本「PARCO」は松本駅のお城口から徒歩6分ほどのところ。周りには飲食店や居酒屋、バー、アパレル、雑貨店など、若者向けのお洒落な店舗が立ち並ぶ。仙台や札幌など、地方都市の繁華街にある禍々しさはない。“PARCO”はイタリア語で「公園」や「広場」という意味だが、それは「人々が集い、時間と空間を共有し、楽しんだり寛いだりする場(空間)」だという。同所を訪れる人々に心地良い空間と楽しい時間を提供する――そんなところだろう。同店の入口の前には巨大なクリスマスツリーが飾られ、完全なクリスマスモード。ポールには「ありがとう! 松本PARCO」と書かれた旗がたなびく。そこには40年の感謝と惜別が込められる。別れの時でも笑顔でいたい、楽しい気持ちのまま、お別れしたい。変にウェットでないところは寒暖差と乾燥した気候ゆえのことだろう。

 

 

「松本パルコ」40年の歴史に幕 「これほど深く愛されたパルコはない」

https://www.wwdjapan.com/articles/2051166#:~:text=%E5%96%B6%E6%A5%AD%E5%8A%9B%E3%81%AE%E5%BC%B7%E5%8C%96%E3%82%84,%E3%81%8C%E5%95%8F%E3%82%8F%E3%82%8C%E3%81%A6%E3%81%84%E3%82%8B%E3%80%82

 

 

 

 

 

 

「PARCO×ALECX presents GOODBYE PARCO」が行われるのはPARCO6階の特設会場。フロアの一角にステージを作った即席のライブハウスだ。感謝イベントのため、入場料はドリンク代のみ。ただ、事前にネットで予約し、ドリンク券を購入しなければならない。

 

最初に登場するのは長野県上田市出身の「Os Ossos」(オズ・オッソス)。その前身は「Sentimental Boys」(バンド名はGOING STEADYの同名曲から取られている)で、青春の残像とでもいうべきものを詩情豊かに、そして洗練された音と歌で表現している。彼らの住む上田には真田昌幸が築いた上田城(現在は旧二の丸内が上田城跡公園になっている)がある。一昨年、2023年に同所を訪れた際に真田信繁(真田幸村)にも会っている(!?)。同市の中心部には有名な蕎麦屋も多く、同時に自然素材をふんだんに使用しながらも洗練されたパンを提供するベーカリーもある。世田谷や二子玉川にありそうな若者が集まるカフェやレストランもあった。映画のロケなどにも使用される大正6年(1917年)創業された映画館「上田映劇」もかの地の文化度を上げ、独特の雰囲気を醸す。同所のHPには“近年、ここ上田市は全国有数の「ロケ地」として脚光を浴び、年間200作品以上のロケが行われ、映画のロケも50本を超える「映画の街」として注目されています。平成25年(2013年)には劇団ひとり監督、大泉洋主演による映画『青天の霹靂』の撮影が当館にて行われ、その際、昭和40年代の浅草を忠実に再現した素晴らしいセットがそのまま残されたことで、ロケ地としても有名になりました。今も多くのファンが訪れています。”と紹介されている。

 

 

▲Os Ossos

 

開演時間の午後6時45分を少し過ぎ、この日のステージに登場したOs Ossos。最新作「熱帯楽園」を始め、「歳月」、「揺らめく」「ゆうれい」、「誘われる午後」……など、彼らの現在を凝縮した曲達がセットリストに並ぶ。これまでに増して浮遊感と楽園感が増している。改めて“PARAISO(はらいそ)”という言葉が浮かんだ。『はらいそ』(PARAISO)は、1978年に細野晴臣&イエロー・マジック・バンドとしてリリースされた細野晴臣の4作目のソロアルバム。『トロピカル・ダンディー』、『泰安洋行』に次ぐ、トロピカル三部作の最後を飾るアルバムである。タイトルは、ポルトガル語でパラダイス paradise にあたるパライソ(paraíso)が訛った、キリシタン用語で天国のこと。一昨年、上田に行った際、メンバーと少し離す機会を得たのだが、ほとんどの曲を書いている櫻井善彦が一番好きで一番影響を受けたミュージシャンとして、細野晴臣の名前を上げていた。偶然だが、松本PARCOの入口や店内には細野晴臣のポスターが至る所に貼られていた。「株式会社パルコ」は開業55周年特別企画として、昨2024年にデビュー55周年を迎えた細野晴臣×昨年生誕88年である田名網敬一×田名網の一番弟子である宇川直宏による「HAPPY HOLIDAYSキャンペーン」広告を制作・公開している。考えてみれば細野を始め、高橋幸宏や坂本龍一、矢野顕子、鈴木慶一、忌野清志郎……など、YMO周辺のミュージシャンとPARCOとは交流や関わりが遥か前からあった。「PARCO出版」が出していたサブカルチャー雑誌(!)「ビックリハウス」にも度々、登場。ビックリハウスのカセット『音版ビックリハウス ウルトラサイケ・ビックリパーティー』(1982 年)をリリースしたり、1982年5月5日に品川プリンスホテルで行われた雑誌"ビックリハウス"主催の「ヘンタイよいこ白昼堂々秘密の大集会」というイベントにも出演している(『ビックリハウス』に連載されていた糸井重里による「ヘンタイよいこ新聞」の終了<解散>にともなって開かれたイベント。細野は不参加)。

 

 

 

Os Ossosは“今日、OAUと一緒にこういうステージに長野出身のバンドとして立てるのは嬉しいです”と、このイベントに出演できる喜びを語る。全国をサーキットしながらも“地元”と繋がれることがこの上もなく幸せなのだろう。彼らの演奏からはその歓喜と愛情が伝わる。

 

彼らは最後にOs Ossosの前身バンド「Sentimental Boys」の「ユーモアを聴かせて」を演奏した。そこには“一昨日 観た映画の中で ウディ・アレンも多分 そう言いたかったんだろうね”という歌詞がある。ウディ・アレンはPARCOとは関わりが深い「西武百貨店」の1982年から1983年のキャンペーン「おいしい生活」(コピーは糸井重里)のイメージキャラクターを務めていた。その選曲に「PARCO」への深い愛と思いを感じた――というと、こじつけめくが、真相はともかく、偶然か、必然か、この曲が演奏されたことに意味があるのではないだろうか。

 

実は同曲は2018年8月にリリースされたSentimental Boysのセカンドアルバム『Festival』に収録されている。同アルバムこそ、ディスクユニオンのお茶の水駅前店で流れていて、一目(耳)惚れして、即に購入したもの。店内で音を聞いた時には四人囃子の未発表音源と一瞬、勘違いしていた(失礼)。いずれにしろ、東京での偶然の出会いから2023年に上田、昨2024年に松本へと走らすのは、その音楽の魅力ゆえのこと。“長野”を体験することで、より深く彼らの音楽の本質に近づけるのではないかという思いもあった。

 

 

彼らは観客の温かい声援と拍手を受けて、午後7時20分過ぎに演奏を終える。わずか、40分ほどながら松本のKIDS達の心を改めて捉えたのではないだろうか。笑顔でステージを後にする彼らはどこか輝いていた。流石、地元である。知り合いも多いらしく、友人、知人が彼らに気軽に声かけ、感想などを伝えていたのが印象的である。

 

▲OAU

 

30分ほどの休憩後、午後7時55分に「OAU」がステージに登場する。会場は新たな観客を加え、溢れかえっている。驚いたのはTOSHI-LOWを始め、メンバーがサンタコスプレをしていること。BRAHMANの硬派なイメージがあるので、まさか、クリスマスイブイブにクリスマス仕様で登場するとは思わなかった。いい意味で裏切られる。彼らにしてやられた。

 

TOSHI-LOWは“終わるということは新しいことが始まること”と、彼らしい言葉を観客に告げる。閉店をポジティブなことと捉えるという、新たな視点を提供した。前述通り、OAUにはRONZIとMAKOTOという長野県松本市の出身者がいるが、単なる地縁だけではないだろう。BRAHMANの「SEE OFF」は松本山雅FCや高校野球の応援歌として使用されている。湿っぽくなることなく明るく送り出す――そんなところがOAUが選ばれた理由かもしれない。過去と現在を乗り越え、未来へと繋ぐ、「夢の続きを」、「Time's a River」が歌われる。

 

 

「世界は変わる」や「帰り道」など、映画やドラマの“主題歌”にも起用されたお馴染みのナンバーを惜しげもなく披露する。その歌は聞くものを郷愁と旅情へと誘う。アイルランドやスコットランドなどで生まれたケルト・ミュージックや英米のトラディショナルフォークなどの影響で生まれた音を聞くと、北アルプスの広大な風景が浮かぶ。

 

 

OAUはMARTINがTOSHI-LOWと出会ったことで、生まれた奇跡のようなバンドだが、二人の出会いも奇跡の産物と言っていいだろう。1983年にアメリカのフロリダ州で生まれたMARTINはミュージシャンだった両親の影響で、幼少期(4歳から8歳まで)にファミリーバンドの一員(担当はフィドルとヴォーカル)として、両親とともに同地域のフォーク・フェスティバルやイベントに参加していたという。その後、地元に来たザ・チーフタンズのライブに衝撃を受け、学校の友人とフォーク・デュオを結成。フェアポート・コンベンションのナンバーやケルト・ミュージックなどを演奏していたという、彼らは13歳にして、フォークのフェスやフェアなどで演奏をしてギャラを稼いでいたそうだ。そして2002年、19歳の時に“日本のテーマパークで演奏する”という仕事を手に入れ、来日している。バンドなどを結成するが、うまくいかずアイリッシュパブやバーなどで演奏していたという。その後、シンガーソングライターのAKEBOSHをバイオリニストとしてサポート。そのAKEBOSHIも出演していた2004年11月、恵比寿「リキッドルーム」で開催されたイベントでBRAHMANのTOSHI-LOWと出会っている。彼はBRAHMANのステージは見ていない上に彼が誰かも知らず、“俺をバンドに入れろ”と言ったそうだ――結果として、それが2004年の出会いから半年後、翌2005年にOAUの結成に繋がるのだから人生は面白いもの。

 

 

OAU『FOLLOW THE DREAM』 徹底取材:マーティン・ジョンソンの知られざる半生(前編)

https://www.billboard-japan.com/special/detail/1010

 

 

 

OAU『FOLLOW THE DREAM』 徹底取材:マーティン・ジョンソンの知られざる半生(後編)

https://www.billboard-japan.com/special/detail/1014

 

 

 

 

 

MARTINと長野との関りだが、その日、TOSHI-LOWが語った話が面白過ぎるので、付記しておく。ただし、メモが出来たのはその一部、おまけに聞き取りにくいところもあった。当然の如く、不正確である。それ以前にTOSHI-LOW流の冗談なのか、本当なのか、まったくわからない。そのことを予め、断っておく。

 

実はMARTINの祖先は船乗りで、海で遭難して、日本に流れ着き、信濃国(どこかは不明。日本海に隣接した越中か、越後かもしれない)に来たという。信濃国の人達にお世話になり、アメリカへ帰ることができたそうだ。まるで幕末のジョン万次郎のような話で、そのお礼をするため、この日、ステージに立ったという……!? いずれにしろ、不確かこの上もない。ひょっとしたらTOSHI-LOWの言葉を手繰り寄せ、その結果、私の勝手な妄想がこんな物語を生んだのかもしれない。もしOAUの関係者の方がご覧になっていたら、TOSHI-LOWの真偽や真意を教えていただきたい(こっそり修正します!)。ただ、まったくの作り話ではなさそうだ。何故か、この話が頭にこびり付いている。いずれにしろ、予め、謝罪しておく。勘違いでしたら、誠に申し訳ありません。お許しください(笑)。

 

 

松本出身のRONZIは“最後に松本へ来れたこと、感謝しています。PARCOの裏にある駄菓子屋へ隣の“みよちゃん”(名前はうろ覚え!)と行ったのはいい思い出です”と語る。まさかの“青春時代をプレイバック”ならぬ、“少年時代をプレイバック”。地元に良い思い出が染みついている――それは幸せなことだと、東京生まれ・東京育ちで“故郷”のない自分は思うのだ。

 

 

この日、午後9時過ぎに彼らはステージを去ったが、アンコールを求める拍手と歓声はやまず。数分後、彼らがステージに戻って来る。OAUは“ここにまた日が昇る”、“ここにまた人が来る”と歌われる「朝焼けの歌」、と“明日もここで ずっと”と歌われる「otherwhere」をアンコールとして披露する。それはクリスマスイブイブのプレゼントかもしれない。

 

Os OssosとOAUの松本PARCOでの約2時間30分のステージ。それはとてつもなく心と身体の深いところを抉り、揺さぶる。きっと松本でなければ見れないものだった。改めて松本まで来て良かったと思う。こんなにも素敵な時間を過ごせる、それもフリーライブというのが信じられない。松本PARCOからの粋で素敵な贈り物。サンタクロースなど、信じてはいないが、この日だけは信じたくなった。

 

 

 

その日の翌日、夜に降り積もった雪が歩道に残る。東京へ帰る前に寄るところがあった。「小布施ワイナリー」である。長野県上高井郡小布施町にあるワインメーカーだ。マスコミの取材は一切お断り、通販はせず、小布施以外は限られた特約店でしか、正規の購入ができない。知る人ぞ知るところだ。昨2024年9月にも同所を訪れているので場所はわかっている。ただ、前回は車だったが、今回は電車である。松本から長野へ「特急しなの」に乗り、長野で長野電鉄長野線に乗り継ぎ、「特急ゆけむり」で小布施へ。約1時間30分ほどの旅行になる。長野を過ぎると、車窓には白い世界が広がる。

 

小布施駅で降り、ツーリストインフォメーションで地図をもらい、小布施ワイナリーを目指す。歩道にも雪も積もり、おまけに雪も降りつける。雪の中を進み、20分ほど歩くと9月に見た、見慣れた景色があった。ワイナリーのことは詳述しないが、お目当てのワインはあった。行った甲斐があったとだけ、書き記しておく。

 

 

小布施には葛飾北斎が晩年を過ごしたところで、北斎は80を過ぎてもかの地で創作に打ち込んだという。小布施には、北斎の肉筆画を中心に、版本や錦絵などを展示した美術館「信州小布施 北斎館」がある。同館のHPには“信州・小布施は、江戸の浮世絵師・葛飾北斎(1760~1849)が晩年に逗留し、画業の集大成をはかった特別な場所です。北斎は80歳代半ば、地元の豪農商・高井鴻山(1806~1883)の庇護のもとに、岩松院や東町・上町祭屋台の天井絵を描きました。当時の小布施は繁栄を誇り、北斎をはじめ文化人たちを惹きつける魅力ある町でした。北斎館は、これら天井絵のある二基の祭屋台と、長く受け継がれてきた肉筆画をもって、昭和51年(1976)11月に開館しました。肉筆画を中心に、版本や錦絵など、北斎の画業を広くご覧いただけます。”とあった。

 

 

残念ながらこの日は休館日(9月に小布施を訪れた際に入館している)、新たな展示を見ることができなかったが、北斎に思いを馳せる。

 

生涯に30回も雅号を改めたといわれる北斎。小布施で過ごした頃の雅号は「画狂老人卍(がきょうろうじん・まんじ)」だったという。当時85歳だった北斎は、小布施町・東町祭屋台天井絵《龍》と《鳳凰》、その翌年には上町祭屋台天井絵《男浪(おなみ)》と《女浪(めなみ)》2図からなる怒濤図を描き上げているという。ならば北斎に倣い、“音狂老人卍”を目指すか。動けるうちは、心と身体を揺さぶる音を求める“べらぼう”な旅は続きそうだ。機会があれば、是非、長野を訪れてみて欲しい。

 

 

 

「信州 小布施 北斎館」

https://hokusai-kan.com/

 

 

 

 

いきなり「資さんうどん」がトレンドに上がり、びっくり。坂上・指原効果か。待望の店の満を持しての東京発進出。待ち焦がれた方も多いのではないだろうか。

 

 

東京進出“ご当地うどん”に大行列!――と、福岡の音楽を愛し、福岡のうどんを愛する“めんたいロッカー”達の間に話題なっている福岡を代表するうどんの名店「資(すけ)さんうどん」が東京へ初出店した。高塔山や若松への行きかえり、小倉で食べたという方も多いのではないだろうか。「ウエスト」や「牧のうどん」と並ぶ、福岡のうどんの名店が先月、2月24日(月・祝)に東京の両国へ初出店した。その模様がテレビやネット、新聞などで大々的に紹介されて驚いた。私自身は数年前にUP-BEATの広石武彦にその魅力を聞かされ、高塔山でのロックフェスの後、急いで小倉で食べている。

 

 

開店日には間に合わなかったが、先月、2月25日(火)の午後1時過ぎに同店に赴いた。下町には地の利はあるが、JR両国駅から徒歩10分と少しある。総武線の両国と錦糸町の間くらいか。京葉道路を両国から錦糸町へ向かい、息を切らしながら10分ほど進むと、「資さんうどん両国店」がある。かつてはファミレスがあったところだ。

 

 

既に行列が出来ていた。階段沿いに30分ほど並ぶと、店内に入れるが、そこから30分ほどかかる。整理券を発行してもらい、順番が来ると整理券をQRコードにかざし、席番号を発券してもらう。店内は順番待ちの席もあるので、立って待つことはないが、入場人数によっては順番が前後するなど、かなり待たされる。ただ、席に案内され、席でタブレットから注文すると、着丼は思いの他、早く、すぐにご馳走にありつける。給水機やお茶、天かす、とろろこんぶ、壺付けなどのセルフコーナーもある。

 

 

 

名物の肉ごぼてんうどんとかつとじ丼(ミニ)とぼた餅が食べられる「満腹セット」とおでん(玉子・大根・白滝)を注文する。かつ丼までは考えていなかったが、目の前のメニューにやられる(苦笑)。

 

 

味は小倉で食べたあの味だった。濃くて、九州特有の甘さが絡まる。柔らかさも歯ざわりもベストマッチである。すかいらーく傘下に入ったことで味の変化を心配される方も多いが、それも杞憂に終わりそうだ。多くは説明しないが、暫く行列必至かもしれないが、気づくと通うことになるだろう。3月には足立(鹿浜らしい)にも出店するそうだ。下町から攻める作戦、これもありかもしれないが、リアル福岡人の多そうな下北沢や高円寺辺りにも欲しいところ。めんたいロックを聞いたあと、資さんうどんを食べるなんて、素敵過ぎる。

 

 

https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUC194FQ0Z10C25A2000000/