『彩魂祭(さいたまさい)』という新しい祭りが始まる | Let's Go Steady――Jポップス黄金時代 !

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そんな時代を活写した幻の音楽雑誌『MUSIC STEADY』をネットで再現します。

先月、『埼玉の小さな町・本庄が生んだ大きな奇跡「DIG THE MOON」』というエントリーで7月24日(日)にGliderやhuenicaが出演し、「秩父ミューズパーク野外ステージ」で開催される『彩魂祭(さいたまさい)』( https://saitamasai.com/ )のことに触れ、行ってみればと書いたが、まさか、自分が行くとは思ってもみなかった。勿論、興味はあった。しかし、翌週には札幌や福岡、熊本などへのツアーが控えている。無理は禁物と思っていた。ところが、『彩魂祭』の前日、7月23日(土)に高崎へ行くことになり、同時にGliderのプロデューサー、青木和義からこんなメールをもらった。

 

“7/24(日)の秩父市のフェスティバル、何とか調整つけて、観に行こうと思っています。実は私の祖父が、埼玉県の秩父祭りや川越祭りのお囃子とお神楽に影響を受けて、多摩地区の自分の町に持ち込んだそうです。幼少の頃に観た、お囃子や祖父の踊りが、私が芸能に触れた原点だと思われます。じっくりと訪れなければな~と言う土地なのです”

 

 

モダンロックの“お祭り男”が秩父祭りのお囃子やお神楽と関わりがあるという。これは行かないわけにはいかない。秩父郷土会による秩父屋台囃子は、午前11時から開演する『彩魂祭』のオープニングセレモニーを務めることになっている。東京からだと、土日の渋滞を考え、早朝に出なければならないが、高崎からなら早起きをしなくても大丈夫だろう。ただ、駐車場を確保するため、早めに出ることにする。

 

 

会場のミューズパークは秩父市と小鹿野町にまたがる豊かな自然環境に恵まれた長尾根丘陵にある。同所には音楽堂、野外ステージ、ミューズの泉、大庭園などの芸術・文化施設、多彩なスポーツ、アミューズメント施設がある。一般的には桜、アジサイ、ヘメロカリス、シャクナゲ、チューリップ……など、四季折々に季節の花が咲き誇るところとして有名である。車だと関越自動車道花園インターチェンジから国道140号を秩父方面へ約34km、約50分。電車だと秩父鉄道秩父駅、または西武鉄道西武秩父線西武秩父駅下車し、秩父ミューズパーク循環バス「ぐるりん号」乗車で約20分だという。東北道や関越道、上信越道、北関東道、さらに外環、圏央道などを利用すると、群馬の高崎や前橋、埼玉の大宮や浦和、長野の軽井沢や上田、長野、栃木の宇都宮、茨城のつくばや水戸などの各県の主要都市などからもそう遠いところではない。

 

 

結局、青木は所用のため、行けなかったが、しっかりと段取りだけはつけてくれた。パスの発行や撮影の許可など、すんなり入場し、取材することが出来たのだ。

 

もっとも早く来過ぎてしまい、開場時間の10時まで、少し待つことになる。フジロックなどを想像し、会場への道は渋滞して駐車場の確保も難しいと考えていたのだが、それはまったくの杞憂に終わる。始まったばかりの“祭り”である、そうすぐにフジロックのような盛況状態になるわけはない。

 

 

開演時間の午前11時、秩父郷土会による秩父屋台囃子がオープニングセレモニーを飾る。お囃子と言えば、神事かもしれないが、もう少し生活に密着していて、浮き浮きするような高揚感と浮遊感がある。景気づけにはぴったり。“ロックから演歌にアコースティック、秩父屋台囃子などの音楽・お笑い・フード・ファッションなど、埼玉にゆかりのある多様なジャンルのアーティストと出店者による祭典。『みんなが主役』の新たなお祭りを目指します”という祭りの始まりには相応しいだろう。

 

出演者のトップバッターは岩船ひろきという埼玉浦和出身在住のシンガーソングライター&唄う書家が務める。「彩魂祭」のロゴも彼が書いたものだという。音楽的にはフォークなのだが、歌が圧倒的に上手い。マイクなしでも会場に歌を届かせる技は山下達郎を彷彿させる。埼玉を拠点に関東、東北などで活動。2014年にはスガシカオのオープニングアクトを務めている。2014年に初の全国盤のCDを発売し、2年で全国5都市でのワンマンライブツアーを成功させている。地元・伊勢丹浦和店と音楽と書、両方でコラボレーションを繰り広げている。ちょっと異色の逸材である。初めて、その存在を知ったが、埼玉は奥が深い。

 

30分ほどの演奏後、セットチェンジなど、インターバルがあって、りさボルト(Vo、G)とHys(はやし)(Sax、Cho)からなる2人組、りさボルト&Hysが登場。2017年から活動を開始し、埼玉・熊谷から全国各地へとライブ活動を展開しているという。エンタメ感覚に溢れ、会場のカメラマンに向かって、目線はどこかと注文を出すなど、堂々としている。音楽ユニットながらどこか、芸人っぽい遊び感覚がある。ステージを見て、Aマッソが浮かんできた。勿論、お笑いコンビではないが、何か、斬新さみたいなものに通じるものがある。サウンドそのものもギタ―とサックスという変則な編成で、かのジェームス・チャンス&ザ・コントーションズを彷彿させる。いずれにしろ、一筋縄ではいかない個性の誕生である。Gliderの栗田祐輔によると、りさボルトは同級生だそうだ。意外な関係性に驚く。

 

りさボルト&Hysに続き、午後1時過ぎにはhuenicaが登場する。意外に早い出演に驚くが、今日の彼らは忙しい。各セクション30分ほどの演奏時間ながら3ステージをこなさなければならないのだ。引く手あまた状態である。

 

榎本聖貴(Vo、G)と伊藤サチコ(Vo、Kb)というhuenicaの二人に先日の『DIG THE MOON』 同様、Gliderの栗田祐輔(Vo、kb)、栗田将治(G、Vo)がサポートとして加わる。眩い太陽の光が燦燦と降り注ぎ、緑の絨毯の中に色とりどりの花が咲き乱れる丘陵地帯の野外ステージに清涼感溢れるhuenicaの歌と音が流れる。月並みな表現かもしれないが、かの『サウンド・オブ・ミュージック』のジュリー・アンドリュースの“歌唱シーン”を彷彿させる。インドアっぽいイメージを抱いていたが、アウトドアにも映える。huenicaの新たな魅力の発見と言っていいだろう。

 

 

清冽で清涼、心と身体に染みこむ歌の後は、スクールゾーンがステージに上がる。彼らはバンドではなく、吉本興業所属のお笑い芸人。秩父出身の橋本稜と新潟県上越市出身の俵山峻のコンビである。橋本は韓国ドラマやK-POPのエキスパート、俵山は絶対音感の持ち主で、バイオリンが弾ける。フェス受けするネタを持ち、この日もバイオリンを使った芸(紙飛行を弓代わりにして『情熱大陸』や『サザエさん』などの主題歌を演奏する)なども飛び出す。また、秩父周辺にしか通じないであろうローカルスーパーのギャグを含め、秩父あるあるも会場の笑いを取っていた。彼らのステージの最後は何故か、じゃんけん大会になって、勝者は彼らのサイン色紙を貰えるのだが、サインを渡す際には絶対売れますからと告げ、そのサインの価値が上がることを宣言している。故郷に錦を飾るではないが、サクセスストーリーを夢見るところなど、ちょっとグッとくる。なにか、微笑ましいものがあった。かつてはバンドやサッカー選手などが憧れの対象だったが、いまはお笑い芸人やYouTuberというところか。いずれにしろ、二人とも芸達者、『ザ・細かすぎて伝わらないモノマネ』や“月9”などにも出演し、話題にもなっている。いずれ、頭角を現すのではないだろうか。サインを貰っておけば良かった(笑)。

 

午後3時過ぎにGliderがステージに登場する。今回はhuenicaがサポートとして加わる。Huenicaはこの日、2回目のステージ(考えてみればGliderも2回目のステージになる)。栗田将治は“暑いけど、気持ちいい”と観客に告げる。「逃亡劇」や「恋のランダバウト」、「オカルト」、「モータサイクルウィークエンダー」など、お馴染みのナンバーを圧巻の演奏で聞かす。彼らをアリーナクラスの会場や野外フェスなどで見るのは初めてだが、会場に負けないスケール感があることを再確認する。実に堂々としている。迫力を増した演奏は狭いライブハウスなどではなく、広いアリーナやスタジアムが俺達にはお似合いだと無言に語っている。彼ら自身もそんな場所に慣れているかのようだ。栗田祐輔はGLIM SPANKYのサポートをしているが、彼らも既にアリーナクラスのバンドである。そんな経験がGliderにいい形でフィードバックされている。Gliderの確実な成長を目の当たりにする――そんな機会になった。

 

Gliderに続いて登場したのはウラニーノである。新潟生まれ埼玉育ち東京在住の山岸賢介(Vo、G、P)と、群馬生まれ群馬育ち群馬在住、農家の長男&アート担当の小倉範彦(Dr)の2人組。2001年に埼玉大宮を拠点に活動を始めている。真心ブラザーズを彷彿させ、一瞬、コミックバンドに見えてしまうが、そうではなかった。コロナ禍で苦境に立たされる表現者にスポットを当てた異色のコンセプトEP『2020.EP』を2022年3月にリリースしているが、同作に収録され、“その手首にはガッシガシに入ったリストカットの傷”という歌詞がある「Tokyo 2021」に射抜かれる。

 

実は後から知ったことだが、彼らは2007年発表のインディーズ時代の4thアルバム『友達の彼女』より、プロデューサーに佐久間正英を迎えている。2009年7月、メジャーデビューミニアルバム「ランドリーとワールド」をエピックレコードより発売。2010年6月、2枚の先行シングル曲を含む初のフルアルバム『World end Happy end』を発売。2013年10月にはメジャーからの2ndフルアルバム『音楽はあるか』をリリースした。同作が佐久間正英氏生前最後のプロデュース作となっている。偶然だが、秩父の前日、高崎に行ったのは佐久間正英と関わりの深いバンドを見に行くためでもあったのだ。

 

最近は竹原ピストルなどとツアーをしているが、思いもかけないバンドとの出会いであった。栗田将治は“ウラニーノのことは昔から知っていて、大好きだ”と語る。実際、面識も交流もあるという。その契機は“モルタルレコードがハブになった”そうだ。Gliderに取っても拠点的存在の同所、人を引き付ける。まさに場の力というものだろう。

 

 

“村祭り”か。星ともかの登場で、会場の空気感がいい意味で変わる。会場に「星組」とプリントされたTシャツを着ていた方がたくさんいたので、宝塚の方かと思ったが、そうではなく、秩父出身の演歌歌手&ロック歌手だった。「無法松の一生」というお馴染みの曲を歌えば、「私☆昭和の流れ星」というオリジナル曲も歌う。会場の中高年のアイドルとして、拍手喝采を浴びる。彼女にはボンバークイーンズというバンドのリードヴォーカルという顔もある。今度はボンバークイーンズで見たかった(実は、一週間後、7月31日に同じ「秩父ミューズパーク野外ステージ」で開催された『MUSEROCK2022』にボンバークイーンズとして初出演している。動画を見たが、バービーの杏子のようなキュートな歌いっぷり)。そんな柔軟性に新しさを感じさせる。それにしても会場をひとつにしてしまうところなど、いろんな場所で歌ってきて、その度に勝負をかけてきた演歌歌手としての底力か。彼女の虜になる高齢者、多し(笑)。

 

会場が和んだ後は、サスケがステージに現れる。人気者らしく、その登場に会場が沸いた。埼玉県出身の奥山裕次と北清水雄太の二人組。高校時代の同級生で2000年に結成されている。大宮駅前のストリートライブを中心に全国で精力的にライブ活動を行う。2009年に解散するが、2014年4月に再結成している。2004年のデビューシングル「青いベンチ」はYouTubeトータル4000万回再生以上、当時30万枚のヒットを記録したという。同曲は最近も某番組で「30代が選ぶ青春ソング」の第一位になっている。中高生の合唱コンクールの定番ソングらしく、2008年には音楽の教科書にも載ったという。勉強不足でまったく知らなかったが、確かに青春の痛いところを刺激するものがある。現在、北清水雄太の1stソロアルバムを作るためのクラウドファンディングもスタートしている。彼らの演奏後、アンコールも巻き起こる。隠れた逸材(ただ、私が知らないだけだが)、埼玉の奥は深く、掘ればいろいろと出てくる。

 

そして、この日のおおとりは三上隼。実は彼がこの『彩魂祭』を企画し、開催を実現させた主催者である。この日まで何度も地元のラジオ番組に出演し、度々、地元のイベントにも顔を出し、プロモーションを精力的にこなす。当日も楽屋でどっしり構えるのではなく、いろんなところに出没し、動き回っていた。彼の熱意と根気がなければ、成しえなかった祭りである。三上は1992年11月4日、埼玉県秩父生まれ。バンド活動を経て、2012年よりシンガーソングライターとして活動を始める。2020年11月より、2年連続で地元・秩父の秩父宮記念市⺠会館でホールワンマンライブを開催。秩父鉄道株式会社のオリジナルソングや、ラジオ番組やテレビCMのタイアップ、地元店舗のイメージソングも多数手がけるなど、地域密着型の活動を経て、現在は埼玉県内を中心に全国へと活躍の場を広げている。「風の歌い手」とも呼ばれている。

 

若干、押したため、午後6時に彼はステージに登場するが、舞台の上はセットチェンジが終わっていない。スタッフが忙しく動き回る。その中には栗田将治もいた。彼も演奏するのかと思ったら後で聞いたところ、huenicaの榎本聖貴のギターテクニシャンとしてサポートしていたそうだ。

 

三上隼はプログラムのタイムテーブルには[band set]と書かれている。ソロではなく、彼を先のhuenicaの榎本聖貴(G)、伊藤サチコ(Vo、Kb)、そして三上隼をサポートする伊藤健太(B)、さらにHys(Sax)、なかじまはじめ(Dr)が支える。

 

漸く、準備が整い、午後6時過ぎに三上隼のステージが始まる。三上の歌そのものは美声の持ち主で、五十嵐浩晃や尾崎豊を彷彿させる。サウンドもサックスをフィーチャーしていることからもストリートロックの王道を行くもの。ただ、huenicaが関わっているだけに捻りがあり、洗練もされている。少し眩しくもあるが、熱意と根気と信念と気合いがほどよく調合され、すんなりと聞ける。huenica効果と言っておこう。ちなみにこの日、huenicaは3ステージ目となる。

 

huenicaにしろ、Gliderにしろ、音楽的なブレーンになりえるミュージシャンが“音楽生活圏内”にいるということは、かの地のシンガーソングライターにとっては心強いのではないだろうか。

 

榎本は“花田裕之や下山淳など、ROCK'N'ROLL GYPSIESが好き”らしい。意外な名前が出てきたことに驚くが、日本のブッカーT&MG’Sといわれる(というか、私が勝手に言っている)彼らが出てくるあたり、メンフィスのSTAXレーベルのスタジオやアラバマのマッスル・ショールズ・サウンド・スタジオなども想像してしまう。huenicaやGliderは本庄に自らのスタジオを持つ。東京まで行かなくても音作りができる。henicaは自らの音楽活動だけでなく、他のアーティストのサポートも積極的である。最近も群馬を拠点に活動する3人組ロックバンド「秀吉」の配信ライブのサポートをしている。

 

 

三上隼は夕暮れが訪れても、まだ、明るく、猛暑が残るステージに仄かな熱気を孕んだ爽やかな風を届ける。30分ほどの彼の演奏はあっという間に終わる。彼が舞台から消えてもアンコールを求める拍手は続く。彼は秩父郷土会でも演奏した山口雅史(笛)をバックに「秩父魂」を歌い、その日を締める。しかし、この日はお囃子で始まって、花火で締めることになっている。花火はステージの後方、上手から上がるため、客席の後ろの高いところで、見ようと観客を誘導する。観客と出演者が一緒になり、北の空を見上げる。大きな花火が打ち上がる。わずか、10分ほどだが、夏の祭りの終わりに相応しいフィナーレだ。儚くも美しい。夏の思い出作り。その風景と歌と音を心に刻む。実はこの花火、クラウドファンディング形式で募金、投げ銭など、「彩魂祭」を盛り上げたいと言う有志の心意気によって、支えられている。

 

 

お囃子から始まり花火で締めた秩父ミューズパークの『彩魂祭』。秩父や熊谷、本庄などに縁ある歌手、バンド、芸人、店舗、屋台などが集い、新たな可能性を見せてくれた。祭りは始まったばかり。すぐにフジロックみたいになるのは無理というもの。しかし、都心や首都ではなく、地方都市、衛星都市のネットワークを生かし、小さな連帯が大きな潮流を生むこともある。

 

 

この『彩魂祭』には新しい祭りの萌芽があった。飲食や物販、遊興など、既存のものではなく、地元で新たな試みに挑む若者たちが集う。屋台やキッチンカーのドリンクやフードも創意工夫があった。バナナマンの日村が地元の方が推薦する絶品グルメを食べまくるバラエティ『バナナマンのせっかくグルメ!!』でも紹介されたちちぶホルモンの名店「ながしま」のホルモンをトルティーアに包んだ“ホルティ―ア”なども食べやすく、アイデア満載である。動員や進行、宣伝など、決して満足のいくものではないかもしれない。本当に小さな一歩だろう。しかし、踏み出した一歩は大きい。郊外型ロックやフォークと郊外の衛星都市の文化や経済、生活などの可憐な融合と止揚という花火が打ち上げられた。

 

主催した三上隼は「当日たくさんの人の喜びと笑顔が見られ、開催できて良かった。今回の課題を踏まえ、来年の開催に向けて活動ができれば」(秩父経済新聞)と語っている。来年を楽しみにしている。

 

その際は是非、青木和義にも関わってもらいたい。郊外型ロックとは、青木がGliderと出会って、生まれた言葉であり、概念でもある。秩父のお囃子やお神楽をルーツとする“モダンロックの伝道師”にして、“モダンロックのお祭り男”、青木和義がそこにいるべきだ。祭りは何も伝統や格式、古来ゆかしき伝承物だけではない。時に稀人の存在が祭りを活性化させる。

 

「よさこい祭り」そのものも1954年に徳島の阿波踊りに対抗する形で、高知商工会議所青年団 によって、「第1回よさこい祭り」が開催されているが、その後、1992年に北海道札幌市で「YOSAKOIソーラン祭り」が開催され、同祭を皮切りに全国各地に広がる。某広告代理店などに任せてはいけない。市井の人達のものであるべきだろう。老若男女、時代や世代、趣味、思考、場所や距離を超えて、面白い祭りが生まれようとしている。秩父では「秩父夜祭」が有名だが、「彩魂祭」もそんな祭りになって欲しい。