ジョン・レノン生誕80年、没後40年――杉真理、ジョン・レノンを語る! | Let's Go Steady――Jポップス黄金時代 !

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Jポップスの黄金時代は80年代から始まった。

そんな時代を活写した幻の音楽雑誌『MUSIC STEADY』をネットで再現します。

ジョン・レノンが凶弾に倒れ、2020年で40年になる。今年はジョン・レノン生誕80年(1940年10月9日生まれ。イギリス出身)ということもあり、様々なイベントやリリース、出版、放送なども相次いでいる。ジョンが亡くなった12月8日前後には様々なメディアが報道している。朝日新聞の12月7日(月)付けの夕刊の第一面に「IMAGINE(想像してごらん) ジョンがいる2020を」とタイトルされ、掲載されたことには驚いた。

 

彼が亡くなったのは1980年12月8日(月)の午後10時50分(22時50分)だが、それは現地の日付、時間(米国東部標準時)である。ニューヨークと日本の時差は14時間だから日本時間では9日(火)の午後0時50分(12時50分)になる。日本でもジョン・レノンの死去の報道を聞き、驚きと悲しみとともにその事実が信じられず、受け入れることが出来なく、虚脱状態になった人達も多かった。ジョン・レノン&オノ・ヨーコのアルバム『ダブル・ファンタジー』が1980年11月にリリースされたばかり、コンサートなども噂されたが、それらもすべてが幻になってしまった。

 

私が関わった『MUSIC STEADY』でもジョン・レノンとオノ・ヨーコを表紙にして、15ページの特集を組んだことがある。1984年3月号である。『ダブル・ファンタジー』の続編的アルバム『ミルク&ハニー』が1984年1月にリリースされたているが、その発売に合せたものだ。日本のミュージシャンンやタレント、映画監督、ライターなどにジョン・レノンについて、語ってもらった。実際、杉真理や伊藤銀次、NOBODY、白井貴子、石橋凌、南義孝、ビートたけしなどを取材し、コメントとしてまとめ、森山達也や花田裕之、鮎川誠、ジョー山中、仲野茂、原田真二、高橋伴明、佐野元春、片岡鶴太郎など、アンケートに回答してもらっている。いかにジョン・レノンの音楽や生き方が日本の文化や芸能、芸術に影響を与えているかがわかるものではないだろうか。

 

本来であれば、全部を転載したいところだが、そうもいかず、まずはこの特集の巻頭を飾った杉真理のコメントを再掲載しておく。1984年1月のコメントとともに記事掲載から36年後、2020年12月にもらった新たなコメントも掲載している。併せて、読んでいただきたい。もし、許諾が取れれば、他のコメントやアンケートも再掲載したいと思っているが、こればかりは相手があること。期待はちょっとだけよ、にしてもらいたい(!?)。

 

 

 

■ジョンが死んだってことは、大地震と同じ位のショックでした。――杉真理(1984年)

 

小学校の頃、僕はジョン・レノンになりたくてしょうがなかった。当時はあれで長髪っていわれてて、みんな好き勝手にやってそうに見えて、その中で一番クールな目を持っていそうなのがジョン・レノンだったの。ちょっと大人っぽいところにすごい魅力を感じて、僕みたいな当時、少年の目から見ても、他にそういう知性を漂わせていた人っていうのはあんまりいなかったと思う。サインからも彼の知性が漂っているような気がしてね。リッケンバッカーの形に似せて、ベニヤ板を削ってギターの代わりにしたりしてましたね。

 

ある時、レコードを聴いてて思ったんだけど、ジョン・レノンの音楽っていうのは、すごい重みがあるでしょ。オーイエーっていっただけで、その中ですべてが入っているみたいな。で、それは俳句の短い言葉の中にすごい意味が含まれるのと同じように感じたことがある。だからジョン・レノンが俳句や歌舞伎を見て泣いたっていうのは、わかるような気がするのね。言葉が重いっていうのも、ソロになってから、オブラートにくるんであったのがオブラートを1枚はずしたみたいなことになったんじゃないかなと思う。で、前から重かったのが、よりダイレクトになったんじゃないかと。

 

それからジョン・レノンには永遠の高校生みたいなとこがあるように、僕は思いました。それも不良高校生的な、斜めから物を見てるみたいなね。それに比べると、ポール・マッカートニーっていうのは、永遠に小学生みたいなね、そういう子供っぽさがあると思う。

 

一般的にはジョンは作詞家といわれているけど、僕はあの人の作曲能力っていうのはすごいと思う。彼のメロディーはすごくムダがなくて素朴で、大事な音だけをとってるんですよね。あと彼の声とか、節回しもいいし。だから、詞の部分ばっかりジョンにスポットをあてるのは片手落ちになっちゃうことだと思う。それと、ポール・マッカートニーも、ジョン・レノンがいなかったら今のポールはなくて、ギルバート・オサリバンくらいの人だったんじゃないかと思いますよ。もちろん、ポールも重要な人なんですけどね。

 

ヨーコに関しては、最初はオノ・ヨーコ? やめてよとか、別れろよとか、思ってたけど、今はジョンが選んで師匠と仰ぐ人だったんだから、何かあった人だと思っています。そう思えるようになったのも、今はジョン・レノンという人物そのものを信じているからだと思います。昔はジョン・レノンの作り出す音や、やってることを信じてたんですね。この違いは大きくて、その人を信じられるっていえる人は少ないですよ。でも僕はビートルズもジョン・レノンも信じています。

 

先日、友達と話してて、僕達の世代は関東大震災も体験してないし、大きな天変地異は何も経験してないねっていう話になったんです。でもよく考えたら、ジョン・レノンが死んだってことだけは、唯一、大地震と同じくらいのショックでしたね。

 

『ミルク&ハニー』は先日買って、まだ、1回ざっとしか聴いていなんだけど、何だか、また次の新譜を出してくれるような気がしてしょうがないんですよ。

 

(1984年1月26日、四谷「ロジェ」にて)

 

 

■確実にジョンの種は蒔かれた……杉真理(2020)

 

「ジョンは40年間で何人分の人生を送ったのだろうか。

何処かのレベルでジョンは残り時間を知ってたから、『せっかち』で『挑戦的』で『生き急いでた』のかも。

でも確実に種は蒔かれたと思います、花はまだ咲いてないけど」

 

杉真理