炎立つ――『アラバキロックフェス.19』、アラバキロッカーズの熱い競演!Ⅱ | Let's Go Steady――Jポップス黄金時代 !

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※「炎立つ――『アラバキロックフェス.19』、アラバキロッカーズの熱い競演!Ⅰ」からの続き

 

「花笠」のステージを見終えると、そのまま東京への帰途につく。翌28日(日)も見たかったが、同日は既に予定があったため、残念ながら、見ることはできない。実は、この旅は既に数日前から始まっていた。GWの渋滞、宿泊代の高騰を避け、そしてせっかく仙台へ来たら、行きたいところもあったのだ。
 
4月25日(木)の深夜(26日の早朝)には車を駆って東京を出ている。高速の深夜割引を利用するためだ。途中、今回の旅の相棒を千葉でピックアップして、常磐道に乗る。東北道ではない。彼から石巻の石ノ森章太郎の石ノ森萬画館を見たいといわれたからだ。私自身、石ノ森にはそんな興味はなかったが、石巻へは訪れたい、それも常磐道をそのまま北上して行きたかった。
 
2014年4月、かの『あまちゃん』でお馴染みの三陸鉄道北リアス線の全線開通を記念して、同月6日に岩手県・宮古で開催された「三陸鉄道北リアス線全線運行再開記念式典」へ車で行っている。元サディスティック・ミカ・バンド、サディスティックスの今井裕がその式典に参加することが三陸行きのきっかけだった。4月にも関わらず、降雪にやられ、難攻不落の旅だったが、宮古から久慈まで三鉄に乗り、翌日は宮古から国道45号線を太平洋沿岸を気仙沼まで車で南下し、“3.11”の惨禍を目の当たりにした。その際、気仙沼からは内陸へ戻り、そのまま仙台の手前で東北道に乗っている。石巻や松島は通っていなかった。あれから5年、復興は進んだといわれるが、疑わしい。この目で見届けたかったのだ。
 
常磐道をいわきから磐越道を通らず、そのまま北上し、広野、浪江、南相馬と進むと、帰還困難地域も通る。同区間は既に全線開通しているが、それも2015年のこと。高速は通過できても国道や県道など、自動二輪、原付き自転車、軽車両、通行者は原則通行できないところもあるという。また、福島県双葉郡楢葉町にあるサッカーの聖地「Jヴィレッジ」の全面営業再開、本格再始動もこの4月と最近のこと。
 
その区間は早朝に通ることになった。対面交通が多く、2車線は少ない。また、工事が行われ、工事車輌も行き来する。そして、広野~南相馬間の各IC間に3カ所づつモニタリングポストが設置され、放射線量(空間線量率)が表示される。μSv/h(マイクロシーベルト/時)など、東京に暮らしていると、忘れていた単位が出てくる。被災地であること、福島第一原子力発電所の横を通過していることを実感する。同時に窓を締め、口を紡ぎ、息を潜める――なんの効果があるかわからないが、そんな不可思議な行動を取り、緊張感に身体が強ばる。同区間は景観も原生林のようで、建物や民家は見当たらない。人や生活の気配はない。家屋や生活の気配を感じるのは、漸く浪江から南相馬へ入ってからだろうか。

石巻へは早朝に着く。豪雨と暴風が吹き荒れる。まずは土砂降りの中、朝食を求め、市場へ辿り着き、市場で働く方の食堂へ飛び込む。同所は朝6時30分から開店している。観光客らしきものは私達くらい。まだ、大型連休前、普通の生活が待っていた。うにや烏賊や蛸、鮪、北寄貝、いくらなどが満載の特上海鮮丼に食らいつく。常磐道をひた走りしてきたご褒美に贅沢三昧させてもらう。贅沢といっても特上で2400円、並で1800円である。東京では考えられない味と量だろう。
 
石ノ森萬画館は朝9時から開いている。北上川の中洲にある宇宙船のような建物だった。中に入ると、石ノ森の世界が満載。私的には『仮面ライダー』より、『サイボーグ009』の展示物に気分が上がる。少ないながら原画などもあった。“3.11”の際には湾から津波が北上川を駆け上る、同所も1階の6.5m地点まで浸水し、1階にあったものはガラスを突き破り全て川へ流されたという。震災発生10日後からは、スタッフが手分けをして瓦礫とヘドロの除去作業を行い、4月中旬には全国からのボランティアも駆けつけての撤去作業を行った。萬画館を復興のシンボルとして再開させようという動きが日に日に高まり、震災発生から1年8か月後の11月17日に再開されている。萬画館には被災と復興の模様を記録した写真も展示されていた。

改めてタブレットで検索すると、“石巻市は石巻漁港を擁する市中心部(人口11万人余り)の高台を除くほぼ全域が津波に襲われたことで、このエリアだけで2038人が死亡し、377人の行方不明者を出すという東日本大震災で最大の被害を受けたところ”という記述が出てきた。そういえば早朝に食事をした食堂も移転し、新たに作られたところにあった。街のあちこちには新しい建物が目立つ。まだ、工事中のところもあった。その惨禍の壮絶さを思う。知り合いが同地へ猫や犬を救うため、ボランティアへ行った話を思い出す。厳正な気持ちなり、黙祷する。石巻には石巻駅を中心に石ノ森の漫画のキャラクターが点在するマンガロードがあった。新しく生まれ変わる。街も“変身”していくしかない。いうまでもないが、石巻は“いしまき”ではない、“いしのまき”である。

石巻から松島へ。秋保や作並などの温泉も魅力的だが、仙台の途中ということもあり、松島を目指す。同所では海を望む露天風呂に浸かり、強張った身体をほぐし、そのまま仮眠をとる。雨に煙る松島はかの芭蕉も言葉をなくしたところ、豪雨の中でも充分に美しかった。
仮眠後、少し遅めの昼食として松島で牡蠣小屋にて生牡蠣、焼き牡蠣、牡蠣フライと、牡蠣三昧。流石、松島の牡蠣。間違いない。松島から仙台へはそう時間はかからず、1時間ほどだろうか。ホテルにチェックインすると、再び、仮眠。夜は相棒と待ち合わせし、牛タンである。仙台へ行ったらマストだろう。東京に進出してない行列店で、牛タンを堪能し、明日に備える。

朝、起きると雨が降っている。野外フェスで雨は辛いが、時を経ると小雨になってくる。途中、秋保温泉に立ち寄る。温泉に入りたいわけではない。仙台名物「主婦の店 さいち」のおはぎを買うためだ。テレビやネットなどでも話題沸騰、そのおはぎを求め、市内から車で駆けつけ、なんの変哲もないスーパーに行列もできる。そのため、駐車場も第3駐車場まであった。警備員もいる。同所でおはぎを買い出して、アラバキへ向かったのだ。

それからの模様は前述通りだが、東京への道のりは宮城川崎インターから東北道をひたすら走る。一日中、歩き続けたため、疲労の極地ゆえ、1時間おきに運転を代わりつつ、慎重に車を進める。深夜の上り、GWらしい渋滞は皆無だった。そういえば行きの下りの渋滞もなかった。タイミングがよかったのかわからないが、日頃の行いの良さか(笑)。相棒を千葉で下ろし、そのまま東京へと急ぎたかったが、朝に近づくに連れ、眠気も増す。路肩に車を停め、仮眠をとる。目を覚ますと陽が登っていた。
 
“under control”という嘘から始まった“2020”。“復興五輪”を謳い文句にしつつも「復興以上に大事」と“本音”(失言)も飛び出す。東北の地に足を踏み入れ、いろんな思いが込み上げる。
 
彼の地で繰り広げられたアラバキロッカーズ達の熱い演奏とそれを全身で受け止める若きアラバキロッカーズ。まつろわぬ民の子孫らが立ち上げた反逆の炎は“希望という名の光”にも見える。車の走行距離は1000キロを超えていた――。