山下久美子「STORIES」――フラッシュバック Early 80’s J Pops | Let's Go Steady――Jポップス黄金時代 !

Let's Go Steady――Jポップス黄金時代 !

Jポップスの黄金時代は80年代から始まった。

そんな時代を活写した幻の音楽雑誌『MUSIC STEADY』をネットで再現します。

週末、埼玉の里山で過ごす。菖蒲を愛で、滋味豊かな黒い蕎麦を食し、清冽な天然氷のかき氷に涼を感じる。その間に口当たりまろやかな豆腐にねぎとみそのたれの焼き鳥、ブルーベリーの大福を頬張る。食べ過ぎだ。

 

そんな素敵な週末の旅程や献立は、私が立てたものではない。FBフレンドの日記に書かれていたルートやメニューをそのまま引用させていただいた。その足跡を追ったに過ぎない。もっとも信頼すべき方だからこそ、その選択に間違いはない。この上もない、優雅な週末となった。同行のものも蕎麦屋で待たされた以外は、満足していた。

 

その日記を書かれたのが、山下久美子のスタッフとして、かの“胸キュン”や“ポナペ”、“SOPHIA”などを仕掛けた方である。私もステディ時代、たくさん取材などでお世話になった。生粋の江戸っ子で、口舌鋭くというか、口は悪いがいい人で、山下久美子の成功もその方を始め、彼女を支えるスタッフの実験や冒険、決断が大きく貢献している。

 

80年前後は、アーティストだけでなく、スタッフの成長と成熟がそのアーティストの世界を押し広げ、面白いものにしていたといっていいだろう。

 

実は、そのことを検証するために、10年ほど前、日本のポップスの隆盛の始まりである80年前後の時代を“30周年”ということで、「ミュージック・ステディ」の過去のインタビューを再録、そして当時のスタッフなどの関係者に新たに取材したものを付記して、単行本として出そうと考えていた。仮だが、「Let's Go Steady ~フラッシュバック Early 80’s J Pops 黄金の80年代――Jポップ誕生秘話」(長い!)という題もあり、実際に出版社とも交渉している。刊行の許諾を受けたので、取材なども始めていた。

 

ところが、間に入っていた編集者の疾走(!?)、勿論、原因はそれだけではないが、結局は頓挫してしまったのだ。

 

辛うじて、そのタイトルは私のブログ「Let's Go Steady――Jポップス黄金時代 !」に残る。ちなみに同題は「大滝詠一徹底研究」の大滝の巻頭の言葉から取らせていただいた。

 

また、過去のインタビューの再録は佐野元春の『ノー・ダメージ:デラックス・エディション』に佐野元春の「ポップス宣言」、大貫妙子の『デビュー40周年アニバーサリーブック』に大貫妙子+伊藤銀次+杉真理の座談会、大滝詠一の『大瀧詠一 WritingTalking』に「大滝詠一徹底研究」、大滝詠一+細野晴臣対談……と、部分的だが、実現はしている。

 

その幻の単行本だが、新規に取材をしたのが、冒頭の山下久美子のスタッフだった方だ。取材をするものの、刊行が不可能になり、そのことをちゃんと伝えることができず、そのまま、数年が経ってしまった。その方が音楽業界を離れていたこともあって、日常、会う機会がなくなり、失礼極まりなことに刊行できないと伝えるのもばつが悪く、音信不通のままにしていた。だが、数年前からFBでその方のお名前をお見かけするようになった。共通の友人が多いので、彼らが「いいね」や「シェア」をすると、自然と。私のタイムラインに上がってくる。もっともそれでもFBフレンド申請などは安易には出せなかった。“かくも長い不在”ゆえ、メールや電話などで、あの時は失礼しました、これからもよろしくみたいな感じで、やりとりするのは、失礼の重ね塗りのような気もしていた。ところが、1年ほど前、FBのタイムラインで、その方があるトーク・イベントに参加することを知る。この機会しかないと、私も参加することにした。

 

 

取材したきり、掲載も連絡をせずという不義理をしている。刊行できないは、私だけの責任ではないが、やはり、人としてどうかと思う(当たり前だ!)。当然、お叱りを受けるのは覚悟の上、流石、『半沢直樹』や『小さな巨人』のように土下座などはしなかったが、気分は平身低頭、土下座である。ところが、その方は会うなり、柔和な笑顔を作って、叱るより、久しぶりと、抱きしめてくれる(実際、してくれたかは忘れたが、気分としてはそんな感じだ)。大きく安堵する。ずっと、胸の奥につっかえていたものが取れたようだった。

 

その再会を契機に、FBフレンド申請し、普通にその方の日記を楽しませていただいていた。中でもその方が山下久美子について書くものが興味深かった。先の“胸キュン”の真相やニューヨーク録音秘話などが綴れていた。当時の貴重な証言である。

 

その証言は山下久美子のコンサート・パンフレット「2017年山下久美子パンフレット(Limitted Edition)『STORIES』」に新たに書き下ろされた。各地のコンサート会場ではサイン入りで販売されたらしいが、私は残念ながら東京公演を見逃し、直接、入手できなかったもものの、メール・オーダーも出来、早速、購入させてもらった。

 

その方の文章は「プロデューサーが語る山下久美子」として、山下久美子のメッセージに続き、掲載されている。その文章からは彼女への深い愛情を感じる、同時にいかに革新的、冒険的にことを成し得たかがわかる。その方の裁量や度量が山下久美子の成功には欠かせなかった。彼女のみならず、当時の日本のポップス、「Jポップ」以前の「Jポップス」の成長と進化を感じることができるだろう。

 

明日、624日(土)には名古屋ブルーノートで山下久美子のライブがある。是非、直接、買い求めていただきたい。そして、見に行けない方は以下でメール・オーダーしてもらいたい。必見である。

 

http://kumikoyamashita.com/stories-mailorder

 

 

実は、そのパンフレット(同パンフレットにはその方だけでなく、歴代の「ディレクターが語るアルバム・ヒストリー」も掲載されている)を見た後、その方を2009年に取材したテープを聞き直している。そこにはたくさんの発見があり、それこそ、いまにも通じるものがあった。単なるノスタルジアではない。

 

 

いかに80年前後に日本のポップスが成長したか。そして、そこで形成されたものは遺伝子となって、螺旋を駆けのぼる。もう35年以上前だが、それはそこかしこに息づいている。生きているのだ。当時の発言をまとめ、検証する作業も無駄ではないだろう。同窓会的なものではなく、それは一級の研究であり、ジャーナリズムの復権のような気もしている。山下久美子を始め、佐野元春、伊藤銀次、杉真理、大滝詠一、山下達郎、大貫妙子、大沢誉志幸、ムーンライダーズ、YMO、モッズ、ルースターズ、PANTA……など、まだ、再録していないインタビューはたくさんあるし、改めて取材をしたいスタッフやプロデューサー、イベンター、ライブハウス、カメラマンなどもたくさんいる。

 

いまさらだが、どうだろうか。いろんな許諾も必要になるだろう。ライターやアーティストによっては掲載不可もあるかもしれない。出版社が出したいと思うかもわからないのだ。もし、興味を抱いていただける方がいたら、お声かけいただきたい。私の尊敬する先達が体調と時間と戦い、記憶と記録を残す作業をされている。私など、ある社会学者をして、極めて柔軟性のある編集者ゆえ、音楽一筋ではなく、一時期に関わっただけだが、私だけしか、語れないものもあるかもしれない。ちょっと、やる気になってきた。改めて“旅”に出る理由を与えてくれた歌と踊りと旅と人生の達人にして、粋人であるブルーベリー男爵に感謝だ。