世界中でプラスチックストローが排除方向に向かっているらしいが、
大変いいと思う。
一番「ソイツは困る!」と思いそうなスターバックスが
先陣に入っているのが好ましく、苦手なスタバのコーヒーだが、
もっと飲んであげてもいいなという気分になる。
ストローといえば、私は1本のストローをゆすいで10回やそこらは使うが、
さすがに中が洗えないからいい加減で棄てる。
特に牛乳混じりの液体に使用したら1回で棄てるしかない。
洗えたらいいのだが。
飲むときはピッチリ巻いていて、洗うときは広げられる
というのはどうだ?
などと、この間から考えている。
生分解性の材料で作るのは可能だと思うし、もうあるかもしれないが、
生分解性なら使い捨ててもおっけー、とも思えず、
やはりストローがないと困る時もあるからだ。
待て、ストローとはそもそも麦わらのことなのだから、
麦わらを使ってはどうか?
稲藁だったら日本にはいっぱいある。
藁をきれいに処理するのにコストがかかるかも知れないが、
そこは消費者が負担すればいい。
しかし藁の処理工程の環境負荷も考えないといけないから、
やっぱり何度も洗える生分解性プラスチックストローが
一番いいかも知れないけど
藁の使い捨てがやっぱり一番やも知れぬので、専門家に判断してもらいたい。
ところで、と声を大にして訴える:
パン屋がレジで客の買ったパンをイッコイッコいちいちいちいち
いちいちいちいちビニールの小袋に入れるのは、
やめないでいい積もりなのか?
と。
これが世界の問題にならないのは、パンの小袋は全然いいからではなく、
この過剰包装の習慣が日本にしかないからではないかと推察する。
これまでに私がパン屋のレジで何度この点で抵抗し、
完敗してきたことか。
「全部同じ、ひとつの袋に入れて下さい」
と、何度表現を変えて言い、そのたびに無力感に脱力してきたことか。
全部ひとつの袋に、という日本語がどうしても伝わらないのである。
何も付いていないクロワッサンとテーブルロールを
2つの袋に隔離する必要がどこにある。
しかも客みずからが、袋を要らぬと言っている時に。
ブリオッシュだけ5つを5袋に分けて入れ、それを更に店名入りの
大きな外袋に入れて、あまつさえセロテープで口を留めるとき、
良心はなぜ痛まぬのか。
カウンターのこちら側で、私の胸がキリキリと痛んでいる時に。
中には明らかに気分を害して表面上慇懃に゛それはできぬ゛と断り、
わざと殊更に分包してよこしたオバハンもいた。
次第に戦意喪失して、黙ることにした私だが、
ストローの件にインスパイアされ、
レジスタンスを再開することにする。