母が引退して施設に入り、2個もいらないから:
1個処分することにして、本日、見積りの人が来た。
見積りって言ってあるのにクレーン付きトラックで
来るから、私は動揺した。
ピアノ2台は絶対不要だしリフォームの邪魔だから、
処分することは決定済みだが、なにしろ物心ついたときから
約50年間この状態だったし、なんだか売る決心がつかなかった。
とりあえず見積ってもらえば、徐々に覚悟ができて行くだろう
売るのはそれから、というつもりだったからである。
売る方のピアノは、中にあった調律の履歴から推測するに
昭和48年頃にうちに来たらしい。
自分の記憶とも合致する。
買取り業者の人は、5、60年前のタイプだと言ったが、
私はこれがうちに搬入された時のことを覚えているので、
私よりは若いはずですが、と言ったら、作られてすぐ売れたとは
限らないとのことだった。
私が生まれるより前に作られて、10年も売れ残っていたのだろうか。
と、今頃そんなことが分かる。
調律の記録からは、他にも、母が病気でピアノから離れていた年の
調律が抜けていることや、長年お世話になった調律師のあとを引き継いだ
子息が、私は1回しか来ていないと思っていたのに6年も来てくれていたこと、
最後の調律が、母の認知症がはっきりして来た12年前であったことも
読み取ることができ、手元に置きたかったが、必要だそうで
ピアノと一緒に持って行かれた。
写真は撮った。
このピアノには、私の、筆舌に尽くせぬ悲喜こもごも、
そして怒りと苦しみとピアノ愛の混じりあった青春のありったけが
染み込んでいる。
手放すのは忍びないのが本当なのだ。
だがどう考えても要らないし、邪魔過ぎる。
しかも、もうハンマーが磨り減ってクリアな音がでない。
それがかえってジャジーで若い頃は気に入っていたが、
力が要るから、筋肉がなくなった35歳頃にはもう手に負えなくなったし、
今はそもそももうピアノなどほぼ触りもしない。
だが今日は、見積りが終わったら帰ってもらい、
今しばらく名残を惜しみたかった。
見積りは、絃が錆びてるしペダルが2本しかないし、
塗装が一部剥がれてるし、7万円、と言われた。
相場の最低ラインだと判断し、では今日はひとまずお帰りを、
と言おうとした矢先、
「でも今日もらって帰って良ければ9万円。」
ときた。
だからクレーントラックで来たのだ。
一旦帰って、また呼びつけると2万円安くするぞ、
というわけである。
それで、売ってしまった私だ。
ワタシの青春の、あれやこれやがいっぱい詰まった、
稀少な色の、木目が美しく現れた、本当は売りたくない、
そして母が何十人もの弟子を教えた、40年あまりもこの家の一部であった
うちのピアノ!
…とか思ってなかったか、私は。
2万円アップごときにアッサリ負けるような軽々しい思い方だったのか。
私というヤツは。
いや、現実的に私の覚悟、とか言ってても結局売るしかないのだから、
2万円上乗せに最後の一押しをしてもらったというのが正しいのだが、
これがホントの現金なヤツ、とも言うかもしれない。
しかし、
「売ったあと、やっぱり返せとか言いません。
売ったあとこのピアノがどうされようと、口を出しません。」
のカミにサインさせられたのは辛かった。
始めてピアノがなくなった空間を見たときは、大きな空隙ができた、
と思ったが、もう一度見たら意外に小さかったなと思ったりした。
トラックに横倒しに載せられて、カバーをかけて紐で固定された
ところは見たが、運ばれて行くところを見送るのは
なんだかいやで、見なかった。
後に、脚の下に敷いてあったこれらが残された。
ちょっと嬉しかった。



