やっと晴れたら、梅雨明けと勘違いした蝉がまばらに鳴きだした。
あの、空がヒステリーを起こしたかというべらぼうな豪雨を
ウチの母はついに気付くことなく終わったのだが、
それを、私はあまりにも重厚な鉄筋コンクリートの建物にいるせいが
大きかろうと思っていた。
しかし今、一つ思い出したことがある。
母の頭の具合がおかしいことが徐々に明らかになりつつあった
ある夏の日のことだ。もう12,3年も前になる。
母は出かけ、用事を済ませて最寄り駅まで帰って来たら、
夕立が降っていた。
ゲリラ豪雨といった激しさであったが、夕立だからすぐに止むのに、
待つことも、タクシーに乗ることも、コンビニで傘を買うこともすべて無視して、
雨から身を守るもののひとつも持たずに、母は
駅の庇護下から出、歩いて帰ってきたのである。
服を着たままあれほどずぶ濡れに濡れた人間を
後にも先にも私は見たことがない。
身体も衣服も、手提げも、その中の財布も、その中のお札も、
徹底的に水浸しになった母が、玄関のドアを開けて入ってきたときの、
私のあの気持ちを何と表現したらいいだろう。
まずは、見たものの意味がわからなかった。
やがて、この雨の中を傘なしで歩いて帰ってくるという異常をやったのだ、
と理解したが、まだなんだか他にも大変な異常があった。
もう一つの異常の正体がはっきりしないうちから、
私は、そのもう一つの異常を忌み嫌うような気持ちに襲われた。
見たくない不快なものを見てしまった嫌悪感だった。
母の顔がおかしいのだ。
仮に、私が豪雨の中を傘無しで歩いて家にたどり着いたら、
大変な目に遭いながらやっとわが家にたどり着いた人の顔をしているはずだ。
疲労、後悔、不快感、自然の暴力に傷ついた心、急激に訪れた安堵感が
見た人に分かるような顔をしているはずなのだ。
そして、少しでも早く帰りたい気持ちから急ぐので、息も上がっているはずだ。
そして何より、間違いなく玄関先で
「もーびしょびしょ!!タオルとってーー!!突然降ってきて!!」
とかなんとか騒ぐはずだ。
そのすべてが、母にはなかった。
まるで晴れた日にのんびりと散歩から帰ったような当たり前の顔をして
ゆったりドアを開けて入ってきて、髪からボタボタ水滴を垂らしながら、
当たり前に
「たーだーいーま。」
と言ったのだ。
つまり、母には、もう雨が普通に認識できなくなっていたのだと思う。
もちろん、雨が降っているかいないかといえば、降っているとは思っているのだが、
一般的に、不要不急の用事がない限り、傘があっても外へは出たくないと思わせるような
豪雨を、そんな気持ちを持つほどに認識することができなかったのである。
雨が降っていると知っていても、本当には知っていず、その雨にずぶ濡れにされても
自分がどうなっているのかがわからない。
十数年も前、まだ一人で出歩けていた時ですら、もうそういう有り様であったのだ。
まだ私が母の認知症を明確に認知していない頃だったから、
この行動が如何に間違っていたかを、考えられたはずの正しい選択肢とともに
ひたすら説明したが、母の考えは、
自分のしたことはあらゆる人がする当たり前のことで、
自分は絶対におかしなことだとは思わない!!
というものであった。
この返答も、いくら頑固でプライドの高い母のものとしても
おかしかったと、今は思えるが、そのときは、
(このバーサンの頑固も病膏肓に入ったな。)
と思うのみであった。
普段からあまり頑固だと認知症の兆候が見過ごされるので、
大変損なのだ。
さらに、憎々しいことに、言わなきゃいいのにご丁寧に
「そりゃあ、あんたはせんやろうけどね。」
という皮肉までつけた。
憤怒で死にそうになったのを覚えている。
上記のようなわけだから、このたびの、数十年に一度の豪雨であっても、
窓から見えていようがテレビで騒いでいようが気付けるはずもなかったのである。
先日の地震を数時間で忘れかけていたのも、
そもそもそれほどの衝撃として認識しなかったからだろうと分かってきた。
これからいろいろあっても今までのように母の心の心配をするのは
心配のし損であるから、やめようと思う。