施設は高台にあって安定していようし、
内容の不充実とアンバランスなほどの重厚な建造物だから
実質的に何の懸念もなかったが、あの揺れと恐ろしい地鳴りで、
母の動揺や如何ばかり、と心配したのである。
緊張をほぐすため、母のお気にいりのカステラを買って施設に到着すると、
受付のおばちゃんが、エレベーターが止まってるから階段で行けと言った。
初めて入る階段室を通って3階に出ると、どこがどうだか
見当を失い、体を半回転させたら、目線の先に母の姿があった。
遠目に見る限り、母は動揺どころの騒ぎでないボンヤリ感に
包まれていた。
近付いた私に気付くといつもより嬉しそうに私の名を呼んだが、
たまたまいつもより嬉しかっただけかも知れないと感じた。
気分はどう?と聞こうかと思ったが、母のニヤニヤ顔を見ると、
気分が悪いとはとても思えなかったので、とりあえず手をとって
居室に連れて行った。
いつもは1階の談話スペースに降りるのだが、
エレベーターが止まっていては、母は降りられない。
居室には椅子もテーブルもないから過ごしにくいのだが、
他の入居者の前でオヤツを食べるわけにも行かないから
居室に行くしかない。
地震は怖かった?と聞くと、少し間をおいて
「地震は、胸が、ドキドキした。」
と言った。
その「間」で、私は、(忘れかけとったなバーサン)と直感する
と同時に安堵した。
もしかしたら今日は落ち着くまで長い間一緒にいてやらなければ
ならないかも知れないと覚悟していたので、肩の荷が降りた。
ベッドに座ってカステラを与え、ぼつぼつと話した。
地震に話が及ぶと、
「昨日の地震は、ほんまに心臓がドキドキしたけど、スグ治った。」
と、二回言った。
私にとっては起こりたてのホヤホヤな今朝の地震を
「昨日の地震」と呼び、私を震え上がらせたあの衝撃から
「スグ治った。」などと言うところを見ると、私の動揺の方がよほど
大きいらしかった。
母は、通常まったく心配せずに片付けられるはずのことだけを
心配しまくり、本当の心配事はまったく心配できないようだ。
私から見て無意味な心配を延々と続けて容量の小さく縮んだ心を
不安で一杯にしているときの母は気の毒であるが、
こういう場合は本人も私も助かる。
地震と何の関係があるのか全然わからないが、
いつも開けてはならないベランダへの引戸が開放されていて、
職員が
「今日だけベランダに出られますから、良かったらお散歩を。」
と言ってくれたので、母を連れてベランダに出たら、
いつも母の部屋から見える景色に、ほんの1.5メートルほど
近付いただけですごく違って見えた、その違いを、
母は不思議なくらい明確に認識して喜んだ。