風邪ひき中、ずっと母の面会どころでなく、申し訳なく思っていたが、
少し良くなって日常生活を再開してからも、感染を恐れて面会を控えていたので、
かれこれ10日も会わずにいた。
母が施設に入ってから、こんなに会いに行かなかったのは初めてであり、
大変気が咎めていたので、11日目にマスク着用にて久しぶりに面会した。
認知症の利点として、母は時間の感覚が全く普通でないということがある。
これで困ることもたまにはあるが、娘が面会しに来ない事態も
ある程度以上長くなると、5日来ないのも10日来ないのも同じになってくるらしい。
無沙汰を恨まれもせず、久しぶりに行ったことを特に有り難がられもしなかった。
とはいえ、行くといつも大変に喜んでくれるので、いつもの
喜び方をして迎えてくれたのは、恨む権利があるものを、恨む心を持たないために
ただ喜んでくれる幼女のようで、可愛らしく感じる一方で胸は痛んだ。
母が認知症になり始めて10数年が経つ。
始めの数年間は、今から比べればほとんど通常どおりの脳力を
保っていたともいえるぐらいだったのに、言いようのない違和感が、
本人と、それ以上に筆者を苛んで、家庭はめちゃめちゃになった。
そのあと数年間、少しずつ、確実に母は変わったが、
その変わり方というのがこの世の摂理の底意地の悪いところで、
母の良い部分がなくなって、悪い部分が力を増して前面に現れる、という形であったために、
娘の筆者は、「こんな人じゃなかったのに。」と気の毒に思えず、
「私は子供のころからずっとずっとこの人のこういうところに困らされ続けてきた。」
と思えてしまい、そもそもの母娘関係が複雑だったことが大きく災いして、
憎さ100倍となってしまった。
母の方は、自分が相変わらずまともであって、元々不出来な娘のやりにくさが増悪したと感じたために、
自分はこれほどのできそこないを作ってしまったものか、と思っていたようである。
そういう家庭の崩壊度は客観的にも明白だ。
次に、ここ1年ほどの病勢で、やっと、このおかしさはさすがに母にあったものとは違う、と
思えることが増え、さらに記憶についても最近のものどころか子供のころのものまで失われ始めた。
すると、とうになくなっていた「母の良い部分」に続いて「母の悪い部分」までもが
現れなくなってきたようである。
そして、良いところも悪いところもまとめて、母を母たらしめていた部分が
どんどん薄まるとどうなるか、ということを、筆者は初めて知った。
つまり、母の、いや、ある人間の個性がある程度以上薄まると、無垢な子供のようなものが残るのではなかろうか。
少なくとも、この頃の母を見ているとそのようだ。
すべからく、人の心の悪い面とは、自己の利益の獲得と防御に関する本能に端を発していると
筆者は思う。
子供は打算を行えず自分を守ることをできないかわりに悪い面も持たず、
だから人を貶めたり、恨んだり、自分を憐れむことをしない。
筆者は自我が芽生えるのが遅く、自分が十代の後半に至るまで
そのようであったことを覚えているので、実感を持ってそう思う。
そして、またそんな自分を少しは取り戻したいと思うが、当然なかなかそうもゆかない。
それを、母は取り戻せ始めているように思う。
そうでき始めた母を、筆者も数十年ぶりに、心から愛せるようになり始めているかもしれぬ。
そうであったら、母の認知症も十分に意義があったことになる。
母が元の母のままで長生きをしたなら、絶対に行けるはずのなかったところに、
筆者ら母娘は行きつけるのかもしれぬ。
本来の母は愛せない、とだけ結論すると残念ではある。
しかし、母の葬式で涙一滴流さぬ自信のあった筆者の、その自信はとうに失われた。
それならば、やはりそれは、この母娘にとってありがたいことと言わねばならぬ。
長生きしそうな様相をますます呈している母であるから、
これから先どうなっていくのか、それはわからないが、
認知症と付き合って10数年に及んで、今はこういうことになっている。