数か月空き室であった隣の部屋に新住人がやって来た。
筆者と同年代か、若干上ぐらいの女性が、ご丁寧に引越しそばがわりの
本高砂屋のエコルセをくれた。
エコルセは数十年ぶりである。
さっそく食べようと思う。
引越しの挨拶には来るわ、ちゃんとしたものはくれるわ、
なかなか立派な人物のようで大変安心した。
独立した息子が付近にいるそうだが、独り暮らし予定らしい。
筆者は知らない人の事情に興味を持つ方ではないが、
印象として、
(離婚したのだろうか。)
と思った。
その隣に1年半ほど前に引っ越してきたおばさんは
筆者より10コぐらい上に見える人で、これも独り暮らしである。
これも
(離婚したのだろうか。)
と思ったりした。
10か月ほど前に1階に引っ越してきたのは
大きな息子のある母子家庭であるが、
(離婚したのだろうか。)
と思ったりしている。
なんか尼寺っぽくなって来た筆者のアパートである。
パーティーしたらおもしろいかもしれないが、
日本人だからとてもできないので結局おもしろくもなんともない。
しかしパーティーした挙句おもしろくもなんともなかったら
もっとおもしろくないことになるので、日本人で良かった
と思う日本人な筆者である。
筆者もこの人らに
(離婚したのだろうか。)
と思ってもらえているだろうか。
それとも
(ありゃあゼッタイしたことないね。)
とか思われているだろうか。
結婚したくないくせに昔は”結婚できなさそう”と思われるのはイヤだと思っていたが、
だんだんと自分でも (そりゃあできないわな。) と思うようになったので、
もうどっちでもいいのだが。
そういえば、筆者がもっとこう、適齢期だったころに、
結婚しそうにないことを心配したオカンが、うろたえて
占い師のところに相談に行ってしまったことがあるが、
その占い師に
「娘さんは何があっても絶対結婚しないでしょう。」
と言われたらしい。
うろたえて相談に行った先でそんな宣告を受けてしまい、
さらにオロオロしたオカンはそのことをその後15年ほども
筆者に黙っていた。
15年も沈黙したくなるほど深刻に受け止めたのかなと思うと
ちょっとオカンが気の毒であるが、その占い師のウデは確かであったようである。
なにしろ
「言葉を使う仕事をするでしょう。」
とも言ったらしい。
本格的に翻訳業を営むことになったのはそれから20年近くも後のことであるので、
わりとスゴイかもしれない。
人生に悩んだ時に
「そうだ、占い師のところへ行こう。」
と思うとは、筆者には未来永劫あり得ない話である。
とても筆者と世界一血が繋がっている人間の
考えることとも思えぬ。
それでまた思い出したが、母の知り合いで近所に住む資産家の
一家があるのだが、この人らはそもそもこの辺の山を全部持っていた
ところ、高度成長期に開発業者が次々と押し寄せてどんどん家を建てたもので、
急速にただの金持ちから超ド大金持ちになり、さらに潤沢な資金を活用して
様々な事業を行い、イチイチ成功しているという、立派な金持ちなのであるが、
その成功の元となっているのが、何を隠そう高島易断なのだ。
大きな決断をするにあたり、「ケ」および「吉日」を選んでやったりやらなかったり
を断じているという。
占いを信じる心を全く持たぬ筆者であるが、
まるで信用ならないものでもないらしいような気がしないでもない、
ような気がすることもないこともない。