叔父の写真 その2 Uncle's Photos Vol. 2 | zuzu's room ズーズーズルーム

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(前記事からの続き)



三、従姉がある時期「STAP細胞は、あります。」に激似


そう思ってみたら顔の種類が同じかも。

中身と表現型があまりにも違うため

今までダレも気づかなかった。

ということは従姉もそこそこカワイかったことになるが、

そこんとこにも気づかなかった。



四、昔の和服女性の着付けがMAXいい加減


古着屋で和服を探したり、付け帯を自分で作ってしまうほど

和服が好きだった筆者であるが、

人生が忙しくなってからというもの全く着なくなってしまった。

なぜか。

人生がどんなに忙しくなろうと、

「この頃忙しくて服を着てるヒマがないんだよね。」

とかいって洋服を着ないことを選択する人間などいない。

しかるに、和服と来た日には、何から何までめんどくさいから

ダメなのだ。

一番めんどくさい部分は、やはり着付けである。

ヤバイ、寝過ごした!!みたいな日に着物しか着るものがなかったら、

どんなにいい加減に着たって絶対の絶対に遅刻である。


それに、いい加減に着るわけにはいかない。

 イ. おはしょりが歪んでいるとか、

 ロ. 着物と襦袢の襟の線がズレているとか、

 ハ. 帯揚げが帯からはみ出ているとか、

 ニ. おくみの線が曲がっているとか、

そんな様子では着物美人どころか、ものすごく

だらしない感じになってしまうから、ジーンズにシャツでも

着ている方がマシである。


しかるに。


明らかに何かの記念写真と思しきおすまし写真における

推定年齢35歳の祖母の着付けの絶望的だらしなさはどうだ。

描写しよう:


 イ. おはしょりが歪んでいる

 ロ. 着物と襦袢の襟の線がズレている

 ハ. 帯揚げが帯からはみ出ている

 ニ. おくみの線が曲がっている


なんということだ、前述の”これだけはNG”項目のすべてが

NGになっているではないか。

ホントは前述のNG項目も祖母の着付けを見ながら書いたけど。


だが、これらは間違いなく”着付けで気を付けるべき主要点”

なのである。なんというハズシ方なのだ、ばあちゃん。


せめて帯揚げぐらい撮影前に 

「ちょっと待って下さい。」

といって帯の間に押し込めばいいではないか。

それが着付け中かのように固結びになって帯の上に

乗っている。


しかし、会ったこともない祖母を責めるわけにはいかない。

祖母に限らず、昔の人の写真を見ると、きっちり着付けられている例が

少ない気がする。

考えてみたら、そりゃそうだろう、あんなめんどくさいものをほぼ毎日

着て、しかも掃除したりおさんどんをしたり、子守をしたり。

いかに着付けに慣れている昔の人でも

イチイチきっちりやってられるわけがないし、

どうせすぐ着崩れるのに、

イチイチきっちりやってられるわけがないのだ。


と思う反面、でもこれ記念写真だよな?

という点がやはり何やら気になるのだが。

それと、ウチのあのいい加減なバアサンの母親だから

やっぱりいい加減だったのかも、という思いも捨て去ることができないのだが。



 *   *   *

もう写真プリントしない世の中にあって、

今回、今さら分かってもなんにもならない教訓を得た:


世の中でイチバン要らない個人の写真記録は景色の写真かもしれない。

なぜなら本人がその景色を目の当たりにした時の感動を覚えていないかぎり、

何十年も後に退色した写真を見たからといって、

そのときの臨場感を思い起こすことは決してできないのだ。

もし何年も忘れられないほどの感動を伴って記憶しているほどの景色なら、

写真はいらぬ。

何十年後かに見て面白いと思えるのは、やはり人物である。

だから、どこへ行ったか分かる程度に景色が映った人物写真がよい。


筆者は景色に感動するタチで、

そこで人間はジャマでしかないと思っているので

今回の教訓に照らすと、後で見て面白くもなんともない写真ばっかり

撮って来たことになる。

実家の納戸にある何千枚ものムダ写真のことを思うと

べらぼうに気が重い。