クリント・イーストウッドの最新作となる法廷劇をU-NEXTで観ました。
御大クリント・イーストウッドは監督に専念。予告編はコチラ。
出産間近の嫁さん(ゾーイ・ドゥイッチ)と暮らす雑誌記者のジャスティン・ケンプ(ニコラス・ホルト)が、ケンドル・カーター殺人事件の陪審員に選ばれます。さっそく始まった裁判で見えてきた事件の詳細はこんな感じ。激しい雷雨に見舞われていた事件当夜、容疑者とされるジェームズ(ガブリエル・バッソ)と恋人ケンドルがバーで口論。外に出たケンドルと罵り合いをした後、徒歩で帰っていくところを車で追って、川が流れる橋の下でジェームズが何らかの鈍器で撲殺したというのが検察側の見解。容疑者が川の方向に車で去っていくところを見た客の証言と、橋付近で死亡時刻付近に容疑者が車の前であたふたしているところを見た近隣住民の証言が有力な状況証拠となっていて、元麻薬売人グループの一員だったというジェームズの有罪をキルブルー検事(トニ・コレット)も確信しています。一方のレズニック弁護士(クリス・メッシーナ)は無実だと切実に訴える容疑者の無罪を主張。この検事と弁護士は学生時代からの知り合いのようで、キルブルー検事は次期検事長と目されるエリート、レズニックはしがない公選弁護人という格差が生まれていたりもします。
陪審員となって臨んだ裁判で事件の詳細を初めて知ったジャスティンはビビります。なぜなら、事件当夜、バーに彼もいたからです。さらに、ジャスティンは死亡推定時刻に殺害現場付近を車で通過中、激しい雨で前方が見えない状況で何かが車にぶつかった音を聞きました。その時は鹿でもぶつけたんだろうと思ってたんですが、自分が被害者女性を橋の上で轢いたのではと疑念を抱きます。というか、轢いたのは自分だとほぼ確信します。裁判が終わって陪審員室に集まった12人。11人が有罪だねと即答するも、躊躇したジャスティンだけがもう少し議論をと提案。すると、陪審員の1人で元殺人課刑事だったチコウスキー(J・K・シモンズ)が検察側の捜査に不備があるのではとか、撲殺じゃなくてひき逃げかもとか唱え始めたもんですから、ビクリとするジャスティン。結局、その日には評決を出すことはできず、翌日以降も陪審員たちで協議して決めることになります。罪の意識に苛まれるジャスティンは陪審員の1人としてどういう結論を出すのか・・・というのが大まかなあらすじ。
原題は「Juror #2」。邦題も意味は同じ。どこかの映画館で上映されるのかもしれませんが、配信のみでのリリースとなったイーストウッド監督最新作。事件の当事者が陪審員になってしまう設定や、アル中から立ち直って新たな人生を歩み始めた主人公が悲劇に襲われた日にまた別の悲劇が起きてしまうという偶然はかなり大胆ですが、一つの事件をめぐる人間模様を上手く織り交ぜながら、抑えたトーンの演出で"正義"のあり方を考えさせてくれる法廷物でした。相変わらず、語り口の安定感はバツグン。とはいえ、「十二人の怒れる男」(1957)同様に大きなスクリーンで観る必要はないかもしれません。ずるく立ち回れば他人に罪を押しつけられる主人公の心の揺れがメインで、検事長の座を狙う立場優先で本来の法曹としての姿勢が疎かになっていた検事の心の揺れがサブストーリーとして絡んできます。こうだと決めつけるような結末ではないものの、妥当なところに落ち着いたのかも。
主役を務めるニコラス・ホルトとトニ・コレットは「アバウト・ア・ボーイ」(2002)では母子役だったコンビで、ラストの二人の切り返しでスパッと終わる簡潔さがいい余韻を残します。ジャスティンの妻を演じているゾーイ・ドゥイッチの愛嬌を伴った美しさは母親のリー・トンプソン譲り。こんな人が嫁さんになってくれるんであれば、誰だって改心しようと思うはず。ジャスティンが相談する知り合いの弁護士役のキーファー・サザーランドはイーストウッド作品だからチョイ役でも出演したんでしょうね。実に単刀直入なアドバイスを送ります。あと、陪審員の一人で日本人俳優の福山智可子が出演。知的な洞察力を披露して、陪審員の中では5番目くらいに目立っていました。俳優さんたちの演技もアンサンブルもいい意味で普段着レベルの自然体で、話の重さとは裏腹にサラっと映画に没入できる心地よさがある映画でございました。可能であれば、あと何本かは監督作を観たい気持ちもありますが。。。