「名もなく貧しく美しく」(1961)

 

戦後まもない東京を生きる誠実な夫婦の物語をWOWOWオンデマンドで観ました。初見。

 

 

監督はこれがデビュー作となる松山善三。予告編はコチラ

 

東京大空襲で逃げ回る人の中に、お寺の家に嫁いだ秋子(高峰秀子)がいました。焼野原で彷徨っているところを保護したみなしごのアキラの面倒を見てたのに、秋子の留守中に孤児の施設に預けられてしまって離れ離れに。幼い頃に聴覚を失った自分を迎え入れてくれた嫁ぎ先でしたが、終戦後夫と死別すると実家に帰されてしまいます。実家でも母親のたまこそ優しく接してくれるものの、姉(草笛光子)弟(沼田曜一)は出戻りの秋子を冷遇。しばらくして、聾学校の同窓会で再会した片山道夫(小林桂樹)の優しさに惹かれると、道夫の猛アプローチもあって再婚。最初に生まれた念願の赤ん坊を不慮の事故で死なせてしまう悲劇の後、路上の靴磨きで懸命に働く道夫と秋子の間に二人目の子供、一郎が誕生。道夫は印刷工で、秋子は裁縫の内職で、育児に励みながら慎ましく生活する日々が続きます。

 

小学生になった一郎は障害を持つ両親を疎ましく感じたり、両親を揶揄する同級生とケンカをするようにもなります。秋子の実家では姉が家出して、グレた弟が実家の権利を売り払ってしまったため、母たまが道夫の家に同居することに。秋子の弟に金をせびられていることを妻に言わないで耐える道夫。その事実を知った後、自分の大事な仕事道具のミシンを弟に売り飛ばされたショックで衝動的に自殺を考えた秋子を優しく諭す道夫。そんな姿を子供ながらに見ていた息子の一郎は、ひたむきに生きる両親の偉大さに気づいて、優しく接する立派な少年に成長していきます。結婚して10年。貧しいながらも幸福を実感し合う秋子と道夫。家族4人で初めての旅行でもなんてことを考え始めた頃、成人したアキラが秋子の留守中に道夫の家を訪ねに来ます。外出先にいた秋子が一報を聞いて、喜び勇んで家に走って戻ろうとすると・・・というのが大まかなあらすじ。

 

劇場公開は1961年1月15日。同時上映は「銀座の恋人たち」。聾唖者を主役にした初めての映画だそうです。戦後貧しい状況でゼロから家庭を築き上げるだけでも大変なのに、身体的なハンデキャップを持つ二人。世間の目も今よりも冷たく、日々侮蔑的な言葉と視線を浴びながらも、悲しい出来事を体験しながらも、清く正しく生きる夫婦を高峰秀子小林桂樹が好演。電車の車両を分け隔てて本音ぶつけ合うシーンは屈指の名場面。秋子の姉弟がヤクザ者なのも不運です。水商売に身を投じる草笛光子は自力で稼いでるからいいとして、悪友(小池朝雄)とつるんで働こうとしない沼田曜一は人間のクズです。イジワル婆さん役のイメージだった原泉が人間味ある母親だったのが救い。不遇と誠実が終始バトルを繰り広げて、誠実が勝ったと思わせておいて、最後に不遇の追い討ちをかける脚本はやるせなさすぎ。

 

音が聞こえない夫婦宅へ深夜に忍び込んだコソ泥。唯一反応した赤ちゃんがヨチヨチ歩きで反応するも玄関で転倒して負傷。眠った夫婦は転げ落ちた我が子に気づかず、それが原因で第1子は死亡。という展開は創作物じゃないと観ていられません。戦災孤児に無償で手を差し伸べるような聖人には、圧倒的に幸福になってほしいのに。。。最初の嫁ぎ先のお寺の檀家の夫婦で藤原釜足、中北千枝子、一郎の学校の校長で加藤武、担任の先生で河内桃子なども出演。成人して立派な警察官になったアキラを、デビューして1年足らずの加山雄三が演じてるのも見どころの一つ。小学校低学年の一郎役を演じたのは、小津映画などに出ていた島津雅彦。少し成長した一郎少年を演じたのは王田秀夫。本作で手話指導をした黄田夫妻の息子さんなんだそうです。お涙頂戴要素を極力抑えようとしている演出にも好感が持てる力作でした。