「十七人の忍者」(1963)

 

連判状奪還に命を懸けた忍者たちの物語をU-NEXTで観ました。初見。

 

 

監督は長谷川安人。予告編はありません。

 

寛永8年12月。二代将軍秀忠の病状悪化に伴う跡目争いを危惧する老中阿部豊後守(薄田研二)が、公儀隠密の伊賀三之組の甚伍左(大友柳太朗)を召集。家光が将軍になることを反対する駿河大納言徳川忠長陣営の謀反を未然に防ぐため、その計画の証拠となる連判状を駿府城から奪取するよう命令。甚伍左は配下の15名の忍者を数班に分けて駿府城潜入作戦を開始。甚伍左の妹梢(三島ゆり子)は江戸で待機しつつ、恋する半四郎(里見浩太郎)の無事を祈ります。ただ、駿府城は根来衆忍者の才賀(近衛十四郎)の陣頭指揮によってガチガチに警備を固めていて難攻不落。甚伍左は半数近くの忍者を玉砕覚悟で犬死させて敵の反応を伺うと、これで猛攻は終わったと駿府城の重臣たちが判断。才賀の助言を無視して、本丸にいる忠長の警備人員を強化して、連判状を本丸から鬼門櫓に移して警備の手を緩めます。

 

その後、将軍秀忠が死去。世間に広まる前に解決を急ぐ老中阿部は、梢を駿府にいる甚伍左たちと合流させます。やがて、城内で唯一警戒を緩めない才賀が、伊賀忍者が16人であることと甚伍左の隠れ家である寺の存在を突き止めて襲撃。たった一人で寺にいた甚伍左は城内の鬼門櫓にある牢に囚われてしまいます。生き残った8人の伊賀忍者堀からの潜入決行次々と倒される中、半四郎と文蔵(東千代之介)が無事に城内に入るも、才賀に捕まります。後から合流した梢は17人目の忍者でしたが、才賀たちが総勢16人と勘違いしていることに気づいた半四郎と文蔵。文蔵が囮になって城内警備の注目を自分に向けます。そして、本来はいないはずの17人目の忍者となった半四郎が、警備が手薄となった鬼門櫓にある連判状を奪還しようとするのだが・・・というのが大まかなあらすじ。

 

劇場公開は1963年7月7日。同時上映は「警視庁物語 十代の足どり」。のちに"集団抗争時代劇"とも称される東映で作られた一連の時代劇の傑作群の最初の作品といえる1本。マンガ『忍者武芸帳』、山田風太郎の忍法モノの小説、「忍びの者」の映画化、TBSドラマ「隠密剣士」などで当時起こっていたという忍者ブームに便乗して、リアル寄りの忍者を主人公にしています。アクロバティックな動きの代わりに、ただ根性のみを武器にして決死の行動をとる忍者たちが抗争の捨て駒として次々に死んでいく展開は非情。17人目の忍者が甚伍左の妹の三島ゆり子だとも捉えられるし、敵側の根来忍者、近衛十四郎にも捉えられるタイトルのセンスはなかなかGOOD。ただ、「十三人の刺客」ほどの完成度はなく、モノクロで殺伐としたリアリズム調のストーリーに旧来の時代劇らしい大仰なセリフの言い回しがあまりマッチしておらず、特撮シーンもお世辞にもよく出来ているとはいえません。

 

とはいえ、大友柳太朗近衛十四郎の大見得の切り合いが見どころであり、伊賀忍者の集団を指揮して数少ない同志を犠牲にせざるをえない苦渋の決断をする老獪な大友柳太朗と、敵側に臨時で雇われて孤軍奮闘する近衛十四郎との頭脳戦には一定のスリリングさがあって、ミッションの成功をついつい見守ってしまいます。自力で牢から脱出して連判状をゲットした大友柳太朗は生き残った里見浩太郎と妹に命運を託します。ラストバトルに敗れた近衛十四郎は、連判状が奪われた後、城に残った大友柳太朗と相討ちとなって共に息絶えて、エンディングのテロップへと繋がります。1990年にフジテレビのドラマで千葉真一率いるJACの面々で本作をリメイクしたようですが、残念ながら未見。千葉真一VS夏八木勲による暑苦しそうな忍者バトルだったらしいので、いずれ観てみたいものです。