「火垂るの墓」(1988)

 

戦争がもたらした悲劇を描いたジブリの名作アニメを観ました。初見。

 

 

監督・脚本は高畑勲。予告編はコチラ。水野晴郎の解説はコチラ

 

昭和20年9月21日、神戸の三ノ宮駅構内で一人の少年が息を引き取りました。少年の名前は清太。ほんの数か月前までは、心臓の持病を持つ母4歳の妹節子との3人暮らしをしていた14才の男の子。海軍大尉の父は出征中。ある日、米軍機の空襲だというんで一足先に防空壕に避難した母の後を追って、片付け物をしてから節子をおんぶして家を出る清太。火の海になっていく住宅地からかろうじて逃げ出したものの、防空壕まで行けないため、別の場所で避難する兄妹。空襲後、はぐれた時のための待ち合わせ場所に母はいません。町内全員の避難場所となっている学校に行くと、全身ヤケドを負った母が治療部屋にいました。節子を親戚のおばさんの家に預けた後、しばらくして母は亡くなってしまいます。火葬したお骨を持っておばさんの家に行くも、節子には母の死を告げることができず、2日後におばさんにだけ告白する清太。

 

おばさん一家と生活することになった清太と節子。家は全焼したため、全財産は母が銀行に残した貯金7,000円。戦地の父からの返信はなく、少しの間だけ居候するつもりだったおばさんの家でダラダラと過ごす日々が続きます。生活が困窮するにつれて、肩身の狭い思いが強くなり、おばさんとたびたび衝突するようになっていく清太と節子。おばさんもついついトゲのある言葉で清太たちを責めることが増えたため、兄妹は家出を決意して、川辺にある防空壕住み始めますホタルを電気代わりに集めて「わぁー、キレイ」なんて言ってられたのはちょっとだけで、次第に食糧も尽きてきていつも元気だった節子栄養失調で日に日に弱っていきます。空襲時に火事場泥棒をしたり、近所の畑泥棒をして捕まったり、近所との交流を絶って生活していたため、戦争が終わったことも数日間知らないまま、なんとか飢えをしのいでいたものの、とうとう限界を迎えてしまい・・・というのが大まかなあらすじ。

 

劇場公開は1988年4月16日。直木賞を受賞した野坂昭如の同名短編小説が原作。同時上映が「となりのトトロ」という凄い組み合わせ。どちらも未見の非国民です。これ見よがしにお涙頂戴のストーリーなのかと思ってたんですが、置かれてる状況はかなりキビしいものの、戦争で多くのものを失った兄妹の様子を抑えたトーンで演出した映画でした。周りの大人たちの兄妹への接し方が親切すぎず、冷たすぎずで、絶妙に現実的。ストーリーは「僕は死んだ」というナレーションで始まって、6月に起きた神戸大空襲から亡くなるまでの3か月間の兄妹の暮らしぶりを、幽霊になっている清太が振り返る構成。ずっと成仏できないで神戸をさまよっていたのか、ラストは夜景に照らされたビルが建ちならぶ現代の神戸を丘から見下ろす清太のショットで締めくくられます。なるべくしてなった結末を客観的に描いていますが、小学生ぐらいの頃に観ていたら、立場を自分に置き換えてダメージを受けたと思います。友達の家にあった「はだしのゲン」を読んだ大昔の衝撃をふと思い出しました。

 

ただ、兄妹が予想していたキャラとは違っていたことにビックリ。厳しい現実に彼らなりに誠実に向き合っても、報われずに不幸になっていく展開かと思ったら、自らの浅はかな判断で悪い方向に進んでいきます。別の選択がすぐそばにあっただけに、なんでそっちに行ってしまうんだろうという苛立ち込みの悲しさがこみ上げてきました。隣組を離脱して小さい子供が防空壕で勝手に暮らしていることにムリがある、そもそも、士官が亡くなった場合、同期を含めた関係者が手厚く遺族たちの面倒を見ようとする海軍の絆があるはずで、遺族を見放すことなんてありえない等の冷静なツッコミもあるようです。ホタルが飛び交うキレイで切なくもある風景や、節子無邪気にはしゃぐ可愛らしい描写が印象的で、多少ライトな感覚で観ることができましたが、戦災孤児に起きた現実はこれよりももっと壮絶だったはず。第二次世界大戦後の戦災孤児は12万人いたと公表(実際はそれ以上だったらしい)されていて、まだご存命の方もたくさんいらっしゃるということに改めて気づかされました。