「ファイナル・カット」(2004)

 

ロビン・ウィリアムズ主演のSF映画をU-NEXTで観ました。初見。

 

 

監督・脚本はオマー・ナイーム。予告編はコチラ

 

脳に"ゾーイ"と呼ばれるマイクロチップを埋め込んで全ての記憶をデータで保存できるシステムがある未来が舞台。本人の死後、ゾーイにある動画データを編集して、葬儀で『追悼上映会』を実施する人もいます。20人に1人ぐらいの割合で利用しているとか。その人の黒歴史を削除して、都合のいい動画だけを編集するため、他人の人生の歴史を作為的に加工するゾーイの活用に異を唱えてデモを行う勢力も存在します。ゾーイの映像は開発・販売元のアイテック社が一括管理。映像を編集する専門家も抱えています。編集者には、ゾーイの映像を他社に売らないこと、ゾーイ編集者自身がゾーイのチップを埋め込んではいけないこと、追悼上映会用に本人の記憶映像以外の映像を挿入してはいけないこと、という3つの掟があります。ゾーイ映像編集業界で名編集者として知られているアラン・ハックマン(ロビン・ウィリアムズ)が本作の主人公。

 

ある日、ゾーイを開発・販売しているアイテック社の顧問弁護士バニスターの追悼上映会用映像編集を依頼されます。バニスターのあまりのクズっぷりを見た編集者仲間が同氏の依頼を断ったため、どんな人間の過去映像も冷徹な意志で編集できるアランに仕事が回って来ました。さっそく、依頼主の未亡人や娘と面会して、編集方針を定めながらいつもの作業に入っていくアラン。バニスターの記憶はアイテック社の不正を暴く証拠となるため、バニスターのゾーイ映像を高額で売ってほしいと元編集者フレッチャー(ジム・カヴィーゼル)から頼まれますが、3つの掟に従順なアランは断ります。一方、編集作業を進める中で、自分の幼少期のトラウマとなった出来事に絡んだ人物の映像を発見して、仕事そっちのけでその人物の過去を洗い始め出すアラン。自身の過去の真相をようやく知った頃、フレッチャーと彼が雇った殺し屋に命を狙われることになったアランの運命は・・・というのが大まかなあらすじ。


原題は「The Final Cut」。最終編集版となる自分の記憶の映像を指しています。自分の葬式で自分が見たモノを記録映像として放送されることが恒例となっている設定。自分が見たモノ全てを死後に誰かに見られるのは、ちょっとカンベンしてもらいたいです。絶対に見られたくない映像だけで30年分くらいありそうです。そもそも、生前に自分自身で自分の記録映像を見られるのであれば、あくまで自分用に導入してもいいかなと思いますが、自分が死んでから脳に埋め込んだチップが回収されるシステムのようなので、そこを突っ込んでも仕方がありません。生まれる前に胎児の脳にチップを埋めるなんてこともできるらしく、出産時の映像からずっと1枚のチップに保存されてる人もいます。小さいチップなので、容量が大丈夫なのかも疑問です。そんな設定の疑問よりも、不可解なのは話の展開。チップの争奪となるサスペンス要素も、アランの過去の記憶を確認するエピソードも中途半端な描き方で、何に力点を置いてるのかが不明です。

 

ある男の映像編集時に恋人として映っていた女性(ミラ・ソルヴィーノ)を気に入って、自分の恋人にしたというエピソードも物語全体の中でちょっと浮いてる印象。どうして名編集者と言われてるのかも良く分からないアランの人物像が見えず、深刻な表情で演技するロビン・ウィリアムズをただ眺めているだけの時間が続きます。終盤のネタバレとしては、アラン自身の脳にもゾーイのチップが埋められていたことが判明。バニスターの映像を敵から守ることには成功するも、映像編集をしてバニスターの行動を全部見たアランの記憶映像目当てで、アランは殺害されます。アランのトラウマになっていた過去もただの記憶違いだったことが分かるだけ。アメリカでは劇場公開後すぐに打ち切りになったというのも頷ける内容。記憶の脳内編集をモチーフにしたこと、タク・フジモトによる撮影映像の美しさ、バニスターの娘役の少女の可愛らしさあたりは褒めポイントの映画でございました。