「セバーグ~素顔の彼女~」(2019)

 

ジーン・セバーグの悲しい実話ベースの映画をU-NEXTで観ました。

 

 

監督はベネディクト・アンドリューズ。予告編はコチラ

 

1960年代後半、夫のロマン・ガリー監督作品に出演するフランスでの活動を終えたジーン・セバーグ(クリステン・スチュワート)が、子供をパリに置いて帰国。飛行機内で抗議活動を行う公民権運動家ハキーム・ジャマル(アンソニー・マッキー)を見かけて声を掛けます。ジャマル個人にも興味を持ったセバーグは夜中にLAのジャマル自宅を訪れます。政治活動への協力を告げるとともにベッドで一夜を過ごす二人公民権運動の首謀者FBIに徹底マークされていて、会話も夜の営みの声も全部盗聴されていました。ということで、ジャマルと親密になったセバーグも危険人物に認定されることに。国に敵対する黒人に協力する者は敵だ、そんな女優のキャリアは潰してしまえという論理でセバーグの徹底監視を開始するFBI。

 

ジャマルとの不倫関係が続く中、公民権運動にもコミットしていくセバーグに第二子が身ごもります。ここで、FBIはお腹の子の父親がジャマルだというデマを匿名で「ニューズウィーク」に投稿。さらに、ジャマルの妻(ザジー・ビーツ)に電話をして、電話口で夫とセバーグのプレイ中の声を流すという陰湿な密告をするFBI。不倫をしてるぐらいならまだしも、異人種間の恋愛がタブーに近かった時代ですから、セバーグに世間から批判の矢が向けられます。本業の映画の仕事もパッとしなくなり、次第に精神的に追い詰められてクスリに走っていくセバーグ。FBI捜査官の中にも個人攻撃が酷すぎると良心の呵責に苛まれる者(ジャック・オコンネル)がいて、セバーグに接近して忠告しますが、聞く耳を持つ状態ではなくなったセバーグは自殺を図って・・・というのが大まかなあらすじ。

 

1956年から1971年にかけてFBIフーヴァー長官が指揮した違法諜報活動の餌食になってしまったハリウッドスターの苦難を描いた作品。公民権運動を支援して人種差別と闘うジーン・セバーグの行動は勇気があり、全く正しいわけですが、戦い方に慎重さが足りなかったというか、脇が甘すぎました。現実世界ではハリウッドを離れて、精神的に不安定なまま、パリで暮らしていたセバーグは1979年に車の座席で亡くなっているところが見つかって、40歳の生涯を終えます。映画では、セバーグがジャマルに接触して盗聴の対象になるところから精神を崩壊していくまでの描写だけでは一本調子になると思ったのか、執拗な捜査をするFBI側の現場担当の二人のフィクションドラマ要素も加えて物語を水増し。当時の白人中年らしい家父長主義丸出しのレイシストにヴィンス・ヴォーン妻の自立への理解もあり、セバーグへの露骨な攻撃にも胸を痛める次世代型の青年にジャック・オコンネルを配置して、人種差別以外にも存在した既成概念が変わっていく時代の空気を捉えようとしていました。

 

ただ、短期間で起きた出来事(フィクション含む)の羅列でしかないのが物足りなく、観る人の感情をグッと掴む何かが足りない感じがしました。まあ、そんなことより、クリステン・スチュワート好きな私としては、カラフルな衣装身を包んだり包まなかったりする姿を見ているだけで眼福ジーン・セバーグそっくりではないものの、時代の寵児であったであろうカリスマ感が良く出ていて、孤高の美しさも放っています。1968年から1971年までの出来事をストーリーにしていると思われるので、「ペンチャー・ワゴン」(1969)の撮影場面らしきシーンもありました。ジーン・セバーグとクリント・イーストウッド(撮影当時、2人は付き合っていたらしい)、そしてリー・マーヴィンという好きな俳優トリオの組み合わせなのに、全く面白くない西部劇コメディだったことを思い出しました。