「昭和侠客伝」(1963)

 

鶴田浩二主演、石井輝男監督の初期の任侠映画をU-NEXTで観ました。

 

 

高倉健の人気シリーズ「日本侠客伝」(1964)「昭和残侠伝」(1965)を組み合わせた、まぎらわしいタイトルですが、この映画の方が先に製作されています。

 

Wikipediaによると、任侠映画路線を展開すべく、ギャング映画路線をヒットさせた石井輝男に撮らせた映画で、東映東京撮影所の仁侠映画としては、「人生劇場」(1963)の2作品、「浅草の侠客」(1963)に続く4作目にあたるとのこと。任侠映画といえば、昔気質の任侠の世界に生きる男たちが、(たいてい悪徳政治家と結託している)欲望丸出しの新興ヤクザに妨害されて我慢に我慢を重ねるも、最後どうにも抑えきれずに主人公が立ち上がって成敗するストーリーが定型となっています。この映画はそういった後の任侠映画のフォーマットになる要素がたくさん入っていますが、まだパターンが出来上がっていない時期だけに、違った描き方をしてる箇所もありました。

 

昭和初期の浅草が舞台。関東桜一家の親分(嵐寛寿郎)が一人娘の良子(三田佳子)と子分(内田良平)と歩いてるところを暴漢に襲われて刺されます。事を荒立てないよう静観する親分に対して、殺気立つ子分たち。襲撃した黒幕とされているのは新興勢力の黒帯組。二代目の土井(平幹二郎)と右腕的存在の常(大木実)が、街中であらゆる悪事を働いています。桜一家の重宗(鶴田浩二)は襲撃の証拠を掴み、単身で黒帯組に乗り込んで二代目を脅迫、詫びを入れさせます。単独行動をした重宗を叱責する親分はほとぼりが冷めるまで重宗を地方に逃がします。1年後、滞在先の伊勢地方でさらに悪事の限りを尽くす黒帯一家の話を耳にした重宗は浅草に戻って、またしても単身で黒帯組に戦いを挑む・・・というお話。

 

堅気には迷惑をかけないことを信条とする昔ながらの侠客のお手本のような存在が嵐寛寿郎。冒頭の襲撃でも大勢の刺客相手に華麗な立ち回りで孤軍奮闘しています。三田佳子演じる良子は幼少時から重宗に想いを寄せていますが、親分は娘を堅気の男を結婚させたいと願っていて、それを察している重宗は良子と距離を置いた対応をしています。この映画においては任侠を重んじる桜一家の人たちを正義側として描いてはいるものの、所詮ヤクザ者であり、真っ当な生き方ではないというスタンスを取っている点は後年のヒロイックな任侠映画と違うところです。重宗の男っぷりに惚れて、盃を受けようと慕ってくるチンピラ二人(待田京介と梅宮辰夫が若々しい)にも身を案じる妻や姉の存在がいて、重宗自身もヤクザ者であることにコンプレックスを持っていて、彼らを任侠の世界から遠ざけようと配慮しているところがあります。

 

鶴田浩二は、良かれと思って黙って単身で決着を付けようとする漢気が逆に状況を悪化させるキャラクターをこの頃からやっています。高倉健の躍動感とは違って、哀愁が漂う着流し姿には鶴田浩二ならではの華があります。また、親分の弟分で桜一家の相談役的立場の役どころに三井弘次、当時歌手として成功していた坂本スミ子が待田京介の妻役に、地方で重宗が知り合ったテキ屋役に芦屋雁之助がキャスティングされているのは珍しいです。菊池俊輔のBGMは和風とモダンが入り混じっていて任侠映画としてまだちょっと落ち着いてない感じ。演出はオーソドックスで、レールを使った移動撮影が多用されていたのが印象的。石井輝男監督としては珍しく、ウェットなテイストの堂々とした任侠映画でした。