वेदाविनाशिनं नित्यं य एनमजमव्ययम्।
कथं स पुरुषः पार्थ कं घातयति हन्ति कम्।।2.21।।
vedāvināśinaṁ nityaṁ ya enam ajam avyayam
kathaṁ sa puruṣaḥ pārtha kaṁ ghātayati hanti kam ||2.21||
おお。ブルターの息子よ!これ(自分自身)を、不滅で、時間に捕らわれず、生まれないもの、そして、
老いないものと知っている人が、どのように、離を殺しますか?まだ、誰を殺すことを強いるのですか?
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●誰が、行いをする人であるのか?
行い手[カルター]なしに、行い[カルマ]も、カルマ・パラ[行いの結果]もありません。
行い手 とは、「決定して行いをする人」として定義されています。
そこには様々な選択があり、変化を伴いますが、
アートマーは不変 [アヴィックリヤー] なので、
どんな行い手観念 [カルトゥルットヴァ] もありません。
例えるならば、夢の中の人にとって、 私は行い手ですが、
夢の世界から自由な人であることを知る人にとって、 自分自身は行い手ではないように。
同じように、アートマーが行いをしているのではなく、
アートマーが装っている行い手が行いをしています。
行い手とは、過去の結果実っていて、 行い手が状況にレスポンスしているだけ。
アートマーの中に、 カルトゥルットヴァが現れては、消えてゆきます。
カルトゥルットヴァが様々に移り変わりますが、 アートマーは変わらずにあります。
・殺す [ハンティ] の解釈
この詩の「ハンティ」 とは、「殺す」 ことではなく、「行い」そのもを示しています。
殺すという行為は、すべきでないことのチャンピオンです。
どんな変化からも自由なアートマーが、
どんな行いもしようがないし、させようがない、という強調として説明されています。
・プールヴァパクシーの疑問
自分自信を行い手と見ていない、サルヴァ・カルマ・サンニャーシーも、
歩いたり、食べたりして、行いをしているように見えますが、
サルヴァ・カルマ・サンニャーシーに、どのように行いがないと言えるのでしょう?
・プールヴァパクシーの勘違い
まず、彼らはサルヴァ・カルマ・サンニャーシーについて以下の勘違をしています。
アートマーとジニャーニーは別の存在である、と思っています。
パソコンの知識を知ったとしても、その人と、パソコンと同じにはならないように、
ジニャーニーが「変化をしないアートマー」ということを知ったからといって
自分が移り変わらないアートマーと同じになり得るだろうか? と。
また、サルヴァ・カルマ・サンニャーシーを、ただ行いをしない人であると思っています。
彼らはこのような勘違いがゆえ、疑問を持ちました。
・サルヴァ・カルマ・サンニャーシー
サルヴァ・カルマ・サンニャーシーとは、知識によって、自分は行い手ではないと見抜いた人。
サルヴァ・カルマ・サンニャーシーとはジニャーニーであり、
ジニャーニーとアートマーは離れてはいません。
ジニャーニーにとって、アートマーにおける行い手観念[カルトゥルットヴァ・ブッディ]はなく、
全てのカルマから、完全に自由な人です。
例えもし、カルマが行われたとしても、体や考えは、行いに従事しますが、
ジニャーニー自身はどんな行いもしていません。
夢の中にいないことを知っている夢の作者にとって、夢の中での行い手観念はないように。
サムサーラの中にいないことを見抜いた人にとって、どんな行い手観念はありません。
カルターはア私だけど、私自身は、カルターではありません。
これが、サルヴァ・カルマ・サンニャーシーの本当の意味です。
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