वेदाविनाशिनं नित्यं य एनमजमव्ययम्।
कथं स पुरुषः पार्थ कं घातयति हन्ति कम्।।2.21।।
vedāvināśinaṁ nityaṁ ya enam ajam avyayam
kathaṁ sa puruṣaḥ pārtha kaṁ ghātayati hanti kam ||2.21||
おお。ブルターの息子よ!これ(自分自身)を、不滅で、
時間に捕らわれず、生まれないもの、そして、老いないものと知っている人が、
どのように、離を殺しますか?まだ、誰を殺すことを強いるのですか?
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
・16~20の詩まとめ
アートマーは行い手でも、行いの対象でもありません。
なぜならば、行い手観念とは、考えに現れる変化であり、アートマーは考えから自由なもの。
ドラマの世界から自由な役者が、与えられた役を演じるように、
体や考えから自由であるアートマーが、体や考えを装って、世界と関わっています。
体や考えは行いをするけれど、私自身は行いをしていません。
行い手は私だけど、私は行い手ではありません。
ですから、私自身は行いの結果に執着しようがありません。
・アートマーは行い手でも行いの対象でもない
殺すという行い[ハナナ・クリヤー]を含め、
どんな行いであれ、アートマーを行いをするものだと考える人は、アートマーを知りません。
そして、アートマーを、殺しという行いや、他のあらゆる行いの対象としてみなす人もまた、
アートマーを知りません。
なぜなら、今まで見てきたように、アートマーは、殺しもしないし、殺されもしないからです。
肯定的に言うと、アートマーを、行いの主体でも対象でもないとみなす人は、
アートマーを知っている人です。
・クリシュナのまとめ
こでまで(16~20)の詩で指摘されたきたことが、
クリシュナによって、この詩でまとめらています。
アートマーは、あらゆる行い手や行いの対象にもなりません。
なぜならば、アートマーは変化するものではないからです。
この理由を述べて、アートマーを知る人とは、
アートマーを死や破壊の対象ではない[アヴィナーシー]であると知っている、
と述べ、結論づけました。
・アヴィナーシー
アートマーは、6つの肉体の変化[バーヴァ・ヴィカーラ]の最後の変化、
死[ヴィナッシャティ]を持たないので、
ここで、不滅であるもの[アヴィナーシー]と表現されています。
アートマーは、死の対象ではないもの、つまり、時間に捉われないもの[ニッテャ]であり、
生まれない[アジャ]であり、どんな種類の衰えも体験しない[アッヴァヤ]として、
アートマーを知る人は、[アートマ・ジニャ]と呼ばれます。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
開催中のヴェーダーンタ&サンスクリット語の勉強会
・タットヴァボーダ文法 (月曜19:20〜)
・サンスクリット語初級文法 (火曜19:20〜)
・プージャーチャンティング (水曜 19:30〜)
・サンスクリット語中級文法 (金曜7:00~7:30)
・ギーターチャンティング (金曜 19:40〜)
・バガヴァッドギーター2章 (金曜 20:00〜)
・タットヴァボーダ& 瞑想会(第1/3土曜19:30〜)