⚪︎sthita-prajña(スティタップラッニャ)

「sthitaprajña」という言葉は、

アートマーの知識に関して、疑いや曖昧さ、間違いを持たない人を指します。
知識がクリアにならない原因は、 疑いや曖昧さがあるからです。
しかし、その人は自分の中の疑いや間違いとしっかり向き合い、それらをクリアにしてきたため、
知識は揺れ動くことなく、しっかり留まってます[sthita]。
また、sthitaprajñaは「揺れ動かない知識」そのものを指すのではなく、
「そのような知識を持つ『人』」を意味します。

「prajña(プラッニャ)」は、あらゆる事柄に関する一般的な知識も意味しますが、
ここでは「私はパラム ブランマ である」という知識を指します。
ですから、その知識に関して揺れ動かない人が、sthitaprajñaと呼ばれます。



⚪︎ samādhistha (サマーディスタ)
また、sthitaprajñaは、

「 samādhistha ( アートマーに留まっている人)」とも呼ばれました。
では、賢者は大切な人の死に直面したときでも悲しまないのでしょうか? 
そうではありません。人間である以上、状況に応じて感情が反応するのは当然のこと。
しかし、どんな状況においても「ブランマンである自分自身を見失わない」ということ、
その人が samādhistha です。

 


⚪︎sthita-dhī[スティタディー]
「 sthitaprajña 」 という言葉はアルジュナ自身が作った言葉であり、
彼の質問から、それがどういうことかを彼がある程度理解してることがわかります。
彼はまた、「sthita-dhī (マインドが揺れ動かない人)」という言葉も使いました。
どのような状況においても、その人のマインドは揺らぎません。

 

 

サンスクリット語の疑問詞である「kim」には二つの解釈ができます。 
・「Yes-No疑問文」→ 彼は話しますか? 
・「Wh疑問文(How)」→ 彼はどのように話しますか? 
ここでシャンカラチャーリヤは、

アルジュナの質問「kim」は後者の「どのように(How)」であると解説しました。
つまり、アルジュナは「賢者って話すのですか?」と質問したのではなく、

「賢者は、どのように話し、どのように座り、どのように歩くのですか?」と尋ねたのです。

では、アルジュナは、賢者の話すスピードや座り方を本当に知りたいのでしょうか・・・?


⚪︎本当の意味で「聴くこと」 
質問に答える際に大切なのは、ただ「質問そのもの」に答えるのではなく、
「質問している『その人』」に答えることです。
それは、言葉を文字通りに受け取るのではなく、
その人が何を考え、どうしてそのような質問をしたのか、
本当に伝えたいことは何か?など、その意図や真意を汲み取ることを意味します。
人は言葉を使うのは「伝えたい意図」があるからです。
しかし言葉とは限りがあるものであり、

また、話し手が自分の意図を言葉で完全に表現できているとは限りません。
だからこそ、聴き手は聞いた言葉から、

質問者の本当に伝えたい意図を汲み取らなければならないのです。 
言葉を額面通りに受け取るのではなく、話し手の「意図」を理解しようと努力すること。
これこそが、本当の意味での「聴く」ということであると言われました。



⚪︎アルジュナの質問の真意
もし「賢者はどのように話し、どのように歩くのか?」という質問を

文字通りに受け取るなら、クリシュナには答えようがありません。
なぜなら、賢者かどうかは、純粋に「知っているかどうか」であり、

「歩くスピード」や「話すトーン」など、

外見上の動作で決まるものではないからです。
 


ですから、クリシュナは、アルジュナの質問の真意を汲み取り、
「賢者はどのように世界と関わっているのか?」
「知識が定着していることを示す特徴はどのようなものか?」と捉えました。
つまり、アルジュナが本当に知りたかったのは、表面上の動作ではなく 
「知識を得た人のあり方(生き方)」だったのです。
クリシュナはこれ以降の詩で、この質問に対して答えていきます。