योगस्थः कुरु कर्माणि सङ्गं त्यक्त्वा धनञ्जय ।
सिद्ध्यसिद्ध्योः समो भूत्वा समत्वं योग उच्यते ॥2.48॥
ダナンジャヤよ。成功や失敗に関して、同じに見方にとどまり、
執着を手放し、ヨーガにしっかり根付いて行いをしなさい。
考えに偏見のない平静さ(サマットヴァ)がヨーガと言われます。
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たとえ普遍的な法則でさえも、解釈が必要
サーマーンニャ・ダルマは、すべての人に共通する普遍的なものですが、
どんな法則にも絶対的なものはないため、
その時・その場所に応じて適切に解釈されなければなりません。
このように解釈されたダルマは、ヴィシェーシャ・ダルマと呼ばれます。
たとえば、交通ルールは、単に規則に従うだけでなく、状況判断が求められます。
目の前から逆走してくる車が向かってきた場合、
反対車線に逃げる行為は、正しい解釈とみなされます。
同様に、サーマーンニャ・ダルマも解釈されなければならないのです。
法則が絶対的でないからといって、ダルマに普遍性がないわけではありません。
人は皆、自分が「いやだ」と感じることを、
他の人も「いやだ」と感じるという共通の感覚を持っています。
そのため、ダルマは普遍的なものだと言われます。
しかしながら、その普遍的な法則であっても、状況に応じた解釈が必要です。
たとえば、誰もが嘘をつかれたくない、真実を話してほしいと望みます。
しかし、ある状況では、誰かを守るために嘘をつくことが、ダルマとなる場合があります。
嘘をつくことで、自分以外の誰かが恩恵を受けるのであれば、それはヴィシェーシャ・ダルマです。
このように、状況に応じて解釈されたダルマを、ヴィシェーシャ・ダルマと呼びます。
カルマヨーガは、イーシュワラの理解を含む
行いの選択は常に、サーマーンニャ・ダルマとヴィシェーシャ・ダルマを決定基準とするべきです。
しかし、単にダルマに沿った生き方をしているだけでは、ヨーガにはなりません。
ダルマを選ぶ根拠がプルシャ・アルタ・ヴィヴェーカであり、
そして、イーシュワラが視野にある時、はじめてヨーガとなります。
18章46番では、カルマヨーガにおけるイーシュワラの役割について説明されています。
यतः प्रवृत्तिः भूतानां येन सर्वम् इदं ततम्।
स्वकर्मणा तम् अभ्यर्च्य सिद्धिं विन्दति मानवः॥18.46॥
yataḥ pravṛttir bhūtānāṁ yena sarvam idaṁ tatam
sva-karmaṇā tam abhyarcya siddhiṁ vindati mānavaḥ
そこ(イーシュワラ)から、すべての生き物が創造され、
イーシュワラによって、この世界全ては満たされています。
自分のすべき行い(スヴァカルマ)を通して、イーシュワラを祈ることにより、
人は、モークシャへと繋がる、アンタッカラナ・シュッディを得ます。
⚪︎イーシュワラの定義
イーシュワラとは、創造主であると同時に、創造された世界として現れている存在です。
したがって、創造世界はイーシュワラから何一つ離れていません。
壺と土の関係のように、どのような結果も、
それが作られた材料から切り離されて存在することはできません。
このように、知的原因(निमित्त-कारण)であり、
同時に物質的原因(उपादान-कारण)でもあることが、
イーシュワラの定義であり、これが創造世界が創造主から離れていない理由です。
一方で、創造主は世界から自立した存在です。
なぜなら、世界がなくても、創造主は変わらずに存在しているからです。
たとえば、夢は私から独立して存在することはできませんが、
私自身は夢がなくても存在することができます。
同じように、世界はイーシュワラに頼って存在していますが、
イーシュワラは世界がなくても存在し続けています。
⚪︎ イーシュワラ・スルシュティとジーヴァ・スルシュティ
個人の創造物、ジーヴァ・スルシュティも、よく見てみると、
「自分が作った」と言える部分は、ほんのわずかにすぎません。
たとえば、あなたが建てた家も、土地や建材、
建築を可能にしているさまざまな自然法則は、あなたが作ったものではありません。
このようにジーヴァ・スルシュティを分析すると、
それは自分が作っていない多くの要素に依存して成り立っていることが分かります。
実際には、あなた一人によって作られたものは何一つないのです。
宇宙創造の法則は創造主から離れてはいない
このように、この肉体も、あなたによって作られたものではありません。
これらはすべて、イーシュワラの創造物(イーシュワラ・スルシュティ)です。
イーシュワラ・スルシュティには、ダルマの法則も含まれます。
これらの法則は、私たちが作ったものではなく、皆がただ感じているものです。
たとえば重力の法則は、人間だけでなく、猿や鳥も感じています。
どんな生き物も、自分が何をすべきかを本能的に知っているかのように、
これらの法則を知り、それに従って行動しています。
⚪︎ サーマーンニャ・ダルマは誰もが感じている知識
重力の法則と同様に、ダルマの法則も、私たちに知られています。
それは教えられることなしに、自由意志を持つ人間であれば、もともと与えられている知識です。
それは、ダルマとアダルマ(正しいこと・悪いこと)の知識であり、
宇宙創造の時に、すでに存在する、誰もが持っている基本的な知識です。
⚪︎ デーヴァターの役割
イーシュワラが創造主であり、創造物が創造主から離れていないのであれば、
創造の一部であるダルマの法則もまた、イーシュワラから離れてはいません。
したがって、ダルマの法則そのものがイーシュワラであると言えます。
この理解から、イーシュワラをダルマとして祈ることができます。
また、ダルマを人格化した、ラーマの姿を通して祈ることもできます。
ヴェーダ文化では、ラーマやクリシュナなど様々な神々(デーヴァター)がいますが、
それは多くの神が別々に存在しているという意味ではありません。
デーヴァターとは、イーシュワラの側面であり、
イーシュワラを認識するために与えられた「形」です。
このように、ダルマをイーシュワラとして理解し、
その時・その場所において自分がなすべきことを行うなら、
どのような行為もイーシュワラへの祈りとなります。
ダルマは誰かが作ったものではなく、
宇宙の創造とともにすでに確立されている法則であり、
私はそれを繊細に感じ取り、理解するだけなのです。
