精神療法士ミミネコのブログ:Let there be light     

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地球が光溢れる場所になることを願って。

           
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8歳くらいの時に描いた絵がでてきました。

 

子供らしい、うまいとは言えない絵ですが、一枚の絵の中に、いろいろなことが起こっている。我ながら、子供の頭の中って、自由でのびのびしていて、観察眼とか空想力とか、大人にはないものをもっているんだなと思わされます。

 

この絵の裏には、「夕方になりました。みんな楽しくおしゃべりをしています」と自分で書いた解説がある。

 

右の家はウサギの家で、窓もウサギの顔の形。パンダが花束を持って、ウサギの家を訪ね、ウサギに愛の告白かなんか、している。パンダのまわりにハートがあるのでわかる。

 

右下の方にはつむじ風が吹いていて、葉っぱが舞い上がり、リスみたいなのが、寒そうにしている。ヘビがリスとおしゃべりしている。

 

その下にはネコがたぶん赤いエプロンをして、葉っぱや火のついたタバコを掃いている。

 

ブタがそばで見ている。

 

 

 

 

このころはよく動物の絵をかいていました。今でも動物が好きだけど、小さい頃から動物が大好きだった。

 

 

 

これも、同じころに描いた絵。あひるのコック(よく絵描き歌で描いていた)のレストラン。キツネがきつねうどんを食べ、トラみたいなのがお酒を飲んで、湯気を出している。

 

 

 

子供の頃は大人と違って、時間がたくさんあったので、絵をかいたり、お話をつくったり、よくしていました。(今みたいにゲームがなかったしね)。

 

色々想像して、想像したものを形にして、楽しんでいたんですね。

 

だけど、大きくなるにつれ、「こうあるべき」を四方八方から教え込まれて、だんだん、自分の頭の領域はせまくなっていった。

 

絵も、この後、小学校3~4年の先生に、「ミミネコの絵はマンガみたいでダメ」「この部分は誰かのマネだからダメ。自分で考えたものでなければならない」(とみんなの前で強く叱責されたので、かえって、先生に怒られないよう、自分の頭で考えるよりは先生に気に入られるような絵をかくようになった)「絵というものは、何十にも絵具を塗り重ねていくもの。そうすると汚くなっていくが、そこに味がある」(そうやって塗ったら、汚い絵だな、といわれた)…こうして、子供は社会に適応し、想像の翼は小さくなっていき、大人の頭は凝り固まっていくんですね。

 

この先生と違って、小学校1~2年の先生は、大人になっても自由な心を持っていた先生で、ほかの先生が職員室で事務処理をしている時間も、子供に交じっていつも一緒にドッチボールをしたり、「校長先生の話は退屈でつまらん」と言ったりする人でした。ミミネコの絵もよくほめてくれ、なので、絵もまだのびのびしていました。

 

小学3~4年の先生は、心に問題があったことが今ではわかるし(他にももっと異常な問題行動が多々あって、大問題になったりしていた)、きっと幼いころ、自分も子供らしさを摘まれるような経験があったのだろうと思います。

 

子供が想像力や観察力を維持したまま、自由に考える頭をもって大人になったら、きっと社会はもっと明るく、開けた場所に発展するだろうなと思う今日この頃です。

 

 

小さいころに書いたと思しきお話を発見。

 

 

おばけのはなし 【ゆかい】

 

①ひるにでたゆうれい

 

ある日のおひる、わかものが、そこらへんをさんぽしてたら、ゆうれいがでたと。

 

わかものは、わらいたいのをがまんして、「ひるにでるなんてどうしたんだ」ときいた。

 

するとゆうれいは、「だって、よるは、くらくてこわいんだもん。」

 

といいましたとさ。

 

 

 

 

 

 

挿絵も書いてある。なぜか、若者は江戸時代のいでたち、ゆうれいも昔のゆうれい。

 

ひとつ言えるのは、この時の方が、今の自分より字がきれい。(今は自分でも何を書いてるか解読できない字を書き殴っている。)

 

一日の疲れが吹き飛ぶようなお話だ。すごいぞ、小さいときの自分!

 

 

最近、欲望に抗えず、恥ずかしいのに買ってしまうものがあります。

 

それは、面白Tシャツ。

 

例えばこんなのを着て町を歩いています。

 

 

 

誰も何も言わないので、そのうち、自分でも着ていることを忘れてしまう。

 

でも、この間、整骨院に来ていったら、毎回、ミミネコの面白Tシャツを楽しみにしている先生の笑いがとまらなくなり、施術に差し支えがでるほどだった。

 

 

こっちは買ったばかりで、まだ着ていない。

 

 

 

これは、「できるかな」のパロディー。普通に愛用しています。

 

 

これは、コラボTシャツ。これは空手の道着の下によく着ていた。空手の先生が欲しがっていた。コラボTシャツはいっぱい持っている。アラビアのりとか、チキンラーメンとか、クッピーラムネとか、スーモとか、ケロッグとか。コラボTシャツは、着るのがあんまり恥ずかしくないのが多い。

 

 

あと、どうしても欲しくて矢も楯もたまらず、さっきポチっとしてしまったのがあります。着る勇気がないかもしれんやつ。画像ないけど、「ゴリラに育てられました」の文字の傍らに、おばさんパーマのゴリラのお母さんが「あんたはよ、宿題終らしや」といいながら目玉焼きを作っている絵が描いてあるの。これ着て、街歩けるかな、と思いつつも、買ってしまった。届いたら、勇気を振り絞って着るぞ。

 

面白Tシャツを見ると、笑いを取るためなら体を張る大阪人の血がどうにもこうにも騒ぎ、買わずにいられなくなります。

 

 

 

 

 

 

 

最近、一本歯の下駄を買いました。

 

 

天狗がこういう下駄をはいているそうで、なるほど、天狗って、脚とかムキムキそうだもんな~と思いました。

 

なんでこんなもんを買ったか。

 

それは、体を鍛えるため。

 

空手の先輩に、「体の軸が安定する」と勧められたのがきっかけ。

 

体幹も強くなって、足腰も鍛えられそう。

 

もうすぐ、空手の大会で、型の試合にでるもんで、体の軸をまっすぐにして、バランス感覚をよくしておきたかったのです。

 

洗濯物を干したり、取り入れたりする、ちょっとした家事は、下駄を履いてやってます。

 

これを履いて四股を踏んだらいいといわれ、練習中です。

 

天狗みたいなゴリゴリのふくらはぎになったらいいな(天狗のふくらはぎがゴリゴリかどうか、そもそも見たことないけど)。

 

 

 

 

 

カウンセリングのお仕事をする際に、ささやかながら、できるだけ心がけていることが2つあります。

 

1つ目は、カウンセリングに入る前に、気持ちを落ち着かせて、自分をニュートラルにすること。

 

例えば、カウンセリングの直前まで、スマホやテレビや、関係ない本を見てほかの情報を入れるということはしないようにしています。外部からの影響は、自分の中に不協和音というか、けがれというか、そういうものを作り出してしまう可能性があるからです。もちろん、個人的な出来事で心を乱したり、というのも、ないようにしておきます。何か突発的な出来事が起こるのは防げませんが、それで心を乱すかどうかは自分次第です。例え、感情的になるようなことがあったとしても、いったん横に置き、切り替えて、自分の中を静かで曇りない状態に整えるスキルは、この仕事をするためには、とても必要だと思います。

 

2つ目は、カウンセリングに入る前、「このクライアントさんのためにお役にたてますように」と、祈ることです。

 

神社とか教会で祈りをささげるようなたいそうな祈りではありません。場合によっては、相談が立て込んでいて、ほとんど合間に時間がないこともあり、そういう場合は、クライアントさんをお部屋に誘導しながら、ちらっと思うだけ、ということもよくあります。でも、クライアントさんがよりハッピーになるための媒体に、自分がなれますように、という意図を持つことは、この仕事では、とても大切です。意図すれば、その方向にエネルギーが動きますから。

 

というか、どんな仕事でも、自分が働くことで、人や社会がより幸せになるように、という奉仕の気持ちを持つことは、仕事がうまくいくための重要な秘訣だと思います。そういう意図をもって仕事をしていれば、不思議なことに(本当は量子力学の仕組みをしれば、不思議じゃないんですけど)食べ物やさんだったら、食べ物がおいしくなるし、大工さんだったら、丈夫で住み心地のいい家ができるし、学校の先生だったら、生徒が勉強を好きになって、成績が上がる、ということが、本当に起こります(そういう仕事の担い手を、私はたくさん目撃してきました)。

 

「はたらく=傍を楽にする」という言葉を聞いたことがありますが、それは真理だと思います。