精神療法士ミミネコのブログ:Let there be light     

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地球が光溢れる場所になることを願って。

           
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昨日、東京に用事があって、新幹線で日帰りしたのですが、景色を見ながら考えたことがあります。

 

新幹線にのって、A地点からB地点に移動するのは、時間がかかる。でも、それって、ここが、距離や時間があって、物質がある3次元だからだ。

 

4次元以上は、距離や時間が存在しないから、どこかに行きたいと思ったら、即座にそこに行ける。正確には行くのではなく、位置するというか、出現するというか、そんな表現が正しい。

 

神様が、たくさんの人がお参りに来ても、同時にみんなのお願い事を聞くことができるのは、3次元に縛られていないからなんだろう。距離や時間に縛られていない次元にいるから、同時に複数の場所に存在することができるんだろう。

 

それから、これとは全然関係ないけど、もう一つ考えたことがあります。

 

帰りの新幹線は、3人掛けの窓際だったのですが、混んでいて、隣の2つの席は大学生くらいの女の子2人が座っていました。

 

女の子たちは、東京から乗るやいなや、いそいそと駅弁を広げて、食べ始めました。チラ見したら、焼肉弁当みたいでした。ミミネコはそんなに腹に持たれるものよう食べんが(つーか、半分ベジタリアンなので、肉は基本的に食べないが)、若いからがっつり食べれるねんな、となんとなく思って、手にしている本に戻り、読みふけっていました。

 

で、食べ終わった後、隣の子が手を合わせて、深々とごちそう様の挨拶を無言でしているのに気づき、思わずまたチラ見してしまいました。

 

なんて素敵な子なんだろう。こんなに心を込めて、食事の後、ごちそう様の挨拶ができるなんて。

 

ちょっと感激しました。

 

ミミネコもこの子を見習って、今後はいただきますとごちそうさまに、もっと心を込めようと思った次第でした。

 

読んでいた本もすごく面白くて(バーネットの小公女を読んでいました。何回目かですが、いつ読んでも引き込まれる)充実した、楽しい道中でした。

 

 

 

 

 

あなたは自分の中心を失わず、まったく動揺していないと思いなさい。

 

あなたは知恵や平静さをもって、世界を眺めていると思いなさい。

 

存在するすべてのものが、あなたと平等であると思いなさい。

 

お世辞にも批判にも、自分は流されていないと思いなさい。

 

目的地ではなく、旅の過程に意識を集中していると思いなさい。

 

あなたがいるところでは、どんな敵意も深い平穏さで克服されると思いなさい。

 

あなたは結果に執着していないと思いなさい。

 

いかなる大嵐にも影響を受けない、深く静かな海があなたの内面にあると思いなさい。

 

焚火の輝きのように、あなたは周囲に愛情を振りまいていると思いなさい。

 

あらゆる人やものが愛で結ばれ、あなたはその愛情にたっぷりとひたっていると思いなさい。

 

どんな疑問にも、正しい答えが自然と浮かんでくると思いなさい。

 

どのような状況に置かれても、自分がやるべきことにきちんと気づくことができると思いなさい。

 

以上は、ディーバック・チョプラ博士の「ゆだねるということ(下)」(住友進訳 サンマーク文庫)から抜粋したスートラ(「第三のスートラ」)です。

 

スートラとは、意味を持つマントラのことで、このスートラは何千年もの間、サンスクリット語で受け継がれてきたものだそうです。

 

この第三のスートラは、自分軸を強くするのに非常に効果的だと思い、ご紹介しました。

 

多くの人は他人軸です。他人軸になると、おのずとネガティブ思考になりやすくなります。自分の幸不幸は人次第、環境次第になるので、不安定になりやすく、疲弊しやすくなります。他人軸の人は、人にどう思われるかを気にし、「人に嫌われないよう、認められるように」を指針にします。また、他人軸は被害者意識を生み出すので、自分の感情の乱れを人や環境のせいにし、自分を振り返って改善していくことが難しくなります。結果として負のスパイラルから抜け出せなくなくなるので、人生もうまくいかなくなります。

 

被害者意識を持っていると、どこに行っても自分に危害を加えてくる人に出会います。なぜなら、被害者意識は、「自分は人に攻撃される。それは必ず起こる」という信念を無意識に周囲に投影し、自分自身で、世界がそう見えるようにしてしまうからです。

 

同じ原理で、人は本質的に優しいものだと信じている人は、どこに行っても優しい人に出会うことになります。

 

本当は、自分の周りにある人や環境はみな、自分の意識を映し出す鏡にすぎません。この真理に気づいた人は、自分が住んでいる世界を変容させるカギを手に入れたようなものです。自分の意識を変えさえすれば、すべてが変わるからです。「地獄極楽は胸三寸にあり」ということわざの通り、自分の住む世界が変わるのです。

 

では、自分の意識をどうやって変えたらいいのでしょうか。その方法の一つがアファメーションです。

アファメーションは「自分自身に向かってする宣言」という意味ですが、特定の文句を唱えて、その言葉の意味に意識を集中させることは、自分の内在する力を引き出す効果をもたらします。サンスクリット語のスートラは、言葉の音の響き自体に力があります。インドの古典のリグ・ヴェーダは、サンスクリット語の詩編を集めた聖典ですが、正確な発音で詩を唱えると、天候をも変えることもできると聞いたことがあります。ここでご紹介したスートラは日本語に翻訳されたものですが、アファメーションとしての作用だけでも十分、自分を内側から変える力を持っています。

 

特定の言葉に思いを集中させると、それが意思となり、物事を形作ったり変えたりするエネルギーが生まれます。エネルギーは意図する方向に流れるので、こういう風になりたいという意思を持つと、その通りになっていきやすいのです。

 

例えば、「私は自分の中心を保ち、まったく動揺していない」という思いに集中すると、本当に自分のエネルギーがバランスよく中心に集まり(これをセンタリングといいます)、自分の中がさっきより穏やかに静かになったと感じるようになります。

 

自分以外の他者を動かすことは、その人自身の意思もあるので、いつも思い通りになるとは限りませんね。それどころか、他人の意思に干渉して操作することになりかねず、相手に不快感を与えるのみならず、自分の内部にもひずみを生じさせる可能性があるので、気をつけなければいけません。けれども、自分自身に関する限り、自分はこうだという意思をもち、その意思に集中するだけで、本当は自由に、意のままに変えることができるのです。

 

この第三のスートラを全部唱える必要はなくて、どれかピンとくるもの、心がひかれるものがあれば、一つでも二つでもいいので、それを選んで唱えればいいと思います。(腑に落ちない言葉を唱えても効果は期待できないので、逆にピンとこない言葉はスルーした方がいいでしょう。)一人になれる環境でしばらく心を落ち着かせた後、唱えると効果的ですし、紙に書いて、時々眺めてもいいでしょう。

 

このスートラを意識するようになれば、だんだんと自分軸ができて、土台がしっかりしてくるので、揺るがなくなっていくのが感じられるかと思います。自分軸になると、無駄なエネルギーの流失がなくなって、疲れにくくなるし、人間関係もスムーズにいくようになるので、幸福度もおのずと増していきますよ。

今日は、とても心を痛めた日でした。

 

朝、なんだか外でブンブン蜂みたいな音がするな~と思って、ふと外を見ると、ものすご~く大量の蜂が、家の庭に、雲霞のごとく飛び交っているではございませんか。ヒッチコックの鳥さながら、何千匹いるかわからないくらいです。

 

これはまずい、さすがにどうにかしなきゃ、近所迷惑だ。どうか、近所の人も郵便屋さんも、家の庭を横切るクロちゃん(野良猫)も、誰も刺されませんようにと一心不乱に祈りつつ、早くどっかにいってくれるよう、できるだけ気持ちを落ち着けて、瞑想をはじめたミミネコ。

 

瞑想してる場合かと思うかもしれないけど、今読んでいる、ディーパック・チョプラの本に、自分の意思を宇宙の意思の共鳴させて、意のままに物事をなす方法というのがあって、それを試そうと思いたった。とにかく、人も動物も蜂たちも、誰も傷ついてほしくないから、自然の調和のうちに、この出来事が平和は終わり方をしますようにと、できるだけ気持ちを落ち着けて祈りまくりました。

 

そうしてるうちに、祈りの効果か(ただ蜂が飛ぶのに疲れただけかもしれないが)、蜂のブンブンが収まってきたので、庭に出てみると、オーマイガー!庭の松の木に、ものすご~いでかい巣があって、蜂がうじゃうじゃ群がっている!?さっきまで飛び交っていたのが、巣に収まっている。ていうか、昨日までなかったのに、一夜にしてこんなでかい巣が現れるのは、いと不思議なり。

 

ミミネコは蜂の巣があっても気にしないたちですが、これは規模が違う。こんなに何千だか何万だかの蜂の巣があったら、近所から苦情がくるのは必至。うちによくお客さんもくるし、誰か刺されたら大変。そう思って、とても辛い気持ちで、蜂駆除の会社をネットで調べて、電話してきてもらいました。何がつらいって、蜂がせっかく作った巣を壊して、何の罪もない蜂を(だってまだ何もしてない。ただ一生懸命生きているだけの蜂なのに)殺すのが、嫌でしかたない。

 

しばらくしてやってきた蜂駆除の人は、松の木の下の蜂の大群がたむろしているのを見て、「うわ~」と一声。そして「これは巣じゃない。ミツバチですね。」確かに、よく見たら、巣と思ったのは、蜂の集まった塊でした。「渡り鳥みたいに移動するんですよ。移動の途中でこうやって一時的に休んでいる可能性がある。」「巣を作っているってことはないんですか?」と聞くミミネコに、「ここを住処に決めて、この下に巣を作り始めているのか、ここからまたどこかに飛んでいくかは、わかりません。飛んでいくなら3日くらいで移動するっていわれてます」

 

じゃあ、何日か放置してたら、どっかにいくのかなあ。でも、巣をつくられたら大変だし。ミツバチは刺さないっていうけど、やっぱり近所迷惑だし、何かトラブルがあっても困るしと思い、

 

「殺したくないので、集めてどこか山の中に逃がすことはできませんか」と聞くと、「それはできますよ。薬剤をかけるかかけないかだけで、捕獲する作業自体は同じなので。駆除じゃなくて移動させるということで、同じ料金でお引き受けできます。」

 

見積料金はかなり高額だったけど、殺さないでくれるなら、思い切って頼んでしまおう。

 

そう思って、駆除ならぬ、蜂の移動をお願いしてしまいました。

 

作業自体は40分くらいで終わり、蜂は大部分袋に入れられて、捕まえ損ねた蜂が100匹か200匹旋回しているだけとなりましたが、支払いをすませ、ことが終わった後も、ミミネコの心は痛んだまま。残った蜂が集団から引き離されて生き別れになってしまった。生きて行けるだろうか。それに、捕獲されて袋に入れられたとき、何匹か死ななかったろうか。かわいそうなことをした。

 

これでよかったんだろうか。蜂さん、ごめんなさい。朝から祈りまくり、心を痛めまくったので、大変疲れた一日でござった。文字通り、(蜂が)降ってわいた災難でございました。

 

ついでに言うなら、とんだ出費だったなあと思い、ふと空を見上げたら、雲が輝く青空で、なんてきれいなんだろうと思いました。その瞬間、「ああ、そうだった、本当にいいものって、お金で買えないんだ。」と気づいて、お金のことはどうでもよくなりました。

 

捕獲された蜂さんたち、残された蜂さんたちが、どちらも集合意識とつながり、宇宙の叡智とつながって、それぞれ(あるいは再会して)幸せに生きていってくれることを祈るばかりです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

力には、二種類あります。

 

パワー(power)とフォース(force)。この二種類の、どちらの力に意識がつながっているかによって、人は、強くもなり、弱くもなります。

 

このことを、キネシオロジー(筋肉反射テスト)を用いた膨大な量の実験に基づき、体系的に説いたのが、デヴィッド・ホーキング博士です。

 

キネシオロジーでテストすると、有害な物質にさらされた体は、筋肉が瞬時に弱まるという反応が起きます。

例えば、低血糖症の患者が砂糖を口に含むと、三角筋が弱まる反応を示すそうです。

 

ホーキング博士は、自らの講演中、1000人の聴衆を相手に、こんな実験をしました。1000人中、500人に人工甘味料を入れた封筒を配り、残りの500人には有機ビタミンCが入った封筒を配りました。2人一組でキネシオロジーテストをしてみたところ、全員が、人工甘味料には弱い反応、ビタミンCには強い反応を示しました。

 

特筆すべきは、被験者が、封筒に何が入っているか知らなかったとしても、有害なものには弱い反応、いいものには強い反応を示すということ。体はそれ自体、叡智を持っているからです。

 

ホーキング博士は、被験者に特定の思考や感情をもたらす記憶や状況を思い浮かべてもらい、キネシオロジーを使って、膨大な数と頻度のテストを行いました。その結果、怒りや失望、嫉妬、落ち込み、罪悪感や恐怖に対しては、例外なく筋肉が弱くなり、愛する人や楽しいことを思い浮かべると、誰もが強い反応を起こすことがわかりました。

 

また、物質をイメージするだけで、実際にその物質に触れていなくても、実物に触れているかのような反応が起こることも判明しました。例えば、殺虫剤を使って育てられたリンゴと、有機栽培されたリンゴを掲げて、それぞれに焦点を合わせて見るというテストする実験をしたところ、殺虫剤のリンゴでは弱い反応、有機栽培では強い反応が起こりました。見る人は、どちらがどっちのリンゴか知らされていなかったにも関わらず、即座に、全員にこの反応が起こったのでした。

 

この手法を用いて実験を重ね、ホーキング博士は、下記の表を作りました。

 

「意識のマップ 」と名付けられたこの表で、200の勇気から上がパワー、175のプライドから下がフォースになります。

 

神の視点 人生の視点 レベル ログ 感情 プロセス
Self(大なる自己Self) is(存在そのもの) 悟り 700-1000 表現不可能 純粋な意識
存在する全て 完全 平和 600 至福 啓蒙
ワンネス 完成 喜び 540 静穏 (神)変身
愛のある 恩恵 500 崇敬 啓示
英知 有意義 理性 400 理解 抽象
慈悲深い 調和 受容 350 許し 超越
奮い立たせる 希望 意欲 310 楽天的 意図
権能を与える 満足 中立 250 信頼 開放
許認 実行可能 勇気 200 肯定 強化
無関心 要求 プライド 175 嘲笑 慢心
執念深い 敵対 怒り 150 憎しみ 攻撃
否定 失望 欲望 125 切望 奴隷化
刑罰 怯える 恐怖 100 不安 内気
軽蔑 悲劇 深い悲しみ 75 後悔 落胆
避難 絶望 無気力 50 絶望 放棄
復讐心 罪悪感 30 批判 破壊
嫌悪 悲惨 20 屈辱 排除

引用元:「パワーかフォースか」デヴィッド・R・ホーキンズ著 ヘハン・デラヴィ&愛知ソニア訳 ナュラルスピリット社 p.372

 

端的に言うと、人の意識状態が、200以上(パワー)につながっていると、その人の生命力は強まり、健康になりますし、200より下の低い状態(フォース)につながっていると、その人は弱体化し、免疫も弱まるので健康を害しやすくなるということです。

フォース(force)は「強いる」という意味合いを含みますが、他者を支配して自分が上に立つことで得たり、誰かと競争して勝つことで得たりする力は、フォースです。自分が弱いふりをして、他者から憐れみをひきつけて獲得する力も、誰かを操作して得るという意味合いで、フォースになります。お金や社会的地位、依存するものから得られる一時的な快楽、他者からの賞賛や承認で得られる一時的な高揚感も、すべてフォースの類です。

 

フォースは持続せず、すぐに消えてしまうはかないものなので、常に外から供給しつづけなければなりません。どんなに外から補っても決して満たされることがなく、すぐに空虚な気持ちになり、「もっと欲しい、もっと、もっと」と、尽きぬ欲望をかきたてます。本当に自分を強化する力ではないので、力を得ているはずなのに、疲労感を得やすいのも特徴です。

 

パワーは、人から奪い取ることで得られる力、フォースと違って、すでに自分に内在する力です。パワーは人間の気高さや慈愛とつながっています。例えば見返りを期待せずに行う利他的な行為や、悪口を言われても動じず、報復することなく許す寛大さなどは、その人にパワーをもたらします。これらは、その行為をした人自身にも肯定的な気分や強化された身体感覚をもたらしますが、周囲の人も、その人のパワーから漂う威厳や高貴な雰囲気を感じ取るため、心から賞賛したくなったり、感化されて自分もより高い状態に引き上げられやすくなります。

 

パワーは、自分の中に内在する力とつながった状態であり、他者を必要としません。いつでも得られるし、永続性があります。例えば、100年前に書かれた書物であっても、パワーがあふれる人が書いた本は、読む人に感銘を与え、心を強くさせる作用がありますね。

 

同じ行為をするにしても、その人の意図が、パワーとフォース、どちらかにつながっているかによって、結果が違ってきます。

褒められたい、認めたいと思ってする善行は、フォースに動機づけられるので、人の尊敬を得ることがなく、かえって褒められたり認められたりしないものです。自分にポジティブな力を与えることもできません。

 

フォースの状態を抜け出せない人は、残念ながら、環境を変えたとてしても、同じ辛い状況を繰り返しつくりだしてしまいます。

私は予言者ではなく、透視能力があるわけでもありませんが、多くの人を見てきて、パワーにつながっている人は、この人はどこに行っても成功するし、幸せになっていけるな、と確信がもてますし、実際そうなっています。カウンセリングで劇的に変化し、症状がなくなり、人生が好転する人を何人も見てきましたが、思えば、その人たちはパワーにつながることができた人です。

 

多くの人が、常にパワーの意識状態を保っているわけではなく、フォースの領域に行ったり、パワーの領域に上がったりを繰り返していると思います。人生には日々色々なことが起こり、人との関わりの中で、色々な感情を抱くものですから、それは当たり前ですよね。そんな日々の暮らしの中で、パワーの意識を増やしていくことを心がけることは、自分を成長させることであり、人によい影響を与えて世界をよくしていくことにもつながり、生きている意味があることだなと思います。

 

水晶を手に持つと、精妙な振動を感じます。ブーンって、小刻みに震えている感じ。

 

全部が全部じゃなくて、一部の水晶ですが。

 

すごく微妙な感覚だから、昔は気のせいかと思っていたんだけど、これって水晶の波動だなと最近ようやく確信できるようになってきました。

 

試しに、プラスチックのシャーペンとか、別のものを持ってみてると、振動はない。もう一度水晶に持ち替えてみると、さっきの小刻みな振動が感じられます。

 

ただし、本当は、人も物も、すべてのものは振動する原子からできているから、プラスチックのペンだって振動しているはずだと思いますが、波動のレベルが違うんでしょう。プラスチックの波動は低いですよね。だから、同じものでも(例えば食器とか)プラスチック製品は、陶器より安っぽい感じしますよね。陶器は土から作られていて、作る過程でも、人が手でこねて、心を注いで、っていうことをしていると、物のエネルギーは格段にアップするんだと思います。

 

ちなみに、7最近持ってみて、かなりはっきり振動を感じたのは、アクアオーラです。

 

余談ですが、自分に合う石ってあるなあと思う今日この頃。久しぶりにギベオンのネックレスをつけてみたら、やっぱりギベオン、すごいなあと感じます。何がすごいって、地に足がついて、行動するパワーがはっきりわかるくらい増す。現実化するエネルギーを増幅する石だと思います。隕石系の石って、自分に向いているなと思います。