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ショコラのブログ

ブログやら語り。

実写版のジャングルブックを観てきました。
もう予告からして、ジャングルや動物の迫力や生きた感じが凄く魅力的だったので映像美は期待してましたが、実際に観るとさらに凄かったです。
こっちまでジャングルに迷い込んだような、とはまさにこの事。

木々の緑、鬱蒼とした密林の奥深く、乾季でひび割れた地面、雨季で濡れた泥や地面、
動物の動きや、骨格や筋肉を思わせる体つき、息遣い、毛並み、雨で濡れた毛の質感・・・

生々しいほどにリアルで、美しさも恐ろしさも十分に伝わるものでした。

以下はネタバレ↓↓


















①人間の存在

幼い頃に密林で孤児になったモーグリは黒豹のバギーラによって狼の群れへ託され、
狼に育てられます。
母狼のラクシャは実の子どものように愛情を持って育て、他の子狼達も兄弟のように一緒に育ち、群れのリーダーのアキーラからも寛大に受け入れられます。
バギーラは父親のような、師匠のような存在。
たくさんの動物に受け入れられ、守られて育った人間の子のモーグリ。
人間であるとはいえ、生物の子供。
危険なジャングルの中で親を失って、このままでは死んでしまうだろう幼児を放っておく事はできなかったのでしょう。

それでもモーグリはやっぱり動物達の中では異質な存在。
狼の兄弟達と同じにはなれないし、他の動物達が誰もしない事=道具を使う事をしてしまう。
狼らしくないという理由で道具の使用は禁じられてますが、そもそも道具というものを思い付いたのは人間の本能であるように思えます。
動物の群れの中で育てられても、消えない人間の本能。
つまり、人間は異質な存在。

本作のヴィランズ、虎のシアカーンは人間は敵だと言い、モーグリを執拗に殺そうとします。
彼はモーグリの人間の父親を襲い殺し、抵抗された際に片目に火傷を負わされたという私怨もありますが、
今は子供でも、いずれ大人になる=人間は脅威になる存在だという彼の持論。

他の動物達の「人間であっても子供は守るもの」という理論と相反する、
彼の「子供であっても人間は脅威になるもの」という理論。
これはある意味、正論とも言えます。
実際に、人間は環境を破壊したり、動物を乱獲して絶滅させたりする、ジャングルと動物にとって脅威になる恐れのある存在。
クライマックスで、モーグリはシアカーンと闘うために火を手に入れますが、その火種によってジャングルが火事になってしまうし、火を見た動物達(兄弟同然の子狼も含む)が怯える描写もあります。

人間と動物の共存とか、自然と共に生きる人間とか、大切な事ではあるけど、それは簡単な事ではない。
人間の異質さ、恐ろしさを感じます。

一方で、「赤い花=炎」を手に入れて、人間に近付こうとするキング・ルイは動物達の中でも変わっています。
既に猿の王である彼はさらなる力を求めての事ですが、もしかして類人猿は人間に近い存在だから興味があるのかもしれないという考えもよぎりました。

ちなみに、彼の歌う「君のようになりたい」はアニメ版でもお馴染みのディズニーの名曲ですが、アニメ版ではオランウータンだったのに対して、実写版ではギガントロピテクス。
凄い迫力でモーグリに迫りながら、あの明るいジャズテイストな歌を唄うので、ちょっと絵面的にシュールでしたww


②バルーとの出会い

バギーラとはぐれ、大蛇のカーに食われかかってたところを救ってくれたのが熊のバルー。
アニメ版の名曲「ベア・ネセシティ」も健在。
ジャングルに残りたいなら残ればいい、
悩みなど何もない、楽しく気楽に暮らそうというバルーはモーグリと親友になります。
なんとなく、「ライオンキング」のティモンとプンバァとの出会いと雰囲気が似てる気がしました。

優しくもあるが厳しいバギーラが父親や師匠であるなら、バルーは気兼ねのない親友といった存在です。
そしてどちらもタイプは違えど、モーグリを大切にしてくれる存在。
正反対の2頭ですが、モーグリを助けるためのシーンでは協力します。

個人的な萌えポイントは、猿にさらわれたモーグリを追うところの、
川に道を阻まれるバギーラの前に、バルーが川に飛び込み、自身の背中を踏み台にさせるシーン。
崖の岩壁を軽やかに跳ぶバギーラに対して、崖上りが苦手なバルー。
そんなバルーに、バギーラが先を進みながら「俺だけ見ていろ。他は見るな。」と助言するシーン。
そしてクライマックスで、シアカーンと闘った後、バギーラがバルーに「よく逃げずに闘ったな。」と言うシーンです。


③悪役の死の理由

アニメ版では最後に逃げるだけだったシアカーンが、本作では炎の中に転落して死亡します。
動物が死ぬシーンを見るのは個人的に嫌なのですが、彼の死に理由があるとすれば悪質性だと思います。
コミカルな雰囲気だったアニメ版と違い、シリアスな雰囲気の本作。
それに加え、本作のシアカーンは狼のリーダーであるアキーラを殺しています。
「モーグリは群れを去った。もう争う必要はない。」と言うアキーラに、「・・・そうか。」と答えて、次の瞬間に一瞬で襲いかかるという卑劣な手口。
しかも、モーグリが群れに戻ってくるまで、狼の群れに居座って支配する悪質性。

挙げ句、一番ゾッとしたのは彼がラクシャの子ども達と戯れてるシーン。
一見、子狼達に優しく接してるように見えて、実はカッコウの託卵の話をしている。
「別の雛を育てさせられ、元からいる本当の雛は捨てられてしまい、死ぬ事になる。」と、まるで子狼達がモーグリを不安視するような意識を植え付けているような・・・。
ラクシャに「もう寝なさい。」と言われ、巣穴に戻ろうとする子狼達の中の1匹を前足で阻んで止める。
すぐに放してやるものの、子供相手にも何をするか分からない無言の圧力にゾッとするシーンでした。
トドメに、「狩り以外で、自身の力を誇示するためだけに無駄な殺しをする」という凶悪さを高める設定付き。


悪役が死ぬ理由があるとすれば、それは凶悪さと作品の雰囲気がシリアスか否か、
そして「絶対に悔い改める事はなく、自身の悪事を実行し続ける執着」だと思います。
シアカーンは死ぬまでモーグリを狙い、狼の群れに圧力をかけるでしょう。
ディズニーのヴィランズ(特に最後に死亡する者)には、このタイプが多いと思います。

なぜ悔い改める事なく、悪事を執拗に続けるのか。
それは、ヴィランズはヴィランズなりの正義や誇りに基づく悪事であり、強い意思によって行われてるものだからです。
悪とはいえ、かなりの強い信念がある以上、それを砕く(改心させて和解する)事は出来ない。
これは悪役としての魅力でもあると思います。
ただ、悪事を砕く事ができない以上、善良なる主人公が報われて、物語が幸せに結末を迎えるためには、悪役は葬り去られなければならないのだと思うし、悪役にはそれくらいの覚悟があるのかもしれない。
シアカーンが、1歩進む度に木の枝が軋んでいる事に気づき、下は炎であるにも関わらず、モーグリを執拗に襲ったように、それは「本気の悪役」である事の証明だとも思います。


④自分のやり方で。

狼らしくないという理由で道具の使用を禁じられてきたモーグリですが、道具を使って見事にバルーのための蜂蜜を取ったり、穴に落ちた象の子を助けたり、彼の能力が発揮されていきます。
あの子はスゴいと褒めるバルーに対して、「当たり前だ。俺が見つけたんだから。」と誇らしそうなバギーラ。
それは、守られる存在だった幼い子が逞しくなっている事に気づいたような、我が子の成長を見る父親のようでした。

動物の仲間と一緒にシアカーンと闘おうとするモーグリを止めて、バギーラは「おまえはダメだ。やるなら人間のやり方でやれ。」と言います。
力では敵わない者が闘って生き残るための武器は知恵。
爪も牙もない彼には、道具や炎を考えて使いこなす知恵があり、それは人間の象徴でもあります。
自分らしい自由なやり方を許された時に、彼の本当の力が発揮されていきます。


⑤結末の違い

アニメ版のモーグリは、人間の女の子を見つけた途端にあっさり彼女について行き、ジャングルを離れて人間の村で生きる事にします。
これは、親もとを離れて異性に興味を持つようになり、自分の新しい居場所を見つけたという事、つまり、彼が大人になったという印象を受けました。

本作のモーグリは、ジャングルに残り、狼の家族やバギーラ、バルー達と暮らし続ける事を選びます。
狼にはなれない彼は人間として、その異質さも受け入れて生きていく事。
自分の居場所を守り抜いたという事。

どちらにしても、少年が自分の生き方を決めたというラストでした。


※余談
スタッフロールが凝ってて、かなり面白かったです。
本のページに載るサイズになった動物と、リアルサイズの動物の対比。
特に、小さいシアカーンが大きいネズミを前にしたしぐさが猫っぽくて萌えました。