前回の『論理とは何か?論理力がないことによる弊害』の続きです。
3. 日本人が論理が苦手な原因
ここで、なぜ日本人が論理が苦手なのかを考察してみたいと思います。実際私が見てきた方たちも、論理とは何なのかすらよくわかっていない状態で、英語に必要な論理力が身についている方は皆無と言っても過言ではありませんでした。
以下が私が考える主な原因です。
①教わる機会がない
日本では、学校でも家庭でも、社会に出ても、論理について教わることはまずないと言ってもよいと思います。これが一番大きいのでしょう。あるとしたら、一般的には大学などで論文を書くために習うくらいでしょうか。日本の学校ではほとんど必要とされていないようなので、そもそも教える側もわかっていなかったり、教えられる人が少ないということもきっとあるでしょう。日本の文化で生活をしている場合、自分から意識して学びにいかないと、自然とは身につかないのでしょう。
余談にはなりますが、私は日本の義務教育でも、日本的、文学的な起承転結の文章とは別に、論理的な文章を書くことも教えるのがよいのではないかと思います。日本人が英語を習得し、使ううえで、論理力がないことが、かなりのハンデになっていると感じるからです。論理力なくして英語力だけを鍛えることに、かなりの無理を感じ、違和感があるので。
②文化(言語的性質)の違い
考えられる主な原因のもうひとつが、日本と欧米の文化の違いです。日本語は曖昧であたりさわりのない表現がよしとされる一方、英語はほぼ間逆で、論理性、明確さ、伝わりやすさなどが重視されます。機能的で、質実剛健という感じ? アメリカは、melting pot (人種のるつぼ)と言われるように、異文化を背景に持つ人たちが理解し合うのに、それが最も合理的だったからでしょうか。日本はよく言われるように、島国だから内輪で揉めずにやっていく精神が受け継がれているから曖昧文化が存続しているのかはわかりませんが。とにかく日本人の文章(日本語も英語も)は、より修飾的で、感情に任せて書く、という印象があります。良い悪いというよりは、それぞれにそういう特徴がある、ということです。
たとえば日本では、ある意見を言った人に対し、「どうして?」と理由を尋ねると、「挑戦的(好戦的)だ」とか「失礼だ」と見なされたりしますが(特に年配の方かな)、英語では一般的に、そもそも意見と理由(根拠)はセットという感じなので、意見と一緒に理由や根拠も言うのが普通で、また疑問に思ったことにWhy?と聞くことは単なる質問であり、それだけで特にネガティブな印象を与えることはないでしょう。むしろ質問された側は、自分に興味を持ってくれている、話をちゃんと聞いてくれていると好印象を抱くかもしれません。
日本(語)では、概して物事や真理を合理的に追求するというよりは、白黒といった境界を曖昧にし、ぼかし、濁すことで争いを避けることを重視することが大きいのかもしれません。これに慣れていると、もしくはそれしか経験していないと、かなり意識しないと英語の論理スタイルでアウトプットするのは難しいのではないでしょうか。簡単に言えば、日本で「悪い(良くない)」とされる(教えられた)ことを「良し(OK)」として行うのですから、罪悪感すら感じるかもしれませんね。
また日本では一般的に、常識的であることが奨励されますね。「これはこういうもの(事)。以上。」といったように。「常識人」という言葉は、誉め言葉として捉える人が多いのではないでしょうか。常識や既成概念などは、触れてはならない、そもそもそこに物申すなんてもってのほかという感じで、考えもしない(思考がストップしている)人も多いのでは。日本のような環境に身を置く場合、物事を深く考えて論証する必要もないので、論理的思考どころか、考える力すら育まれないでしょう。多くの場合、“正しいと言われること”をしていれば生きていけるので(今後はもう難しいかもしれませんが)。
これは日本で、日本語だけで生きていればそんなに問題はないかもしれませんが、論文(論理的な文)を書くにあたっては、大問題でしょう。そもそもの考える力がないと、自分の意見がわかならいという問題に直面するでしょうから。これは多くの生徒さんに見られる現実でした。質問に対して即答はしても、理由や根拠を聞かれるとまったくと言っていいほど言葉にできないのです。英語だからではなく、日本語でも。どういう意見や考え方が正解なのかがわからないような、そんな戸惑いが見られました。
たとえば、わかりやすく敢えて極端な例を挙げると、「あなたは人を殺すことが悪いことだと思いますか?その答えと理由を述べよ」の問いに対して、日本人の答えとしてよくありそうなのが、「そりゃあ悪いでしょ!だって悪いものは悪いもの!当たり前でしょ、そんなこと聞かないでよ!」というような反応です。個人的な意見としては、ある問いに対して「理由などない」という答えも答えのひとつだと思いますし、物申すつもりはありません。ですが、上記の答えは論理的であるかといえば、Noですよね。
「常識的な考え」とは、大抵いくつかの理由とセットになって定着していることも多いと思います。この場合の理由としては、「人を傷つけることは良くないから」などが一般的?
もちろん「人を傷つけることは良くないから」と考えること自体は悪いことではありません。ただ、常識的思考から抜け出せないと、論理的な文章を書くにあたって二つの弊害があると思います。一つは上記の通り、「どこかで誰かに教え込まれた常識=自分の思考」となり、本当の自分自身の(オリジナルの)考えがわからず、表現できないこと。私は人は本来、それぞれに個性や天の才があり、それは何にも代えられない素晴らしいものだと思っているので、このことは結構哀しいことだと思っています。「世間の常識や“正解”の話を聞きたいのではなく、“あなたの”意見や考えが聞きたいんだけどなぁ」と。上記の質問に関しても、世間的に正しい答えを探るのではなく、自分自身の頭や心で一から考えたら、もしかしたら、「あれ?今までは絶対〇〇だと思っていたけど、案外そうでもないのかも?」などと思い直すかもしれません。
第二に、もし常識的なことを書くならば、きっと皆同じような内容になり、何の個性も発見も面白味もない、とてもつまらないものになるであろうこと。そこにあるのは常識であり、書き手はおらず、そもそも論文を書く必要あるのかな?とも思います。そして、説得力のある、生きた根拠を書けないでしょう。
二つ目の点に関しては、ゆくゆくは乗り越えてもらえたらいいなと思うことで、当面はまず論理的な文章をかたち作れるように、骨組みを作れるようにすることだと考えています。まずは、常識ではなく自分の見方や考えは何だろう?と問うことが大事であると思っています。
4. 論理力の鍛え方
ここまで読んでいただき、論理力の大切さをわかっていただけたでしょうか?最後に、肝心の論理力はどうしたら身につくの?ということですが。
まずは、何でも「当たり前」と片付けずに、どんなことでも自分の頭で考えるようにすること。周りの100人がそうだと断言していても、「もしかしたらそうでないかもしれない」という考えを常に持つこと(クリティカル・シンキング)。これに尽きると思います。そして、人と違う意見や見解を持つことを恐れない。
(参考過去記事)
『日本の常識は海外の非常識 ~クリティカル・シンキング力を鍛える~』日本で生まれ、日本で生活していると、自ずと日本の文化や考え方、常識に染まっていきますね。 日本国内で生活するには何の問題も支障もないかもしれず、むしろ生きてい… ameblo.jp
そして、私の生徒さんには二冊の本を読むことをおすすめしています。
一冊が、こちら。
13歳からのもっと頭がよくなるコツ大全
Amazon(アマゾン)
382〜5,539円
別のショップのリンクを追加・編集
大人の方にはなかなかお勧めしづらいタイトルですが、タイトルとは裏腹に、中身は日本人的には大人でもだいぶ難しい内容になっているのではないかと思っています。
内容は論理力、英語力、数学力の三つの項目に分かれており、もちろんすべて読んでいただいて構いませんが、私が読んでいただきたいのは「論理力」の項目です。
そしてもう一冊おすすめ本があるのですが、こちらは絶版になっており、おそらく中古しか手に入らないと思いあまり宣伝したくないので、知りたい方は私に直接聞いてください
この二冊を、一度ではなく感覚としてわかってくるまで、覚えるくらいに何度も繰り返し読むことをお勧めしています。最低3回は読んでほしいです。
そして最後に、論理を身に付けるうえで勉強になるであろうYouTubeチャンネルを紹介しておきます。
高学歴お笑いコンビとして知られるロザンさんの、『ロザンの楽屋』です。
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このチャンネルでは、毎回お二人が日常で感じた違和感や疑問などに関して10分前後議論しており、毎日のように動画をアップしてくださっているのですが。まず、着眼点が“普通じゃない”んですよね。本当に、オリジナル。私がこんなことを言うのもおこがましいですが、お二人ともご自分の頭で考え、ご自分の違和感や感覚に忠実に生きていらっしゃるんだな、ということがよくよく伝わってきます。それこそ、常識にとらわれていない。そして、論理的。そのうえ毎回お話がとても面白いので 、ぜひチェックしてみてください
議論の仕方もとても模範的で、参考になると思います。
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5. まとめ
「主張(結論)」→「根拠」→「結論(主張)」
この基本の型に則り、ここまでの話を論理的かつ簡単に述べると、以下のようになる。
「英語を適切にアウトプットしたいなら、論理力を身につけるべきだ。(主張/結論)
なぜなら、まず第一に、論理力がないと英語が通じない、もしくは理解してもらいづらいからだ。結果的に相手をイライラさせることにもつながる。そして第二に、論理力がないとおこちゃま扱いされるからだ。英語圏では論理が日常に浸透していて一般的だが、ある文化の中で、〝当たり前〟のことができないと、人はその人のことを下に見る傾向にある。最後に、試験に落ちることが挙げられる。英検やTOEFLではライティングの問題が課され、論理力が問われるため、その力がないと、よい点数が取れない。(根拠)
以上の理由から、私は英語力を磨くには、同時に論理力を鍛える必要があると考える。(結論/主張)」