よく世間で誤解されがちと思うのが、いわゆる英語のプロ、英語でごはんを食べている人たち(例えば通訳者や翻訳者、教師)は、英語に長けているので英語に関することならほぼ何でも知ってできてわかっているということ。私の印象では、それは否です。

 

英語のプロ(特に私が見てきた通訳者や翻訳者)に対する私の印象は、一言で「とにかくやる人」。できなかったり足りなかったりしたら、とにかく何が何でもできるまでやる人です。というか、それが基本であり大前提で、常にそのうえで何をどうするか、という在り方。いわゆる英語のプロと言われるような類の仕事をしていても、英語関係のことなら万能というわけではないんです(もちろん常に例外はあるとしても)。よく、英語ができたら通訳や翻訳ができる、通訳ができたら翻訳もできる(その逆も然り)などと誤解されがちですが、英語力というベースの能力は共通していても、必要とされる技術は全くと言ってよいほど異なるものです。

 

通訳で言ったら、どんなに経験のある通訳者でも、”英語ができるから”始めからすべての英単語や表現を知っているわけではなく、通訳する分野や内容に応じて都度事前に(猛)勉強するわけです。私自身も以前、専門でない医療分野の通訳を依頼された際にはその道の基礎から猛勉強し、関連する論文を読み漁り、専門用語も1か月ほどで1000語ぐらいは覚えて備えたものです(ちなみに当然ながら専門的な分野になると市販の単語帳などはないのが普通なので、単語帳は自分で作りました)。私が子どもの頃、通訳者である私の英語の先生もよく「今夜中に〇百語覚えなきゃ」などと言っていたのを覚えています。

 

翻訳の世界も同じで。翻訳と一言で言っても、大きく分けても産業、出版、映像といった分野があり、その中でも業界や系統などにより様々な内容があり、それぞれにその道の専門家がいます。医者といっても普通内科の先生は外科の医療行為をしない(できない)のと同じ、格闘技といってもボクシングと相撲は別物なのと同じですね。逆に「私は何でもできます」というお医者さんはよほど特別な存在でない限り、私は怖いです笑い泣き同様に「(英語ができるので)英語関係のことならなんでもできます」と言う人は、基本信用できません(聞いたことはありませんが)あせる「日本語関係のことならなんでもできます」と言うのと同じですよね爆  笑

 

英語のプロとは何ぞや?の問いに対して私の見解を別の言葉で表現すると、「自分のできない(及ばない)こと、つまり身の丈がわかっている人」でもあるのかな、と。上述した私の英語の先生は、長年通訳をした後に、自分に何ができないかがわかってきたと言っていました。その結果、自分にできることに特化し、その道に専念していくことになったようです。今読んでいる染織家志村ふくみさんのエッセイ『一色一生』では、藍を立てることの難しさと奥深さが語られていますが、そのタイトルが物語るように、藍という一つの色を建てるのに一生かかると思っているということが書かれています。物事って、何事もそんなに甘くはなく、向き合うほどにその深さを知り、簡単には習得できないということでしょうか(「習得」「マスター」という観念自体が人間的で、本来そのようなものは存在しないのかもしれません)。

 

英語でごはんを食べていると聞くと、才能があるとか何か特別とか思われたりするかもしれませんが、プロの人って単純にできるまで積み重ねてやってきている人たちなんですよね。英語力が伸び悩んでいる人たちとの違いはむしろそれだけというか。そこが一番の違いなのかな、と思います。つまり、やるかやらないか。基本なろうと思えば誰でもプロレベルになれるということです。ただ、圧倒的にやればいいだけです。

 

今までだいたいのことは書いてきましたが、これだけは書いておきたかったので、書けてよかった泣き笑い