足利尊氏というと、最近では「逃げ上手の若君」で妖怪じみたキャラクターとして登場しているが、福智町にゆかりの寺があるというので行ってみた。福智町教育委員会の立て看板によると足利尊氏が、安国寺の第一位の寺として天目山寳覚寺から安国福城山泰平興国寳覚禅寺と改めたとあり、ゆかりがあることが読み取れる。ちなみに安国寺とは、足利尊氏が国家安泰の祈願と戦死者供養のため全国六十六カ国に建立、あるいは指定した寺らしい。

 

立派な二重屋根の山門楼である。扁額には「天目山」と朱書きされているのだろうか。

山門を抜けると石の橋が架かる堀のような池。正面には本堂。

 

本堂の前にはお地蔵さん。屋根には小笠原家の家紋である三階菱。

本堂の扁額の脇には力士像。寺の屋根を支えているのかな?

  境内には「墨染めの桜」。九州に落ちのび、ここで再起を図った足利尊氏が、つぼみのついた桜の枝を切り、逆さに地中に挿して「今宵一夜に咲かば咲け 咲かずば咲くな 世も墨染の桜かな」と今後の戦運を占った伝説にまつわる桜。果たして桜は一夜にして咲き、その勢いで京に上り室町幕府を開いたとか。

  興国寺仏殿(観音堂)。南北朝の作と言われる千手観音が安置されており、足利尊氏の守り本尊だとか。

鐘撞き堂と山門。

三毛猫ちゃん。かわいい声で鳴いてくれたが、警戒は解かなかった。

  尊氏の隠れ穴への案内板。

  足利尊氏は当初は、鎌倉幕府側について後醍醐天皇と戦うが、13332月、後醍醐天皇は隠岐島を抜け出し、再び鎌倉幕府に対して挙兵した際には寝返り、鎌倉幕府を滅ぼすに至る。(逃げ上手の若君のストーリーはここからはじまる。)

その後、建武の新政の際に北条時行(逃げ上手の若君)が起こした中先代の乱を後醍醐天皇の命令を無視する形で鎮圧。そのまま鎌倉に居座ったため新田義貞に賊軍として討伐を命じる。ところが、箱根・竹之下の戦いで新田義貞が敗走。足利尊氏は勢いに乗って京を制圧。後醍醐天皇は、比叡山に逃げ込むが、楠木正成や北畠顕家が反撃。足利尊氏は九州まで逃げることになった。

尊氏の隠れ穴は、尾根筋の斜面にある。

転落防止のロープがはられており、中に入ることは出来ない。

  隠れ穴の入り口は、狭く、見た感じ大勢が隠れられそうにはない。敵が迫ったら一時的に身を隠すために準備していたのだろうか。

  境内にある興国寺の案内。寺の背後は福知山。左右は尾根筋で寺の正面には丘陵地が広がり見晴らしがいい。ここで、敵を防ぎ、やがて、多々良浜(福岡市東区)の戦いで菊池武敏らに勝利した。この時足利軍は約二千人に対して菊池軍を主体とする宮方は二万人(諸説あり)。「墨染めの桜」のように逆さまに挿し木した桜が一夜で咲くような奇跡的な勝利だったと思われる。