束の間の時間にホッと一息つきたい働くママに
プチ贅沢スイーツで幸せをお届けする
パティシエール・岩間政代です
なぜ、私が「パティシエ(菓子職人)」の道に入ったのか?
そもそものきっかけは父(重要なので大きく書いたw)
その話は前回書いたのでこちらから読んでね
高校2年生の進路を決めなければいけない数週間前に、幼い頃からの夢が絶たれ
伯父からは「看護師になれ!!!」と言われ続け(しかし全くその道は考えられなかった)
途方にくれていた時の友人からの一言
「お菓子屋さんになる」
そうと決まれば話は早く、
製菓専門学校のリサーチを始めたタイミングで「大阪辻製菓専門学校」の説明会が甲府で開催される、
と聞いて早速申し込んでこの学校に決定!
そして父に報告。
すると、「遠いから」と、またもや父の反対にあいましたが
東京にも辻グループ校があったのでそちらに願書を出し入学して、新たな道に進んだわけです。
そして、4月
相棒の包丁セットと共にドキドキワクワクな東京での学生生活が始まりました
約100人収容する食事つき寮に入居して、共同冷蔵庫に入れておいた実習で持ち帰ったケーキを盗まれる、
相棒を電車に忘れる、友達とケーキ屋巡り、高級スーパー「紀ノ国屋」でアルバイト、等など、
本当にギュッと凝縮された1年間は、とても楽しくあっという間でした。
ただ困ったことが一つ。
それは、実習が苦手だったこと
*特にナッペ(生クリームをケーキに塗ること)
何回かナッペテストに落ちて居残り練習させられていたんです
また、寮では友達と一緒にスポンジの代わりに発砲スチロールを使いショートニングで練習をして
(これ、家庭でナッペが上手になりたい人にも使えます)
練習の成果があってか、なんとかクリアしましたがね♪
卒業後は、同グループの大阪にある進学校へ進級し楽しい楽しい大阪生活を過ごしたました。
そして変わらず実技での点数が低く「この仕事に向いてるのか?」という悩みを抱えたまま
社会人として現場に突入したわけです。
父の反対による挫折
今思えば、あの時父が反対してくれたから今の私があって周りで応援してくれている人達がいる。
もしそのまま、保育士になっていたら全く人生は違っていますよね。
「お菓子やさんになる!」(当時はパティシエという言葉は知れ渡ってなかったのよ)
と決めてから今まで決して楽ではなかったけれど、何かに導かれて道を進んでいる気がします。
だって工房を建て自分のお店を持ったんだから!
今度「お父さん、あの時反対してくれてありがとう!」とお墓に手を合わせよう
次回は
社会人1年目、料理を作ったことがなかった私が先輩達に賄いを作りながらの暗黒?修行時代のお話です