今日の聖書箇所には、イエスが語る終末のしるしが記されています。エルサレムの滅亡、そして太陽、月、星が揺らぐといった描写は、単に未来の出来事を予言しているのではなく、私たちが日常の中で経験する「基準が崩れる瞬間」を象徴しています。当時、太陽や月、星は生活を支える指針でした。時間を測り、季節を知り、航海の道を定めるための「揺るがない基準」として信頼されていました。しかし、イエスはその基準さえも崩れ去る時が来ると語ります。それは、当時の人々にとって想像を絶する出来事だったに違いありません。
現代においても、私たちには自分を支えていると思い込んでいる基準があります。それは、仕事や健康、経済的な安定、科学技術、あるいは人間関係かもしれません。これらは一見揺るぎないもののように思えますが、実際には簡単に崩れ去ることを私たちは経験してきました。パンデミックや災害、経済危機などがそれを思い出させてくれます。そのような時、私たちは何を拠り所にすればよいのでしょうか。イエスはその答えを「天と地は滅びるが、わたしの言葉は決して滅びない」という言葉で明確に示しています。
イエスの言葉は、この世界のどんな基準よりも確かなものです。変わることのない愛、真理、救いの約束がそこにあります。この揺らがない基準に目を向けることで、私たちは混乱や恐れの中でも安定を見出すことができるのです。イエスはまた、終末のしるしが現れる時、「身を起こして頭を上げなさい。あなたがたの解放の時が近いからだ」と語ります。普通なら、恐怖や絶望に打ちひしがれ、身を縮めたくなるような状況です。しかし、イエスは逆に前を向き、希望を持つよう求めています。それは、恐ろしい出来事の中に隠された「新しい始まり」を見つけるためです。
解放の時とは、単に現実的な苦しみからの解放だけを指しているのではありません。それは、私たちが恐れや不安、またこの世の限られた基準に縛られることから自由になる瞬間でもあります。イエスの到来は破滅ではなく、救いと再生の兆しなのです。このメッセージは、現代を生きる私たちにとっても重要な示唆を与えてくれます。私たちは、日常の中で「揺らがない基準」として何を選び取るべきでしょうか。
イエスが語るこの言葉を現実の生活に適用するには、いくつかの行動が求められます。まず、自分が依存している基準を見直すことが大切です。私たちは何に安心を感じ、何を信頼して生きているでしょうか。それが揺らぐ時、恐れに屈せず、イエスの言葉に立ち返る姿勢を持つことが求められます。そして、恐れに支配されるのではなく、希望を選ぶことです。不安定な時代でも、「解放の時が近い」というイエスの約束を信じて前に進む。この信仰の実践が、私たちの生活に新しい力を与えてくれるでしょう。
イエスの言葉は変わらない基準です。太陽や月、星が揺らぐ時でさえ、彼の愛と真理は揺るがないのです。どんな嵐の中でも、イエスの言葉を羅針盤とし、希望を持って歩むならば、私たちは恐れに屈せずに生き抜くことができます。この世の基準が崩れる時こそ、イエスが示す揺らがない道を見つける時です。その道を信じ、日々の生活の中でその真理を生き抜くことが、私たちの使命なのです。揺らぐ世界の中で、揺らがない神の言葉を土台として歩み続けましょう。