【その物語をずっと忘れない】 | 日々コギ精進(仮)

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レオ…
ティーダ…
いつまでも君達を愛していますよ…

ティーダの動画は2本だけあります。どちらも10秒に満たない程度の他愛の無いものです。


彼の姿は忘れようもないです。毎日毎日お供えのお水を変える時に彼の写真に話しかけていますから。スマホの壁紙は彼の最後の笑顔にしていますから。


でも彼の声はもう二度と聞けないんです。その2本の動画には彼の声が入っていないんです。家で吠えた時には「うるさい!」と何度も何度も叱ったことがあります。でも今は「もう叱らないからさ、お前の声を聞かせてよ」と思っています。


一旦、心に深く刻まれた記憶自体は決して消えることはありません。でも、映像の記憶や音声の記憶は時が経つと変わっていきます。普段から目にすることがない映像の記憶は時が経つに従って輪郭が徐々にぼやけていき、少しずつ色褪せていきます。音声の記憶もまた同じで、時が経つと大切に思う声と他の声の区別が出来なくなります。そして最後には映像も音声も無い記憶だけが残ります。


ティーダの声はもうこの世では聞けませんから、彼の声の記憶が薄れていくことは止められません。それをとても寂しく悲しく思っています。でも、だからこそ、彼の姿や想い出の記憶だけは輪郭を保ったままに色合いも変わらないままにしたいと強く思っています。毎日写真を見て、彼に話しかけることをずっとずっと続けていきたいと思っています。


私にはどんなに時が過ぎようとも覚えていたいことが幾つかあります。それらは生涯において絶対に忘れないと心に誓ったものです。ティーダの姿と想い出もその中のひとつなのですが、同じくその中のひとつに毎年この日、311日が近づくと思い出すことがあります。


【ウェルシュコーギーがきた】


「いっし」さんとコーギー「こー」くんの物語です。でも、彼らの物語は2011310日の更新で止まってしまっています。


彼らの物語を覚えていたい。

彼らが生きていたという記憶を無くしたくない。

コーギーを愛していた「いっし」さんを。

そんな「いっし」さんがとても愛していた、

愛らしい愛らしい「こー」くんを。

私はずっと覚えていたいと思っています。


自分が当事者ではない時の記憶は映像も音声も薄れてしまった時に無関心を生み出すことがあります。そしてその無関心は動きや歩みを止める主要因となります。遥か先まで続く未来へ語り継いでいくべきことが伝わらずに途絶えさせてしまいます。


「少人数があの震災に関心を持ち続けたところで大勢や大局に影響はない」とか「少人数では直ぐに何か大きなことが出来ない」と言われれば、それは寂しく悲しいことですがその通りなのだと思います。でも、だからと言って、私は無関心にはなりたくないんです。


私はあの日に起きた出来事を「いっしさんとコーギーこーくんの物語」を通じて、その記憶をずっと忘れずに、ずっと関心を持ち続けたいと思っています。そして、たとえどんなに小さなことであってもその時その時の私に出来ることをしていきたいと思っています。


このひとつの空で繋がっているすべてのコギさん達やすべてのペットさん達、その家族のみなさんに幸多からんことを、と祈ります。


そして、この空の向こう側にいる我が子ティーダを含めたコギさん達やすべてのペットさん達、そのご家族のみなさん、いっしさんとこーくん、2011311日東北地方太平洋沖地震と312日長野県北部地震に被災された全ての方々が穏やかで温かな安らぎだけで包まれますようにと祈ります。


これからもずっとずっと祈り続けます


ていだとーちゃん