「愚かな人から褒められても嬉しくない」

 

「多くの人から褒められたりすると、私も愚かな人なのではないかと心配になる」

 

~ ディオゲネス (BC412-BC323) ~

古代ギリシャの哲学者 

 

 

 

 

 

 

 

 

「連絡が取れないんですよ・・」

 

関係者から一報が入り、合鍵を持ち警察官帯同である集合住宅の一室に向かう。

 

「孤独死」 

 

嫌な予感が頭をよぎる

 

春先の月曜は自殺発生が増える。

 

玄関のチャイムを押したが応答なし。

 

合鍵で開けてみると、室内はごみがうずたかく積まれ、異臭が鼻を衝く。

 

その中に何かがいた。。。。。

 

生きているのか死んでいるのか。。。。

 

「吉田さん、。。。。吉田さーん、。。。」

 

狭い室内に吸い込まれていく俺の声。

 

若い警察官は緊張した面持ちだ。

 

今年一発目の孤独死案件か???

 

 

 

 

ディオゲネス症候群

 

高齢者が引きこもり、汚い服のまま自宅内がごみの山と化す現象をさす。

 

孤独で不潔な生活を送る老人の患者の生き方が古代ギリシャ・ヘレニズム期のキニク学派(犬儒学派)の哲学者、ディオゲネスに似ていることから、1975年に英国の老年科医A. N. G. Clark氏らが名付けた病気だ

 

最近、こういう男女によく遭遇する。

 

50代以降で多い。

 

みなさんが思っているほど、独身で独力で生きるというのは簡単ではない。

 

それが高齢になればなるほど、困難さはレベルがアップするのだ。

 

 

では結婚していれば万全か?

 

そうでもないんですよ、これが。。。

 

夫婦のどちらかが病気や痴ほう症で寝たきりとなった場合、介護を残された配偶者で担わなければならない。

 

介護に疲れてごみ屋敷となることは珍しくない。

 

子供はあてにならない。仕事で遠方に住んでいることも多いしね。。。

 

 

 

実は日本は「寝たきり」大国。

 

五体満足、思考明瞭の「健常人」の状態で80歳を迎える人はそれほど多くない。

 

何らかの「不備不足」を抱えてやっとのことで生きている。。。

 

これが日本の高齢者の実情。

 

そして後何十年かすれば、今の30代40代も確実にそうなる。

 

 

 

生意気なことばかり口にする婚活男女が多い。

 

他人様に向って「尊敬できるか」「会社で出世しているか」「食事のマナーがちゃんとしているか」などとケチばかりつけている。

 

だが、そのうち人生に復讐されるぜ。

 

化粧にあれだけカネつかって偽装して自分を良く見せて、それでも結婚ひとつできない女として魅力に乏しい人間が高齢になった時、。。。。。

 

その時から本当の「辛さ」を味わうことになる。

 

 

 

 

今、さまざまな分野で「切り捨て」が始まっている。

 

人手不足。これが大きいのだ。

 

人口を維持できないエリアは公共インフラを維持できず、そのコストは今後何倍にも高騰する。

 

健康を維持できない人間は医療コストや生活コストが増大し、平均寿命すらまっとうできない。

 

そういう社会がもうそこまで来ている。

 

 

 

戦時中の結婚は、この世に子孫を残すことを最優先に家柄や関係性を考慮し決行された。

 

今の時代、「尊敬」だの「学歴」だのなんて余計なことばかり考えて婚期を逃す人がいる。

 

「尊敬」はあなたが病気になった時、車にのせて病院に連れて行き、生活の面倒を見てくれるわけではない。

 

「学歴」は病魔に勝てない。痴呆症も学歴を考慮してくれない。誰にでも訪れる。

 

他人をジャッジして上から目線でモノを言う前に、老いた女である自分と結婚するメリットが男にとってあるのか。。。

 

それをまず考えて頂きたい。

 

 

 

 

おっと、。。重要なことを忘れていた。

 

吉田さんは生きていた。

 

猛烈な口臭を発し不潔な衣服をまとい、ゴミの山の中の万年床に臥せっていた。

 

もう生きる気力は感じ取れない。

 

意味不明な言葉を二言三言呟いている。

 

この老人、みなさんの未来の姿かもね。

 

 

 

 

追記:

 

ディオゲネスは元祖ミニマリストともいえる御仁だ。

 

モノを持つことを嫌い極力シンプルに生きることを是と提唱した。

 

「ディオゲネスの樽」という故事が示すように、樽一つあれば生きるには十分と考え、樽の中に住み、無駄な欲、見せびらかす財産などをことのほか嫌った。

 

時の権力者アレキサンドロス大王が彼の噂を聞き、わざわざ出向いて「何か欲しいものは与えよう。なんでも申してみよ」と話しかけたらこの老人は「何もない。できれば日光を遮るのでそこに立つのをやめてもらえないか」と返した逸話も残っている。

(冒頭の絵。右がディオゲネス、左が大王)

 

変わり者、といってしまえばそれまで。

 

だが「もっとも賢い生き方はモノを持たず、モノに囚われない生き方である」と説くこの哲学者には参考になるものがある。

 

自滅する男女を見ていると、モノにこだわり過ぎている輩が目立つ。

 

豪邸、外車、ブランド品、。。。。

 

まるで出自や劣等感を隠蔽するかのようにそれらを収集しては見せびらかし悦に入っている。

 

だがしょせんはモノだ。

 

自らを鍛錬して作り上げた「人間性」ではなく、金を出せばだれでも買える代物。

 

しかし、一旦それらを失うとその所有者は途端に元気を失うことが少なくない。

 

もう気力を失って上述の吉田さんのように引きこもって死を待つだけの身となる。

 

「強さ」こそが誇るべき無形の「資産」

 

いかがでしょう?

 

ただし「清潔」だけはいくつになっても維持しような。。。

 

特に男性、。。。

 

「不快な体臭」だの「みすぼらしい服」だのに「年齢」や「社会性」は顕現する。

 

気を付けましょう。