90年代のある地方都市の高級ホテルのバー。
夜も更けたころ、そこである40代男性と酒を飲んでいた。
相手は取引先の社長。
彼は学生時代に有るスポーツに打ち込んでいて、俺が同じスポーツをやっていたことを知ると喜んだ。
そこで接待の後、なぜかサシで飲みに行った、というわけだ。
最初はスポーツの話で盛り上がったが、やがて彼はしみじみと語り出した。
「俺の生活ってさ、4色ボールペンみたいなもんなんだよ」
話を聞いてみた。
彼には3つの顔がある
〇地元の有力な企業の社長(ある有力な一族の一員)
〇3児の父であり地元選出の代議士を父に持つ女の夫
〇地元のスポーツ愛好家で組織される非営利団体の有力者
これらが絶妙に交錯しながら、この40代の色気溢れる壮健な男性を構成している。
さて、4色ボールペンとは何だろう??
彼に言わせるとこう言うことだ。
社長をやっているときは「赤色」を使用。
父を筆頭とする同族企業集団の関連会社の一つを経営しており、経営の結果はもちろん、同族間の中での立ち位置を守りその一族の一員としてふさわしい言動を求められる。
出過ぎてもダメだし、かといって数字を出さないと社長の座は危うい。
こんな背景がある。
家族の中で「夫」や「父」をやっているときは「青色」を使う。
息子や娘はやがて大人になれば会社を承継する。
3児の父として「帝王学」をしっかりと施すことが求めらる。
それ以外にも夫としての役割も重要だ。
妻の父は有力な政治家。
義父の力は一族の覇権の拡大に欠かせない。
妻との良好な関係の維持が義父との連帯に直結する。
夫婦不和は許されない。
それ以外にも同族経営の有力企業グループの常で、親族間、親子間で交流やイベント、義理事も多い。
次男の彼は長男に対し、上回ってもいけない。
ケンカもできない。
「不文律」や「暗黙のルール」が一族を支配しており、それも家族の一員として受け入れる。
家族とはしんどい関係性なのだ。
スポーツ団体での役員をやる時は「緑色」を使う。
ここでは彼はトップではない。
実は体育会というのは「年齢至上主義」
学年が一つ違うだけで「明確な上下関係」が関係者を縛る。
彼の上には年上のうるさ型の先輩方が居座っていて、いくら彼が地元の有力企業の社長でも関係ない。
WBCで大谷選手よりはるかに実績の劣る近藤選手がでかい顔をできるのを見れば分かる。
いい意味でも悪い意味でも年齢至上主義。
まして90年代はその傾向は今より顕著だった。
彼はここで先輩の顔を立てつつ会をまとめなければならない。
「本当のオレってのはさ・・・。」
「黒色なんだよ」
「だけど黒ばかり使っていても立ち行かなくなる」
「仕事の時は赤色を使い、家族の中では青色を使い、協会(スポーツ団体)の中では緑色に徹する」
「結局、俺って4色ボールペンみたいなもんなんですよ」
「カチカチとその場その場でスイッチを切り替えて適切な自分に切り替える、ってわけ」
男はウィスキーグラスを傾けながら自嘲気味に語る。
そう、この御仁は局面において自分を最適の形、色にして使い分けていたのだ。
本来の自分は「黒」
だがそれだけで生きられる立場ではない。
だから「赤が最適」と判断すれば赤に徹するし、青が求められるなら青になる、緑に成れよと言われそれが正しいと判断すれば徹底して緑になる・・・。
意訳すればこうだ。
「生存のための最適化」
このように理解することもできる。
婚活している男女を見ていると、「黒」一色で何でも対応しようとする人が多い。
換言すれば、「自分の好きなように振る舞う」
ありのままの自分という言葉も彼ら彼女らを表象する単語だ。
だが、自分をありのままに出すだけで配偶者として採用してもらえるほど、連中は魅力あふれるオスやメスではない。
魅力ある男女なら学校や職場で出会った異性と20代でさっさと結婚している。
争奪戦も発生し、男たちは自分を妻にせんと文字通り殴り合う。
女は妻の座を得るためにせっせとプレゼントや小さな接触を心掛け、場合によっては肉弾戦に持ち込んで関係を作ろうとする。
それが無いから婚活しているわけだ。
であれば、もっと選ばれるために、結果を出すために自分を「最適化」しなければならない。
「赤」を求められれば誰よりも鮮やかな赤を発色してみせる・・・
「青」に染まることを求められれば誰よりも美しい青に一部の隙も無く染まって見せる
「緑」が好きだと言われれば、誰よりも見事な緑に為りきる・・・。
これが「生存戦略」なのだ。
同じ40代の男性でも独身でアパート暮らしで生活保護の人も居れば、彼のように地域の有力者として様々な領域で存在感を発揮し、数多くの社員を抱え、妻子を持ち、多大な責任を抱えて生きている人も居る。
後者のようにより高次元の社会性を求められる男女なら、この「4色ボールペン」思考は必須だろう。
なにせ発言に責任が伴う。
行動を常に見られている。
好き放題に振る舞うことは実質許されていない。
だからこそ、生き残ってきたとも言える。
自分の思い通りに生きる・・
つまり「黒を極めたい」「黒一色で生きたい」なら婚活などしないことだ。
黒を極める日々を送り、それを見た人がその姿勢に魅かれて求婚してくれればもうけもの。
仕事だってそうでしょうが?
アパレルのデザイナーが「自分の着たい服を作る」「そこに妥協しない」と意気込んで服をデザインし商品化したまでは良い。
だがその結果小売店で全く売れずに商品がどんどん返品され在庫が倉庫に山のように積みあがる。
そして会社は倒産する・・。
俺たち債権者は途方に暮れるってわけ。
「黒一色を極める」のは難しいのだよ。
冒頭の経営者男性、こんなことも言っていた。
「俺、MARCHだしね」
「兄貴ほど頭は良くないんだよ」
「だから一族の中でどうすれば伍していけるかを考えたら、4色ボールペン思考になったんだよ」
この御仁は戦前から続くある有力企業の経営者の家柄に生まれ、兄弟姉妹親戚が数多く存在する。
その中には最高学府を出た者もいれば、成績が悪く海外の大学に進学した者もいるし、東京で調理人の道を選んだ者もいる。
激しい競争が親戚の中で常に展開され、それぞれ順位が付けられ、「〇〇家の長男は優秀だから東大」「XX家の次男は学業はイマイチ」と評価されていく。
そう、良い評価を得なければ同族企業の主要なポストは手に入れられない。
それは団体競技におけるレギュラー争いに似ている。
彼は同じ競技をやっていてしかも同じCTBというポジションでプレーしていた俺を見て自分を重ね、それが警戒心を解いたのかもね。
「おまえ、俺の立場わかるだろ?レギュラー争いしてたんだろ?」
こう言いたかったのだろう・・。
分かりますよ。
速さで勝てないならタックルで勝つ、・・・。
体格で勝てないならハンドリングスキルで上回る、・・・。
全てにおいて圧勝できるような選手ではない以上、そこは頭を使うことが求められるのだ。
繰り返すが、婚活では黒いボールペンか、2色のボールペンタイプの男女が目立つ。
どんな時も「本来の自分」だけをむき出しでぶつけてくる・・・。
あるいは・・・。
「仕事における最適化された自分」と「本来の自分」の2色しか持ち合わせない。
それは赤色と黒色の2色ボールペンだ。
だが相手が求めているのは違う色なのだよ。
「青」だったり「緑」だったり・・・。
その色を提供できないと、どんなに漆黒の黒と燃えるような赤を見せたところで相手の心には響かない。
そこ、見落としているんだよね。
追記:
よく高学歴バリキャリと自称する売れ残りのアラフォー女性がいる。
しかしだね・・。
こう言う人、一人でコツコツと何かやるには向いているのだが、「チームプレー」ができない人が多い。
受験勉強や研究といったことは得意。
だが男性との恋愛や集団の中で実績を出すのは苦手。
Yさんという女性がいる。
東大法学部を首席で卒業し財務省のキャリア官僚となるも短期間で辞め弁護士として大手弁護士事務所に入所。
そこで期待の弁護士として働き始めるが、最終的にはクビになった。
顧客から評価されず、徐々にクライアントを取り上げられ、やがて社内無職となったのだ。
同僚が連日深夜残業をしてまで仕事に取り組む中、夕方になると仕事の無い彼女はやることもなく退社せざるを得ない。
そんな状態が続けば新天地を探すのも当然だろう。
今は地方の国立大の助教をやっていると聞いた。
彼女いわく
「私は試験を突破する能力を持っていたが顧客から支持される能力は無かった」。
試験は得意でもそれがすべてにおいて「成功」を約束するわけではない。
有名大学を卒業していようが、それがすべてにおいて「有能」であることを意味しない。
高学歴婚活男女はそれが理解できない。
だから婚活で苦労するし、結婚しても相手との衝突を繰り返しやがて離婚する。
男も女も弁護士の「弁護士夫婦」の多くはこんな「仮面夫婦」を続けている人が多いんだよ。
ある年齢を過ぎて婚活していて結果が出ないなら、「四色ボールペン」の発想を取り入れることをお薦めする。
いくつかの異なる「自分」を並存させ、それぞれの場面や相手に応じて最適な自分にスイッチ一つで切り替える。
「仕事ができる自分」だけでは相手の心は癒せないし、快楽が横溢する天国にも連れていけないのだ。
そもそもおたく、結婚ひとつできないだろ?
それは「魅力が無い」ってことなんだよ。
新たな魅力を開発することも必要なんじゃないのかね?