その35~コンクール考
先日第1回目というあるコンクールの本選を聴きに行った。
5組の器楽とピアノのアンサンブルを競うもので、生徒が出演していたためである。
結果についてどうこういうつもりもないし、審査員の趣味に委ねるしかなかろう。
しかし世の中には内外問わず訳のわからぬコンクールが幾つも存在する。
訳がわからない理由というのは、優勝者が本当に得をするかどうかという基準においてだ。
賞金が演奏レベルに対して極端に少なかったり、受賞者コンサートで多額のノルマを課せられたりすることもある。
コンクールに権威が備わっていれば優勝者は長い目でみて得をするのだろうが、そういうコンクールは少なくて当たり前だ。
優勝者のためでなく開催者のためのコンクールもあるので、若い人は注意した方がよい。
つまり営利目的のものである。
こんなものでも音楽家のモチベーションを高めるための必要悪、と認めるほど私は人間ができていない。
なんといっても審査員のレベルは重要だ。
演奏家として一流であり、教育者としても経験の深い人がどれくらいいるかが、受けるに値するかどうかの基準となる。
しかし先日聴いたコンクールでは審査員が結果発表時まで明かされなかったのだ。
予断を与えたくなく、公平にということらしいが。
もっとも明かされても知ってる名はひとつもなく・・・ま、これは私の認識不足としておこう。
審査委員長のみがピアニストで他は評論家、編曲者、オーケストラのヴァイオリン奏者、調律師(欠席)。
この顔ぶれでアンサンブルピアニストを評価するというのだ。
では第2回はどうするのか。
審査委員長は降りるのだろうか?まさかね。
すでに名前は明かされた訳だし、実質審査委員長がコンクールを取り仕切っているであろうことは、彼の長い講評やそこのホームページを見ても明白だ。
参加費を払って落とされた多くの人々は、後で審査員を知って納得できるのだろうか。
仮に推理小説のコンクールに応募したとする。
審査員はわからないけど苦労して書き上げた自信作を送ったとする。
ある日落選の通知が来て、審査員が知らされる。
純文学の作家が一人で、他はどこかの本屋の親父と、本のデザイナーと、印刷屋の社長と、雑誌のカメラマン(欠席)。
極端かもしれないが、失礼な話ではないか。
名ピアニストポゴレリッチがショパンコンクールで予選落ちし、怒った審査員のアルゲリッチ他が帰国するという事件がかつてあった。
落とした審査員も堂々とカメラの前で意見を述べそれはそれで立派なものであった。
だからショパンコンクールは今も権威があるのだ。
海外のコンクールを受けている若い女性が、なぜコンクールを受けるのかとのインタビューにこう答えるのを聞いたことがる。
「日本での競争は激しいので、ひとつでも多くの受賞歴を持ち大学の就職を有利にしたい」
馬鹿かお前は!そんな低い志の音楽家が何を教えられるというのか。
テレビに蹴りを入れようと思ったが、壊れるとオリンピック放送見られなくなるので止めておいた。
コンクールを受ける動機は自己鍛錬以外のなにものでもあってはならない。
その36~寅さんと山本直純
「渥美清ベスト16」というCDを持っているが、レコードのため録音されたのは1970年あたりだろう。
この中に「夕やけこやけ」が入っていて偶然ラジオで聴いたのを覚えている。
前間奏で小さい女の子と親子のセリフがあって実にほのぼのとしている。
なんといっても歌が上手い。「男はつらいよ」の主題歌でみな知っている事柄ではあるが…
だいたい一流コメディアンには歌の上手い人が多い。
今最も聴きたいのは、伊東四朗の歌である。
コマーシャルで耳にした人もいるだろうが、さりげなくて、完璧な音程でしかも情緒がある。
おそらく楽譜も読めるのではないか。
NHK-BSで「男はつらいよ」全48作放送中だが、この映画は第一作封切り時から全作品を映画館で観ている。
ドイツ留学中は日本航空主催の映画会がいつも寅さんだったので、シュトゥットガルトからミュンヘンまで行ったりしたものだ。
しかも音声だけカセットに録音して何度も聴いては日本を懐かしんだ。
大学生の頃、渋谷の東急デパートにある劇場で、客として来ていた渥美清を見かけた。
東横落語会だったが、目立たない格好で足早に去っていったのを覚えている。
最も尊敬する俳優なので緊張で声もかけられなかった。
寅さん映画について語りだすと引かれちゃうので、その音楽についてだけ言っておきたい。
担当は山本直純。
日本のクラシック界を広く一般に開放した指揮者であり、英才教育も受けた大変な才能の持ち主である。
小沢征爾とは盟友で「君は世界で暴れて来い。俺は日本でできる限りのことをやるから」という会話があったそうだ。
会った事は2度あり、1度目が知人の結婚式でへべれけに酔っていた。
2度目はテレビ朝日の音楽番組収録で、しょうもない駄洒落を連発して番組を台無しにしていた。
そういうわけで、はちゃめちゃな印象もあるが、彼の曲はみな心地よく優しさに満ちている。
僕のピアノの先生とは芸大時の同級生で、岩城宏之氏の青春時代を描いた小説「森の歌」にも登場する。
指揮科の先生渡辺暁雄氏が適当に押さえたピアノの不響和音を全て当て「君は凄い耳を持ってるね」と言わしめるシーンがある。
寅さんの主題歌もいいが、劇中に流れるインストゥルメンタルの旋律は作品によって違い、みな胸を打つ。
マドンナのテーマがきちんとあって、毎回その女優さんにあった旋律が流れているのだ。
そのうち整理して女優別に聴かせられるようにしたいと思っている。
誰も望んでなかったりして。
その37~喬太郎が好き
落語を古臭いと思っている人がいるとしたら、是非柳家喬太郎の新作落語を聞いてもらいたい。
今日ニッカン飛び切り落語会で桂三枝の前に出たのだが、三枝師匠が高座で褒めちぎっていたほどだ。
創作落語の雄であるあの桂三枝が、である。
彼の噺はヴァラエティに富んでいるが、古典の技術に裏打ちされた大変に安定感のあるものだ。
脱力系といっていいくらいに人々を和ませ、高座と客席の垣根を取り払う。
三枝は全国区の人気者だし確かに会場を相当沸かせたが、ストーリーの妙、落語家としての技術は明らかに喬太郎が優っていた。
現代人(とくに若い女性)を演じたらあまりの上手さにこの人はいったい幾つなんだと不思議な気持ちになる。
昭和38生まれらしいが。
かつてフジテレビの深夜番組「落語のピン」に出ていたときはじめて見たが、そのときの「純情日記・横浜編」は不思議な体験だった。
朝霞市民会館で聞いた、1種類の寿司しか握れない職人を寿司ネタの数だけ雇っていくナンセンスな噺にも爆笑したし、くすんだ繁華街池袋を愛する彼がいろんなデパートの物真似(建物がしゃべるのだ)
をやる枕は何度聞いてもおかしい。
今日聞いた噺では、登場(人)物が、タコ、イカ、クラゲの親子、アナゴ、亀、バス遠足の小学生、懐メロしか歌えないバスガイド、どこにもいそうな男の担任教師といった具合。
どんな物語か想像もできまい。
しかしシュールでファンタスティックでナンセンス。それでいて描写が優れているのでリアルでもある。
イッセー尾形の一人芝居やアンジャッシュの計算されつくしたコントに対抗できる現代的噺家は少ない。
昇太、志らく、喬太郎は今後の落語の存亡を担う救世主と呼びたいね。
大学時代の友人で落語の上手い奴がいた。
盲目のトランペッターで後にラジオのディスクジョッキーなどもやったと聞く。
彼の新作落語で「レッスン風景」というのがあった。
とある音大の夏の講習会、声楽の男の先生がはじめてやってくる妙な受講生たちに振り回されるというネタで、三遊亭円歌の「浪曲社長」がベースになっている。
歌謡ショーの司会口上から始めないと古典イタリア歌曲を歌えない生徒とか、コンコーネを歌うと民謡風のこぶしが入る生徒、
必ず途中で森進一の物真似になってしまう生徒、浪曲のようにつぶれた声で音程のつかない歌を平気で歌う生徒等々。
最後は見事なファルセットでソプラノのオーソレミオを歌う。(ちなみに僕が伴奏したテープが残っている。)
このソプラノは最後のフェルマータで必ず片足上げてしまう。
注意すると足を上げないと歌えないという。
そこで先生「そんなに足をあげなくても、こっちはとっくにお手上げだ」これがオチ。
僕も先日まで夏の講習会で実際に教えていたが、傍から見ていたら共通する可笑しさがあったかもしれない。
違うのはお手上げなんかじゃなく、教えるこちら側もできないことの原因を考え、共に成長する喜びを得るところだ。
おっと宣伝しちゃったかな。言うのに5秒かかるから、熱湯風呂に5秒入ります。注)
注)ダチョウ倶楽部が活躍した日本テレビの「たけしのスーパージョッキー」で、熱湯風呂に我慢して入った時間だけいろんなコマーシャルができるというコーナー。
今回の24時間テレビで一時復活した。
その38~ゲスティ先生初来日
シルヴィア・ゲスティが今月来日する。
彼女がどういう人かは講習会のご案内や、雑記帳その1を読んでいただくとして、
簡単にいうと私が20代のころ伴奏していたソプラノであり、ヨーロッパで有名な声楽教師である。
3年前18年ぶりに再会し、そのときの感動の様子は彼女の自叙伝にも書かれている。
最初にコンサートでハンガリーのブダペストを訪れた時のことは思い出深い。
リスト音楽院大ホールでのリサイタルでバルトーク、コダーイ、デュパルク、リヒャルト・シュトラウス
といったプログラムでラジオでも放送され大成功を収めた。
コンサートのことはともかく、印象的だったのは空港に迎えに来ていたのが最初のご主人ゲスティ氏だったことだ。
シルヴィア・ゲスティが18歳で結婚した相手で離婚した後は別の女性と結婚し、この時もその女性と一緒に来ていた。
食事のテーブルでは新旧二人のゲスティ夫人を交えて談笑していたが、かつての妻が有名人になればかえって誇らしいのだろう。
オペラ歌手として主に東ベルリンのコミックオペラ(フェルゼンシュタインという大演出家が世界一演技ができるアンサンブルを創り上げていた)
など東ドイツで活躍していたが、西側に亡命した後2回目の結婚をドイツ人ピアニストとする。
男の子が生まれ、彼は現在お医者さんになって孫も二人いる。
私が出会った時はすでに3番目のかなり年下のご主人で、小さい女の子の連れ子が一緒だった。
この男性はケーキ職人専門学校の先生で料理も上手かったし、ゲスティ先生のマネージャーとしても働いていた。
さて今日どうなっているかというと、また数年前に別れているのだ。
もうひと時も一緒にいたくないほど嫌になって、かなりのお金を払って叩き出したらしい。
まことにプリマドンナらしい激しい人生である。
男も女も最初はずいぶん年上と、2回目はずいぶん年下と結婚すると皆が幸せになると提唱した学者がいた。
(私はそうは思わない。思わないかもしれない。たぶん思わないんじゃないかな・・・)
しかし彼女のように3度目で別れてしまうと、プライベートな幸せは難しいかもしれぬ。
ゲスティの自伝の最後にはこう書かれている。
歌手としては幸せだったし、今は平穏である。しかし喜びに満ちているだろうか?と。
コロラトゥーラソプラノとしてのゲスティは歴史的な名歌手で、グルべローヴァの自伝にも尊敬する歌手として登場する。
「夜の女王」や「ツェルビネッタ」はどんな録音よりも彼女の演奏が優れていると断言できる。
また数々のオペレッタ等のテレビ映画出演では魅力的な演技を見せ、歌の上手さと相まって国民的スターとなった。
日本に来るのが遅すぎた感があるが、昔ながらのレコードファンもいることだろう。
是非公開講座に足を運んでいただきたい。