第九のエンディングについて
バカリズム脚本の映画「ベートーヴェン捏造」も公開されることだし、第九のエンディングについて書く。916小節目から919小節目までの4小節についてである。合唱は「Tochter aus Elysium!Freude, schöner Götterfunken!Götterfunken!」と歌う。指定のテンポは4分音符60でMaestosoである。学生時代に何度も第九は歌っているのでよく覚えているが、ここは8分音符60で歌ったものだ。つまり、ベートーヴェンの指示を無視して倍遅く演奏するのである。確かに最後のメロディーは引き延ばされて壮大となり、ヴァイオリンの激しい音階の下って昇って行く様(32分音符の重音)は否が応でも盛り上がる。そしてPrestissimoで21小節オーケストラがフォルティッシモで後奏を高速で駆け抜ける。全曲のクライマックスは最後のレの音だ。それではいくつかCDを聴き比べたので例の4小節を倍遅く演奏したものと(おそらくこれが耳に馴染みがある)ベートーヴェンの指示通り演奏したものを例として示す。もちろん微妙なテンポの差はあるが解釈の違いは明らかだ。倍に遅くした演奏カラヤン指揮ベルリンフィルハーモニーバーンスタイン指揮ウィーンフィルハーモニーチェリビダッケ指揮ミュンヘンフィルハーモニー朝比奈隆指揮NHK交響楽団小澤征爾指揮サイトウキネンオーケストラブロムシュテット指揮シュターツカペレドレスデンバレンボイム指揮ウェスト=イースタン・ディヴァン管弦楽団ドゥダメル指揮シモン・ボリバル交響楽団指示通りの速い演奏ラトル指揮ウィーンフィルハーモニーアッバード指揮ベルリンフィルハーモニーノセダ指揮ナショナルフィルハーモニーノリントン指揮ロンドンクラシックプレーヤーズ探せばもっと例は挙げられるが、今のところやはり前者が多いようである。理由はいくつかあって1. ベートーヴェンが4分音符と8分音符を書き間違えたとする説2. そもそもメトロノームが壊れていたか不正確で当てにならない説3. そんなに速くヴァイオリンが弾けるわけないだろう説4. ロマンティックな伝統的演奏に今なお心打たれる説 5. ベートーヴェンは耳が聴こえないので演奏可不能なテンポだということに気づかなかった説。などなどレコードでベートーヴェンの交響曲が普通に聴かれるようになったころは、オーケストラはベートーヴェンの時代より大編成になっている。その方が派手だし大ホールに負けない音量を確保できる。管楽器も改良され良く鳴るようになった。弦楽器について言うと奏法が変化している。より感情を乗せるためビブラートをかけて弾くのが普通になった。総じてロマンティックでフルトヴェングラーはじめ巨匠たちの個性が際立つ時代に様々な第九をレコードで聴けたわけで、これはこれで幸せなことだ。さてノリントンはN響でも第九を振っているが、ピリオド奏法を世に広めた一人である。現代のオーケストラでもベートーヴェンの頃のようにビブラートをかけない素直な音で演奏するのである。古楽器で完全に当時のオケを再現するわけではないので、音のボリュームはそれなりにある。ラトルも出世することで(アッバードの後ベルリンフィルを長く率いた)ピリオド奏法を主流にまで押し上げた。結果として現代のクラシックファンには恣意的な指揮者の主張よりも楽譜に忠実でしかも高度なテクニックに裏打ちされた一流のサウンドでベートーヴェンを聴くことができるようになった。前述した様々な演奏はどれも素晴らしい。ウェスト=イースタン・ディヴァン管弦楽団とシモン・ボリバル交響楽団は若い演奏者によるオーケストラで立ち上げについてはそれぞれに物語がある。第九のエンディングをどうすべきかなんて私にはわからないが、アッバード指揮ベルリンフィルがお気に入りだと正直に言っておこう。歌手のアンサンブルもいいし、全体のテンポ、熱量、サウンドすべてのバランスが素晴らしい。追記:チェリビダッケはフルトヴェングラーの後釜としてカラヤンとベルリンフィルの常任指揮者のポストを争ったが、練習が厳しすぎるため楽員の賛同を得られなかった。レコーディングにも否定的だったので後のカラヤンの仕事ぶりとは対極にあった。イタリアや北欧のオケを指導し、教育者として若い指揮者を育てた。晩年はミュンヘンフィルやシュツットガルト放送響というドイツのオーケストラを鍛え上げ一流の楽団に押し上げた。(ベルリンフィルとは長年共演しなかったが、和解して一度だけ振ってセンセーションを巻き起こした)留学中シュツットガルトに住んでいたので、彼が車椅子で指揮し声を上げて熱演したことを覚えている。私が東京で学生の頃には、単身来日し、読売日本交響楽団を指揮したことがある。東京文化会館で聴いたが、チューニングを各セクションで順番に行い、時間をかけていたことが印象的だった。ドビュッシーなどであれほど美しいオーケストラのピアニッシモはその後も聴いたことがない。敬愛していた叔父さんは私が小学生のころブルーノ・ワルター指揮コロンビア交響楽団のベートーヴェンの交響曲のレコードを買ってくれた人だが、生前自宅にでかいステレオを持っていてカラヤンを愛聴していた。曰く録音が一番良いのだそうである。ある種カラヤンが求めていたクラシックファンの代表的姿かもしれない。私もその影響か、いくら名演でもわざわざモノーラルで聴く気はしない。CDよりレコードの方が音はいいという人は多いし、ある意味正しいのだが、手軽で雑音のないCDの方が集中して聴ける。交響曲で解釈の違いをあれこれ語るのは楽しいが、実際のところ上手ければさほど違いはない、とは乱暴か(笑) 曲の良さに浸れれば満足だ。