精神 | SHINO LEONOR KAMEDA

SHINO LEONOR KAMEDA

by かめだしの

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「精神」というドキュメンタリー映画を観ました。

躁鬱病や、摂食障害といった、
精神を病んだ患者と、
主治医の先生と、その病院の密着取材。

上映後の監督への質疑応答時間に、ある観客が、
この中に出て来る患者は比較的病状も軽いと思うけれど、
甘えているとは思いませんでしたか?
と監督に尋ねたとき、私も考えてみました。

精神が少し病んでいる人達を目の当たりにして、
じゃあ、精神が強靭な私と何が違うんだろうと思ったとき、
気付いた事がありました。

精神的に弱い人たちはインタビューの中でも、
私は、私は、と
耳に触れる程、「私」のことを話します。
その姿はどこか、わがままというか、甘えていると言うか、
自己中心的に見えなくもないのですが、
もう少し引いてみると、
彼らの「私」は、すべて他人から「見られた」「言われた」「決めつけられた」
姿の話しなのではないかと、感じたのです。

最近少し考えていたことでもある、
「自分」というものの本当の姿はどこにあるのか、
ということに近い視点だなと、興味深くなりました。

彼らにとっての「私」は、人から見られている「私」という個体で、
それに対して負けそうになっている、
もしくは負けてしまっている状態が
病んでいるということなのではないか、とも思えたのです。

精神が強靭だと思う私を始め、精神健常者の私達は、
まるで自分のことばかり考えているのではなく、
他人を慮っているとばかりに、
「私は」「私は」とは言わない代わりに、
他人にとっての自分、をそこまで重要視していない。
自分の個体を決めるのは、自分自身の考えが軸となっているのではないか、
むしろ前者よりずっと「我が儘」で「自己中心的」なのではないかと。

だから、
人の目に左右されないから、
精神的に負けない。

ということは患者である彼らの方がよっぽど素直で、
他人をまっすぐに受け止めてしまうのではないかなと。
とても難しい話題ですけど。