前回の続きです。
教室での経緯を見て、尾木ママこと、法政大学 特任教授 尾木 直樹さんは、開口一番、新人の岡島先生のことを「授業の後、男の子の横に座って、話を聞いたり、頭をなでたり、ケアしてあげて、また、自分のことを客観視して、難しさを感じてて、偉いなと思った。」と言いました。
また、「男の子の涙には、意味がある。今、これだけ多様な家庭がある中で、お母さんが働いている家もあって、彼は、優しいからこそ、お母さんにお金を払ってあげてもいいのかな、という気持ちになって、全然おかしくはないと思います。」
「”家族愛”だとか”無償の愛”だとか、ひとつの価値に落とし込もうとしたときに、”あれ?お金もらっていいんじゃない?”という意見とぶつかる。道徳の教科化によって、構造的な問題が出てきた。岡尾先生だけの問題では、全くないと思う。」と言いました。
また、司会者の「家事労働が経済的に価値のない労働なのかという議論になっている。」との発言を受け、尾木ママは、「”無償の愛”=”家事労働”という決めつけはいかがなものか?答えが、もう少し多様化して、柔軟になってもいいのかも知れない。」とコメントしました。
それでは、そもそも何故、道徳が教科化されたのか?
それは、戦前に、道徳的価値を教えていた”修身”という教科が、軍国主義的教育の中心となっていった、との反省から、戦後一貫して見送られていた。
しかし、全国で、いじめによる自殺が相次いだことなどから、国は、子どもたちの規範意識を高める必要がある、という理由で、方針を転換して、教科化することを決めた。
と取材に当たった記者は、語りました。
ああ、また、私の意見が書けないままですが、今日もここまでで終わります。
また、続き書きます。
(また画面がおかしいです!原因不明です!ごめんなさい!)