前の部屋はフローリングで実質的なリビングとしての 広さは5.5~6畳分くらいの広さしかなかった。
前の前の何もしない最低な福祉の人間にある事件のあと、『モノが多いのよ あはは・・』って言われたことがある。生活することの何もわからずに誰ひとり教えてくれることも無い中、どうしろっていうのか?・・・という中、僅かに自学?の中で必要ないもの(の判断も出来ない・出来なくても)はとにかく捨てていってもそれでも10年近く訳のわからない生活をしてればモノもどうしても増えてくる。
最後はおそらく畳1枚分(布団を敷けるくらい)の床しか無くなってきていた。途方にくれる中で
『記録に残せば証拠になる』というようなアドバイスのもとで メモに残したものは今も残しているが、
とにかく聞こえよがし?なのか、明らかに隣との仕切りの壁を通して 怒鳴り散らす叫ぶ声が聞こえてくる。
~「ウルサイ! 迷惑! やかましい! フザケンナ!・・・等等・・~
当時上は2階の新しい人間のドスドスした歩く音というより天井が揺れ、つるすタイプの電灯が揺れ、普通の明るさも無くなっていた上に
こちらは物を置くのでも動かすのでも 歩くのでも、トイレを流すのでも風呂なんて湯船は張ることもなく4つの洗面器にお湯を出してそれで身体を洗うのみでしかないのに
『大家』は隣の言葉を丸々信用したらしく、~《風呂がウルサイ 洗濯がウルサイ》 ~なんなの?というようなありえない事で文句を言ってくる。8月以降数日おきに直接来る。
忘れることはない。これが世間の言葉として忘れてはいけない言葉。
➡《『あんた障害者だもんね ・いつでも居るよね・証拠が無いからね・・』》⬅
それなら監視カメラでも外でも部屋の中でも取り付けてくれていいからしらべたらどうですか?と言えば、『そんな金のかかることできるか?あんたみたいの相手に・・』。
もうこの時点で『無理』だと思ったあの時。
隣と大家からなんにもしてないのに叫ばれ壁を叩くのか?蹴るのか?
おびえるばかりの中 おかしくなっていく体調。
病院の個室の壁はどれだけ拭い去ろうとしても
床も天井も当然窓のある壁以外の三方全てが恐怖と脅威の存在でしかなく、
体育座り?というような膝を抱えて部屋のあちこちに電灯も点けず4日ほどは過ごすことになる。
食事も運んでもらい、でも部屋の中には入らずに出入り口の所でのやりとり。
僕が受けつけないのである。
みんな同じモノにしか見えず、そんなことは無いと思いつつも、気持ちの中は《『半狂乱》』な気持ちと ハリケーンか台風か嵐が渦巻いていた。
幾らか自分を自覚するようになるのは年が明けて4日位だったと・・・
僅かでも何かしら考えようと出来るようになったのはそれくらいだったと思う。
そこからは 少し前からの医療用のメモ帳に何かしら書き記していく