改訂20161223アメンバー記事「ICUでの出来事」について))))) | 記録と想い

記録と想い

~記憶がないということ~

解離性健忘症(全生活史健忘症)になって

※アップした朝に読んでくれた人がいたら、一部の表現が変わって意味が違ってきているかもしれないので興味があれば読み直しを。※



 一部原文を載せて、今後加筆する。随分たってから「近いひと」にしか話さなかったことそれでも全ては話していない。

今回公開しようと思ったこと。

なぜこんなことをするか?これはキッカケなんだと思う。

「今の自分」を「今の自分」がそもそも把握していないと行き着いてる。こうして書いたり話したりしてきたこと全てが  「夢幻(ゆめまぼろし)」のようにしか感じない

来週から「病院や福祉の人達」と自分としては「振り返る」つもりのはなしをするつもりだけど、たぶん「今の自分なりに想像する?」「思うようなこと、展開」にはならないだろうと考えている。それでも「そういう場」をまずは持つことに「なにかの意義」があるのかな?と「訳のわからない精一杯」で考えた。

「おかしくなったあの時」からとってきた行動言動はその時の精一杯で、それは今も変わるつもりはないけれど、「とにかく何がどうなっているのか」わからない。


あの日からこれまで「考えて口に出したり行動したり」はどれがどれだけ「」なのか?「」のなかが表現しようがない。


書いても書いてもエンドレスで「なにかを伝わる、伝える」・・・表現出来ない。

「「要は自分がいまだに“自分”でもなんでもなく、“?”でかしかないみたい」」ということ。「断定」した表現もできない。

書けば書くほど 全部違う。全部自分の意識なのか?なんなのかわからない。





「「「「「ここにいるのはなに?」」」」」




なのだ。そういう意識も無いのかも



以下アメンバー記事→ICUでの出来事(こんなもんじゃないこんな記事当時の話の欠片にもならない)*手術の時間については後に約8時間と聞いた。

「個人的には三日間位居た気がしたICUでしたが、実は午後から夕方にかけて手術が終わり(詳しい時間はわかりませんが)、一晩と、午前11時前くらいには病棟のHCUへ。

僕の担当は一人を除いて酷かった。後におおもめに揉めることに。“殺す気か!”という言葉が飛び交うことになった。

そもそも解釈が違っていた。

その前に、手術前日に自分が担当すると言っていた説明に来た筈の担当者とは会った記憶はない。どこで何をなさっていたのか?

“必ず誰か見ているので安心してください”

大嘘だった。たった一人の方が甲斐甲斐しく見てくれていなければ、途中、痰を詰まらせて死ぬところだった。

あの夜担当したICUのスタッフは全員では無いだろうが、スタッフとしての自覚があった者はほとんどいなかっと  思われても仕方のない対応しか出来ていなかった。」
            この記事ここまで。


具体的に「当時体験したこと」を書く。それは


「術後ICUに移動するところから、退院まで」


「他の人のこと」なんて知らない。自分に起きたこと。(訳のわからない精一杯を ひとまずは 置いといて読んでくれる人がいれば というのはある)


ブログを「読む読まない」はどうでもいい。福祉の人達には伝えてある。これが1つの理由でもある。そもそもこのブログは「気まぐれ」であり「少なくとも誰かに読んでもらいたくてという想いはいつの頃からかなくなっている」これはプロフィールに書いた「同じような人と知り合えるかもしれない共有できるかもしれない」みたいなことを書いてると思うが、少なくとも今の時点では「ゆめまぼろし」だった。
   ひとりふたり「記憶障害」というからみがあったが、「case」が違いすぎるし、個体の考え方等も環境境遇も違うからなのか?(わからないけど)実りあるものにはならなかった。  そもそも「乖離性健忘」はめったにいないらしい。少なくともAmebaを通じたなかでは。



※このブログは流れとしては 始まりはとりあえず始まったものだったはずが もう自分自身では判断できないので ブログ記事として書いていることが 「“この存在にとって”なにか  の ナニかになるのかもしれない」それが“この存在”の今後にすこしでも より良いモノになれば とどうにか考えているから※

でもそれも「ゆめまぼろし」なのかもしれない。


「訳がわからないことばかりいっているかどうか」は問題ではなく、「乖離性健忘ゴダイユースケの場合」について なにかしら残すことは「今の自分」にはわからないけど 「なにか」になるかもしれないから。


一日中独りでいたら 「生き地獄」としか感じないこの気持ち。 そとで普通の人と接するのはよくないのではないか?存在そのものが迷惑。もう何を書いても どこにも行き着かない


それでもその気?がなくなるまで書くのだろう。


この「乾いた砂嵐のような?真っ暗な中にいるような?感覚剥奪室にいるような?」この感じは誰にもわからない。

でも 支援や医学?的には 関わって貰わないと、去年の様なことは起こり続ける。「この存在だけを考えるどころじゃなくなる」。


「自殺」するのが手っ取り早いのだろうけど。それも含めてこれから書く「胸腺嚢胞」のついての流れは関係者には知っておいてもらった方が良いだろうし、「1つの事実」として「色んな意味合い」でも アメンバー記事にする必要はないこと。それでも「アメンバー記事」はこれから時々あるだろう。


「Amebaの規定」をできるだけ考えながら、「ありのまま」を書いていくけど、「その時」が来たら、削除も有るのかもしれない。


元々訳がわからなくなっているところに こういう活動も 近しい関係者のなんのチェックも成されず 「この存在」にそういうつもりはなくても「毒」を書き続けてるのかも知れないし、わからないことばかり。


「「「「この状態が“苦しい”とかなんとかの言葉で表せるなら、この苦しみは誰にもわからない。丸八年そして九年目の今も」」」」

書いてきたことは「ありのまま」