20160923アメンバー記事「通院」原文まま | 記録と想い

記録と想い

~記憶がないということ~

解離性健忘症(全生活史健忘症)になって

※同じ月のもうひとつのアメンバー記事は「今の自分が読んだら自分でもよくわからない」「一言」だけなので公開の必要無しと判断。*(アメンバー記事として書いたのに「あの」個人病院に対して敬意のようなものを払った書き方をしたのはどうしてだったか覚えていない。あの個人病院に対しては「関わりたくない」が本音)以下原文→

肺に2ヶ所の大きな影。心筋を覆っているらしい部分が異常に腫れているとのこと。自覚症状無し。

個人病院から、総合病院に紹介状貰う。20日8時半受診予定。金曜夕方遅く、生活福祉課に連絡できず。


個人病院の先生は可能性は色々あると。

なまじっかその方面の知識があれば、随分無責任な言い方と受け止めたのかもしれない。

実感無いのが幸いしてか、あまり深刻には受け止めてない。


ただ、僕は生きるために治療を受け入れるべきか?そもそも  “今の自分”になったことを天罰として受け止めるなら、一切の治療行為を拒否する選択を選びかけている。

総合病院の判断が待たれる。


昨日の処方された薬。活性化させたのか?わからないけど、肺の2ヶ所のうちの1ヶ所辺りが痛くて息がしづらく、苦しい。


病気で死ぬなら、自殺とは違うから、少しは楽なのかな?


生きるために治療を受け入れるのか?天罰として受け入れるか。総合病院の判断を待つばかり。