「当時の腸(はらわた)」)) | 記録と想い

記録と想い

~記憶がないということ~

解離性健忘症(全生活史健忘症)になって

「虚無」らしい感じになって、   こうして書くだけ少し良いのか?「だんじゃり?」のつもりでスッキリしたいのか?


今年、あることがきっかけで、結果としておかしくなって。現在通所もなにもあったものではなくなって。ひとつ「キレた」ことがあって。


それはこの記事で書くことではないのでざっくり言えば、「今の自分ごときが周囲を気にして配慮するようなことを考えるどころじゃない、「自分」でしょ?「明確」にしないといけないのは・・・その為には自分の表現が※全て※で遠慮してはいけない。どう受け取られようが、その時の全力で伝えること」   表現全く足りてないけど そうなのだ。


だから 当時「アメンバー記事」に封印したことを 「血の通った感情のおもむくまま」に書こうと思う。あらゆる意味で気を使っても「使い損」なことに振り回されていた。※ものはいいようでその対象全てが「損とか得」とか言うわけではない。あぁ これだけでもどれだけの量になるだろう。「この書き方では誤解は拭えないのだと思う。でももう誤解を恐れずに言うときだと思う」


今回の記事は感情を優先させる


年明け2020年1月早々 に「最初に入院等で関わって」以来 初めて(丸8年9年目中)「主治医参加」で福祉の人たち集めた「担当者会議」なるものがある。どうして「主治医」が参加することになったのか?全くわからない。会議の前に診察があるのでその時少しわかることもあるのかも。


今回の記事はその病院は全く関係なく、あくまでも「胸腺嚢胞」に絡んだ病院。



そのいち ; 実際に関わったのは個人病院と総合「的」病院。そこにもうひとつ「名前」が出たのが当地に散らばっている「大手総合的」病院。


そのに ; 一応「Amebaの規定内」で書くけれど、それは「露骨」に表現しないだけで、「なに」があったか?それはそれは 「人生の貴重な時間」を使って読んでもらった人が「感じて判断してくだされば」よいです。わざわざ読んでもらうのは 常に「恐縮」。「もったいない」。


そのさん ; 体験したことなので「ノンフィクション」ただし、「登場人物」全てが「悪党」ではない。また時間が経っているのであいまいなこともあるがそのあたりはハッキリしたものを優先。必要なら説明を入れる。



そのよん ; 内容的に落ち着くまでは「何度」も「書き直し更新」が入ること。(これまでもほとんどそうです。1回でその記事が完結することはほとんどなく)「)」がタイトル最後にについていきます。1回で1個(だいたいです。時間更新は必要に応じてします)


とりあえずこんなところで。


~咳き込み~

そもそもの理由はハッキリしないままで 「今の自分」はとにかく「咳き込み」がある。


あの年(とし)2016年もそう。その時はどこかに「通所」はしてなくて、アパートでの生活を安定させるため(という主旨)で、週2回のヘルパーさんの訪問やら、月に2回の「訪問看護」が行われていて。


いまだに「咳き込む」。時々とまるので徹底的に調べるまでに至っていない。「出ないときは全く出ない」ことがあるから。後まわし後回しで今。※ちなみに「術後」暫くは「咳」はとまっていたのだけど。


でも「あの時」のそれは尋常ではなかった。「これはダメだ」と思ったのは梅雨が終わる頃だった。(この一文だけでも補足説明いれたらどれだけの量になるだろ)


国内的にそうらしいけど、いきなり「いわゆる総合病院」に行くのは普通は出来ない。救急でそのまま入院とか、規定にある一定の「お金」を払った人以外やcaseでない限り、まずは「地域連携」の意味や様々な理由があって地元の個人病院から診察開始(違っていればこ指摘いただければと思います。メッセージ、コメント等でお願いいたします。ここではあくまでも「今の自分」が認識している範囲で書いています)。


「縛り(障がい者年金でどうしても足りない分を生活保護の支援を受けているので、これも説明すると書ききれない)」という手続き上の関係で「歩いて行ける範囲」にひとつあった「呼吸器・循環器内科」を看板に謳った「個人病院」。選択しようがないので そこに行って。(最近は少しネットで調べて “ここが良いけどなぁ”と思っても行けない現実。患者の気持ちは反映されない。診療費は公費税金になるから理屈としては管轄の生活福祉課のいう通り。本来なら目くじらたてることはない。病院がマトモならね。)


まずは受付して問診。レントゲン撮影のあと、別室で採血等測定関係をしたあと、「何が目に留まったのか?」個人病院ではどうなのか知らないけどCT。夕方だった。


そこの「医者」は自分より年齢がどうなのか?「とにかく明るいチャラ男」(最近はそういう言葉も知ってるだけなら知っている)というのが「印象」で、その時 既に「疑問」に思って。やっぱり今でも「ヤブ医者」と思う、その一番は「最後までそもそもなんなのか?何一つ詳しい説明がなかった」こと。

レントゲン撮影で影を確認したからの「CT」。その上で説明は「イヤーなんだかわからない。○○か○○、どっちにする?」「悪性だったらお手上げ。うちじゃ無理」へらへらしながらハッキリ言われて刻み込まれてるのは「この二言」で、待たされて、たまたま歩いて行ける方に宛てて「紹介状」。「今だったらその場で暴れていたと思う。これは大袈裟ではなく。本気で。つかみかかっていただろう。間違いなく」


面食らう暇もなかったと思う。一切「病状」について話はなく、手続きだけして。紹介状渡されて。


だからいまだに「咳き込んで息が出来なくても」行きたくても行けない。「理由説明しても」生活福祉課には「あ そんなのかんけえねぇ!そんなのかんけえねぇ!」なので。


あの時は「そこの病院に対してどうこう」ではなく とにかく咳き込んで苦しくて息が出来なくて。
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そして何がなんだかわからないまま次の「総合的”病院」へ。


続きます