明日香村越の道標



牽牛子塚古墳(けんごしづかこふん)から岩屋山古墳に向かう途中、こんな道標がありました。

「左 おかでら たふ(とう)のみね はせ いせ 道」
「右 ちはら ごせ こんか(ご)うさん 道」

と肌理の細かい石材に達筆な字で彫られています。

裏には、「安政五(戊午)年八月吉日」とあります。

江戸時代後期、「おかげまいり」で伊勢に参拝するために奈良盆地でもこのような道標が数多く作られました。

この道標もちょうどそのころ作られたものでしょう。

調べてみましたら、かの「安政の大獄」の直前で、外国からは開国を迫られ、各国との間に「通商条約」を締結した頃でした。

激動の時代、人々は「おかげまいり」に明日の希望を見出していたのでしょうか。世情が不安定だったこの時代、「おかげまいり」をはじめ、当時の新興宗教もあちらこちらで生まれました。