近鉄飛鳥駅から西に山道をしばらくのぼると、「牽牛子塚古墳」があります。

十数年前に発掘した結果、皇極天皇(重祚して斉明天皇となる)の墓とほぼ確定されているとのことです。

墳丘は天皇クラスの墳墓の象徴である八角形をしていることにちなみ、このように整備されました。

なんか要塞みたいで、発掘前の草茫々の牧歌的な雰囲気は今ではありません。

皇極天皇といえば、たぶん蘇我入鹿が斬られるのを目の当たりにした可能性が高い天皇でしたし、また、重祚して斉明天皇になってからは天理市の石上(いそのかみ)神宮の西から大規模な運河をつくり、「狂心渠」(たぶれごころのみぞ)と人々から誹られながら大量の砂岩を運び、石造品を作ったといわれる天皇でした。

私も以前、天理市でこの運河の発掘を少しばかりお手伝いしたことがありましたが、石上神宮の西300mあたりに大きな溝が出土したのを思い出しました。

飛鳥は石の遺跡がたくさんありますが、こうして運ばれてきた石材を使用し、外国からの賓客をもてなしたのかもしれませんね。