人間のことを考えるブログです。
私は特にフェミニストではありません。
私は、ジェンダー学を専攻していました。
ジェンダーとは「社会的性差」です。
身体的な特徴ではなく、
「社会的に作られた性別」のことで、
簡単に言えば、「男はこう」「女はこう」という、
大体の人間が、
根拠はふんわりと、
でも潜在的にも顕在的にも不思議にしっかりと根付いている「男」「女」感です。
ただ、「男女平等」という考え方に、
私はずっと抱えている「違和感」があります。
本質的に社会が抱える問題ではなく、
”誰か”にとってのみ有益になるように”改善”へと動いてはいないか、と。
まぁまだ道のりは遠いですが。
そもそも”善”と”悪”をどう定義付けするかを議論すると長くなるので、
それはまたの機会に。
優遇される代わりに追うリスク。
それをどの角度から見るか。
それが、シンプルなものを複雑にします。
あなたは、女性ですか?男性ですか?
私が答えるのであれば「身体は女性という性を持ちますが、私は、”私”です。」
そんなシンプルなことなんです。
今日見たドラマで「〇歳の女の子の体に手術の跡を残すなんて…」という言葉を耳にしました。
え?男の子なら跡が残ってもいいの?
特にそのドラマへの批判がしたいわけではなくて、
ドラマの中で違和感なく使われるくらい、そんな認識が定着してるってことを言いたいのです。
人間は、自分が優遇されているものには目を瞑るもので。
逆に、不当だ!と感じることには敏感なんです。
でも、考えてみると、「当然だ」と思って流していることのどれだけ多いことか。
レディースデー然り、。スポーツの男女分け然り。
男女平等の考えの根本は、
身体に色々な個性を持つ個体としての人間が、
個々が個々を唯一無二の大切なものと認識した上で、
男女やその他の性や垣根を超えて互いに「一個の人間」と認めるものだと私は考えます。
ここで質問です。
ひとつの籠にリンゴが一個、もうひとつの籠にリンゴが二個入っているとして、
さぁ、リンゴは何個ありますか?
答えは簡単、「三個」ですね。
但し、数字的には。
概念的には、と言っても良いかと思います。
でも、実は、ひとつめの籠に入っていたリンゴは「世界一(青リ4号)」で、一個で900gあります。
ふたつ目の籠に入っていたリンゴは「紅玉」200gと、「ふじ」400gです。
これを「三個」と言っても良いものでしょうか?
甘さ、酸味、皮の厚み、食感、香り、重さ、大きさ、形、
個性すべてが異なるけれど、
人間が便宜的に種別分けした「リンゴ」という存在だからと言って、
一緒くたにして「三個」なんて、とてもリンゴに失礼です。
紅玉という種類ひとつとっても、個体によって重さも味もいろんな個性があるのに。
種類×個体×個性=∞
なんて、誰が考えたってすぐわかることなのに、
それを、「三個」、だなんて、ねぇ?
数学的、概念的には「三個」でも、実質的には「一個と一個と一個」なんです。
人間だってそうです。
生物としての数値は「三人」だとしても、実質的には「一人と一人と一人」。
そんなシンプルなことなのに。
というわけで、
「なるべく楽に、なるべく楽しく生きる」をモットーに、
いろんなことを考えていきたいと思います。
次回も何かをテーマに勝手な意見を文章にしていきます。