「LGBT」の方が”性的嗜好を告白すること”を一般的に「カミングアウト」と括りますよね。
そもそも私は「LGBT」という括りすら不自然だと思っているのですが、
その「カミングアウト」って何なんでしょうか。
そんなことする意味あります?
人が人を好きになること。
人が人に性的な欲望を抱くこと。
その相手が異性か同性か、って、何か違いがあるのでしょうか?
個人的には、私が今までお付き合いしたのが異性の方だったことは、
”たまたま”だと思っています。
別に、「異性だから」その人を好きになったわけではないし。
”その人だから”好きになったんだと思ってます。
とは言え、私ではない誰かが、「異性だから」「同性だから」誰かを好きになったとして、
それって、「優しい人が好き」「お金持ちが好き」「頭がいい人が好き」という、
よくある嗜好と何かの違いはあるのでしょうか。
私にとっては全て同じような、”条件出し”のひとつでしかないのです。
それを、口にしなきゃいけない世の中だから、
だから「LGBT」なんて括りが必要になっちゃうんだと思うんですよね。
誰かが誰かを好きになる。
ただ、それでいいと思うんですよ。
性や性別の形は、70何億人通りあって然るべきで、
そんな趣味嗜好を持っていようと、
他人の生きる権利を侵害しない限り、
存在していていいと思うんです。
侵害しない限り、ね。
大体、こんなに一人一人身体の特徴も心の創生も違うのに、
それを「男」「女」の2パターンに分類しようと思うのが無理なんですよね。
星座ですら12とか13とかあるのに。それの信用性だってアレなのに。
それを、たった2つですよ。あはは。
自分が、周りの人間全てが恋愛対象にならないのと一緒で、
周りの人間が必ずしも自分を恋愛対象に入れるとは限らないんですよ。
周りの人間に同性愛者がいたとして、
自分がその対象になると思って身構えるなんて、なんて自惚れなんでしょう。
そして、自分がその人の恋愛対象になったとして、
「気持ち悪い」とか、その感情で何なんでしょうか。
自分が好きになった人に「気持ち悪い」って思われていたら、
その時どんな気分になるんでしょうね。
想像力が足らなすぎる。
ただ単に「恋愛対象に入ってなかった」「好みじゃなかった」と思わないのが、
今のジェンダー認識の恐ろしいところなのです。
知らないところで、知らないうちに、
「男はこう」「女はこう」を植え付けられて、
それに疑問すら持つこともなく、
自分の考えを「100%正しい」と思わされて、
生きることが、どれだけ、人の心を傷つけるか。
平凡な自分が思うより、
世界はもっと広くて、世界はもっと自分に厳しい。
でも。
人間は、案外優しい。
私を認識しない「世界」と、(ただの70何億分の1)
私分を認識する”人間”。(顔と顔を知り合っている)
だから私は、”人間”にもっと優しくなれる、余裕のある人間でいたいと思うのです。
