こんにちは。
今回は、救いの序列と弁える謙虚さについて述べます。
新約聖書 マルコによる福音書 七章二十四節〜三十節(拙訳)
そして、それから(イエスは)立ち上がり、ティルスとシドンの境界へと行きはった。また、ある家に入り、誰も知らへんようにと思てはったが、知られへんようにでけへんかった。汚れた霊を持った幼い娘を持つ女は、彼(イエス)について聞いたため、来て彼の足許に平伏した。しかし、その女はギリシア人でシリア・フェニキアの生まれやった。そして、(彼女は)彼女の娘から悪霊を追い出すように彼に懇願した。
しかし、イエスは彼女に言わはった。「最初に子供たちを満たされるように。子供たちのパンを取って、小犬たちに投げるのは適切やないさかい。」
ところが、(彼女は)答えて彼に言う。「その通りです、主よ。しかし、食卓の下の小犬たちは、子供のパン屑から食べます。」
そこで、(イエスは)彼女に言わはった。「この言葉故に、行きなはれ。悪霊はあんたの娘から出た。」
そして、(彼女が)彼女の家に戻って来たら、悪霊が出て行って、寝台の上に投げ倒されてた娘を見付けた。
マタイ十五章二十二節では「カナンの女」と表記されてるが、呼び名の問題であり、旧約聖書を読めば分かるとおり、かつて古代イスラエル人が放浪していて中東の地で古代イスラエル王国を樹立する前の彼の地はカナン人が住んでいた。せやから、その原住民の呼び方としてカナン人とマタイでは表記されてる。しかし、マルコでは、主イエスに助けを求めたこの女は、シリア・フェニキア出身のギリシア人と明記されてる。マタイ筆記者とマルコ筆記者では、当該土地に住む民族に対する考えの差、呼び方の差が表れてるのが分かる。カナン人とは古代イスラエル人が中東の地を手に入れる前に住んでた原住民の呼び名をそのまま使用しただけで、間違えてるとか聖書に矛盾があるという訳ではない。いずれにしても、今回の聖句で出てくる女はイスラエル人やのうて、異邦人であることには変わりない。
主イエスは、公生涯にて同胞のユダヤ人のみを相手に伝道してはったんやない。他の聖句でも当該聖句でもそれが明確に分かる。今回は、前回記事「人間の言い伝えよりも神の掟を守れ」でエルサレムの律法学者とファリサイ派の人々に叱責しはった後の話で、主イエスは彼らにうんざりしたのか、一旦ユダヤの地を離れて、異邦人が居るティルスとシドンの境界の地域に来はった。当該地域は、地中海沿岸の古代フェニキアの都市国家であり、異邦人が大勢住んでた。そのティルスとシドンの境界地域に主イエスが来はったのは明らかに異邦人と交流するためやった。もし主イエスが、異邦人と関わり合いを一切持ちたくない、救いたくないとお考えなら、わざわざあっこまで足を運びはらへんかったであろうからや。短い滞在ではあったものの、主イエスは意図して異邦人のところまで敢えて行きはった。
上記聖句のとおり、「ある家に入り、誰も知らへんようにと思てはったが、知られへんようにでけへんかった。」とあり、主イエスはこの時既にユダヤ全土のみならず、異邦人の地域にまで名声が及んでおり、外国に住む外国人の間でも有名になっていた事が分かる。それ故、主イエスは騒ぎになっても困るし、大勢が御自分のところに押しかけて来るのも好まへんかったさかい、他人に知られへんように努めたが、それを防ぎ切ることはでけへんかった。それは当然でしょうね。なぜなら、主イエスはお一人で行動せず、十二使徒を帯同してたからで、団体行動すればやはり人目に付くのは避けられへんからや。異邦人たちも主イエスは奇跡を起こし、病気を癒やしたり、悪霊を追い出すことが出来る等といった噂話を既に聞いて知っており、その利益目的で殺到するのが多数派というんはユダヤ人と同じであったのだろう。ところが、今回、ある異邦人の女とその娘に関する短い話であるが、非常に重要な教えが隠されてるさかい、今回取り上げる。それは、異邦人(血統イスラエル人以外)は、主イエスの信仰を持ち、かつ、その分を弁えて謙虚でいれば、救われる可能性があるという事です。当時まで、聖書の教えどおり、創造主であらはる主なる神は、「アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神」とも言われ、そのヤコブが天使と相撲を取った後にイスラエルと改名することになり、その十二人の息子から出た子孫はイスラエル十二部族となり、神より選ばれし特別な民である。但し、現代の中東の偽イスラエルや欧米に多く住む白人の偽ユダヤ人は神より選ばれし民ではない。なぜなら、彼らの血統が異なるからや。民族は父系の血統で決まり、偽ユダヤの帰還法が勝手に定義してる母系の血統と宗教や思想信条等で血統ユダヤ人かどうか決まる訳やないさかい、「ユダヤ教を信じる者=ユダヤ人」という方程式は成り立たず、誤りや。むしろ、拙者が、一部の日本人はその古代イスラエル人の末裔であることは当ブログと動画で証拠を示しながら説明してきたとおりで、今回はそれについて詳細に語ることはしない。気になる人や知らぬ人は当ブログの過去記事を調べるなり、動画を閲覧して勉強してください。
さて、血統イスラエル人以外は異邦人と聖書上では言われており、ハプログループD系統といった一部の日本人(帰化人や外国人血統の在日は除く)やその日本人と似た遺伝子を持つ一部のチベット人や一部のブータン人等が正統なイスラエル人であり、民族を定義したり決定するにあたり重要事項は、あくまでも血統及び父系であり、母系でもなく国籍なんていう書類のことでもない。国籍なんか世俗の各国政府という人間が勝手に決めた所定の要件を満たして手続きを取れば変更することが可能であり、国籍変更なんかでその人間の本質や性格や血統等を変える事はでけへんからや。神の律法違犯であり罪である性的倒錯についても、男が女、女が男になる手術やホルモン投与等の小細工をしたところで肉体と外見を誤魔化して変えてるに過ぎず、遺伝子自体は変わらへんのと同じで、国籍なんていうのは書類上の区分が変わっただけでは血統も遺伝子も変わらんのです。せやから、帰化という見せかけの小細工をしたかて、民族や人種やその人の気質が変わる訳ではない。それ故、帰化人は信用ならへんし、公職や民間でも要職に就かせるべきではないし、帰化した途端に同じ民族になる訳でもない。帰化する外国人たちは、その国の公務員になりたいとか、日本国内の要職に就きたい、日本国民が持つ権利や利益を享受したい等と個人の利益のためにやってるに決まってるからです(間諜ならその人の出身国の利益のため)。こういう事が分からず、邪な目的で国籍を変えて帰化した人たち(政治家の中では顕著)やそれらを擁護するような人たちはほんまに愚かです。特定の国を内側から破壊して滅ぼすために故意に対象国に帰化して国籍を変えてその国の中枢機関に潜入して売国政治をしたり売国判決を出したりする公務員になってる間諜、一般企業においても売国商売をする間諜、生まれ持った性を神に逆らい変える者、その他様々嘘をついたり、騙したり、金儲けに必死になったり、その他の悪事をしたり、神の律法違犯をしてる者どもよ、悔い改めよ。何遍も言うてるとおり、悔い改めるとはどういう事なのかを理解してへん人間が多いが、これは、これまでの言動や生き方が神に認められるものではなく悪かったと認めて反省し、神の律法に則るように自分の言動を変えること、生き方を変えることです。何故、神の律法に則る必要があるのか。それは、神の律法に違犯することは罪を犯すことを意味し、罪を犯すんをやめへんのなら神から罪人(犯罪者)として罰せられ、地獄行きにされるからや。これは人間社会においても同じやろ。法に反した不法(違法)行為をすれば、罰せられるのと一緒です。そして、神の律法に則るか否かを知るには聖書を読んで学ばねば無理です。知らんもんを守れる筈がないからや。主イエスはお優しいさかい、新約時代は人間が神の律法に違犯したら即処罰、即死刑なんてことはなさらへんのやが、それをええことに一向に悔い改めへん悪い人間がこの世には多過ぎる。しかし、そないな悪人は後の世で地獄行きになり、律法どおり死刑に処されます。それが嫌なら、この世で生きてる間にさっさと悪事をやめて足を洗い、主イエスの弟子(キリスト者)として神の律法を守り、真の聖書福音を伝道し、その他慈愛あるええ行いをする生活をしなはれ。なお、世の諸教会(カトリック、正教会、プロテスタント等)や諸教派をはじめとするパウロ教信者はキリスト者ではないさかい、彼らのように偽使徒パウロを信じて律法廃止論を擁護し、律法違犯をし続けてはならない。
話が少し逸れたが、イスラエル人とそれ以外の異邦人であるかというのが前提として知っておかねばならないことであり、重要故に前置きとなる話をしておいた。そして、古代イスラエル人の末裔だからというだけで救いが約束されてる訳でもないことに注意が必要や。こう言うのは、必ず「日本人で良かった」、「日本に生まれて良かった」等と出生を誇る愚か者が居るからや。出生については、本人は何の努力もしてへんのやから、そないなもんは誇るものやない。むしろ、そうやって出生に誇りを持つ一方で、実際には怠惰で何もせえへん人は破滅を味わうことになる。そして、拙者は、悪魔崇拝者の支配層のように優生学を主張してる訳やない。どの人種であれ、どの民族であれ、主イエスの信仰を持ち、神の律法を守らねば救われへん事は共通してる真実や。日本人というだけで自動的に何もせずに救われるのではない。せやから、多くの日本人が不信仰者(異教徒、パウロ教信者を含む)である以上、大多数は救われず、救いに値する真のキリスト者は非常に少数やし、外国人も神の律法を守らへん人が多い故、大多数が救われると考えるパウロ教や多神教信者らの主張は、反聖書的、及び反キリスト的思想と言え、間違うてる。
上記聖句の「汚れた霊を持った幼い娘を持つ女は、彼(イエス)について聞いたため、来て彼の足許に平伏した。しかし、その女はギリシア人でシリア・フェニキアの生まれやった。そして、(彼女は)彼女の娘から悪霊を追い出すように彼に懇願した。」の箇所は、異邦人としてあるべき姿勢が表れてる。異邦人ではなくても一部の日本人等といったイスラエル人の末裔であっても、謙虚な姿勢は重要です。しかも、表面的に取り繕う偽りの謙虚さやのうて、心からの謙虚さが必要です。実際、この俗世では謙虚を装う偽善者が多いからや。例えば、褒められたとき、「そんなことないですよ〜」なんて謙遜して見せる人が居るが、かように言うのが一種の儀礼として現代日本人の間で成り立ってるだけで、本心はそう思ってへんことが多い。しかし、神は、人間の心を見透かしはり、高ぶってる人間や嘘を言うてる人間を正しく把握しはり、高慢な者を嫌って退けはるからや。故に、信仰に招かれへん者や招かれたとて長続きせえへん者は、神の目に敵わへん者、心に何かしら問題がある者と言える。そして、心から謙虚な人は、人間自身が正しいと思い込むのをやめ、主なる神の正しさを認めて主イエスの信仰を持ち、神の律法や秩序に従う。そうした行いがすべてを表す故、行いが伴わへんのに口先だけで「自分は謙虚だ」、「主イエスを信じてる」、「自分はキリスト者(クリスチャン)だ」等と言うても嘘でしかなく、説得力が無いからです。異教徒(パウロ教信者を含む)や不信仰者は、謙虚ではないし素直でもない故、神に反抗して悔い改めへん故、神から赦しを得られず、救われることはない。
また、勘違いしないでもらいたいのは、神の御前であるべき姿勢や態度は、神と対面してる時だけに限らへんということであり、常日頃からの姿勢や言動を改めねばならんということです。当該聖句のギリシア人の女は主イエスと会い、目の前に居たが、その時だけ低い態度を取るというのではあかんということです。「実際に神を目の前にすれば平伏する」等と内心で思てる人が少なくないであろうが、そう思てる人は平素は尊大な態度をしてるのでしょう。そないな有様の人間は救われへんで。主なる神は、対面でしかあんたのことを見てへんという訳ではないからや。あんたの一挙手一投足はすべて神に知られており、隣人に対する態度を神に対する態度として見られてるということを覚えておくべきや。拙者に対して偉そうな態度を取ったり、反抗的であったり、中傷をした人は、実際は神に対して同じような言動をする者です。相手によって態度をころころ変えるようなカメレオンの偽使徒パウロやその座を継承してるローマ教皇のようではあかんよ。誰に対しても嫌われたくないと思て、表面的には誰に対しても良く振る舞うが、内心はそう思てへんという八方美人な性格の人間もあかん。既に言うたとおり、神は心を見透かすお方やからや。神は、表面的な言動だけで人を判断するのではなく、人の本質を見てはる。マタイ二十五章三十一節〜四十六節の話から分かるとおり、神は隣人に対する行いを神に対する行いとほぼ同視して、その人間を評価しはる。また、その動機も評価対象であり、神からよく思われたいという点数稼ぎのためにやるのではあかん。せやから、平素から隣人への言動が悪いのに、神の御前だけ言動を変えて善人を取り繕ったところでまったく無意味です。神を侮るでない。
さて、当該聖句では、ある幼い娘を持つ母親の話で、彼女はシリア・フェニキア出身のギリシア人であったと書かれてる。あのギリシア人の女は、おそらく地元民で、外国語に流暢であったとは考えにくく、彼女の母国語のギリシア語のみを話せるに留まっただろう。では、どうやって彼女は主イエスや十二使徒と意思疎通が出来たのか。もし言葉が通じひんかったら、かように福音書の中に記録として残らへんかったからであり、実際は記録として残ったや。
そもそも、主イエスは、どの言語を使用しはったか。拙者が考えるに、アラム語、古代ヘブライ語、古代ギリシア語の三言語を使用していたと考えられる。アラム語は、聖書から分かるとおりで、アラム語をそのまま主イエスが発言したとわざわざ書かれてることから、主イエスは伝道時はおもにアラム語を話しはった事は周知の事実や。更に、会堂で聖書を読む際は、そこに書かれてる古代ヘブライ語を読んで理解出来て、読み上げることが出来はったんやから、古代ヘブライ語も熟知してる事も分かる。アラム語と古代ヘブライ語は似てるため、片方を知っていればもう一方を知ることは難しくなかっただろう。古代と書いたのは、現代の中東の偽イスラエルにて、偽ユダヤ人であるシオニストらが人工的に作り上げた現代ヘブライ語とはまったく同じではないためや。そして、古代ギリシア語についても同じで、聖書に書かれる古代ギリシア語と現代ギリシア語はまったく同じではないし、住民の民族も当時とまったく同一ではない。主イエスはこのギリシア人の女と会話出来ただけでなく、他にもローマ人兵士と会話出来たり、総督ピラトとも会話したことも福音書に書かれてるとおりや。もし主イエスがギリシア語についてまったく無知で話せへんし聞けへんのであれば、これらのやり取りは有り得へんかったであろうからや。主イエスは三十歳を少し過ぎて(推定三十二歳位)公生涯に入る前までは大工として働いていて、おそらくその時までの経験でギリシア語会話を習得していた可能性もある。故に、主イエスは少なくとも三言語を操るお方であったことが分かる。また、十二使徒の全員ではないが、古代ギリシア語の会話を理解出来る人は居ったであろう。特に、十二使徒の一人であるマタイという元徴税人は、ローマ帝国に税金を納めるためにローマ帝国とユダヤ人の間に立つ立場であり、ローマ帝国属州で広く使用された当時の主流言語であったギリシア語を話すことがでけへんのなら、仕事にならへんためや。ユダヤ人がユダヤ内のみでユダヤ人相手のみに仕事をして生きてたなら、ギリシア語等の外国語は不要かもしれへんが、商工業においてローマ人やギリシア人等の外国人相手にも仕事をする場合は、ギリシア語の知識も必須であったため、ユダヤ人でもギリシア語を話した人も居った(使徒言行録六章一節、九章二十九節参照)。ユダヤ人であるが、ローマ帝国属州のタルソス出身の偽使徒パウロもギリシア語を話せた(使徒言行録二十一章三十七節参照)。当時のユダヤは、ローマ帝国の属州にさせられ植民地支配を受けてたため、複数言語を知ってる人もちらほら居った事実を知るべきや。現代日本は、昔のユダヤと同じ事態になってる。明治維新以来、英国による植民地支配を受けて日本人を西洋かぶれに傾かせ、第二次世界大戦敗戦以来は米国の指示によって英語を義務教育に入れられ、多少なりとも英語が分かる日本人は明治期以前に比べれば格段に増えた。現代が過去より悪い点は、自ら進んで勉強する場合は別やが、義務教育として敵国の言語を学ぶように強いられてる点であり、その言語を母国語とする外国人から植民地支配を受けてると理解すべきやで。現代も外国人と仕事をする場合は、英語やその他の外国語を用いる必要性があることが多い。昔のギリシア語を現代の英語に置き換えて考えれば分かり易いだろう。かように、「かつてあったことはこれからもあり、かつて起こったことはこれからも起こる。太陽の下、新しいことは何もあらへん。」(コヘレトの言葉一章九節拙訳)と聖書にあるとおり、歴史は形を変えて繰り返してる。
なお、言語能力について付言しておく。一般に、言語能力があると言うには、四つの能力(聴解、読解、記述、話すこと)を一定基準以上満たす必要がある。聞くこと(聴解)と話すことは二つのみで、読解と記述はまた別の二つの能力やからや。欧州の言語資格ではCEFRという六段階(上からC2、C1、B2、B1、A2、A1)で評価し、四つすべての分野で合格基準を満たして初めて資格を付与するからや。現代日本で用いられる英語試験のTOEICや日本語能力試験のJLPTなんかは読解と聴解の二つしか見ておらず、話すことと記述が抜けてるため、言語能力の証明には役に立たへん。マークシートという機械採点をしたいがためで、手抜き試験であり、欠陥と言う他ない。CEFRのように四つの能力を試験する内容に変更すべきであろう。実際、日本の難関大学に入った人も、TOEIC高得点保持者も英語を話せへん人は多く、受験英語だけ出来ても会話は出来るようにはならへん故、英語力があるかは出身校やTOEICの点数だけで判断出来ず、CEFRの試験で評価すべきや。欧米諸国ではTOEICなんか認知すらされてへんし、評価対象になっておらず役立たずや。CEFRでC1やC2という上級資格を取得してへんならその言語に精通してるとは言えへん。たとえ、C1やC2を持つ人でも母国語話者と同等とは思えず現状に満足せず「自分はまだまだです」と自分より上を見て謙遜し、更なる高みを目指して勉強し続ける。上級者になれば視座が高くなる好例です。中途半端で程度が低い者程、愚かで高ぶり、学びを疎かにする。聖書の習熟度でも同じ事が言え、聖書を複数回通読してへんようなド素人が嘘を平気で吹聴したり、複数回通読しても真理を理解してへんような人は偉そうに間違うた事を固く信じて嘘を吹聴し、真理を語る者を敵対視して中傷する等して迫害する。
欧州での就職に際して、当該国の母国語話者は取得不要であるが、外国人なら当該国の言語試験で上から三番目のB2(中上級)以上の取得が要求され、外国人が欧州の大学に入学するなら、C1以上の取得が必要となるのが一般的や(所によりB2でも可能)。かように、欧州では言語能力については結構厳しく、言語がある程度出来るのは当然として、更にその上で専門的な知識や経験や資格があるのかが就職では問われる。言語だけ出来ても就職は難しいです。なぜなら、言語は現地人は不自由無く出来るからであり、外国人として現地就職を勝ち取るにはそれなりの強みが必要となるのは当たり前や。日本人が日本の受験勉強で経験して比較的得意な読解と聴解だけ出来れば何とかならへんのが世界の常識であり、読んで聞ければええのではなく、更に話したり、書けなければ評価に値せえへんのです。言語とはそういうもので、最低限は話せて聞けるという意思疎通がでけへんなら、その言語を操れるとは言えへんのは当然や。多くの日本人は英語を不自由無く話せへん以上、英語がでけへんという区分の人が多い。昨今は手紙のみならず、仕事や日常生活でメールやチャットで文章を書く能力と正しい綴りで書く知識や正しい文法で書く能力も必要不可欠であり、CEFRで会話のみならず記述能力を求めるんも合理性がある。
さて、聖書に話を戻し、あのギリシア人女は、主イエスの事を噂で既に知っており、それ故に主イエスの居場所を突き止めて懇願しに来た。ギリシア語が話せるのか等のやり取りはここでは省略されてる。彼女は、自分の娘が悪霊に取り憑かれて困っていて、それ故に主イエスを探し、悪霊を追い出すように、平伏して懇願した。何もせずに待ってるだけの受け身やのうて、積極的に自主的に情報を得ようと努力し、探して、かつ、平伏する姿勢から、あんたらも学ぶべきや。概して外国人は傲慢な者が多い。例えば、外国人が日本に来た際、日本人に対して日本語で話す等の努力もせず、日本人に英語対応を当たり前のように求め、英語が通じひんなら「日本人は英語が話せないから困る」等と上から目線で文句を言うたりする愚か者が一定数居る。日本は、日本語話者と日本文化を持つ日本人の国であって、外国語と外国習慣を持つ外国人のものやない。日本で役務を受けたい、又は日本で暮らしたいなら、日本語と日本文化を勉強してからにしなはれ。日本人が海外に行く際は、大抵は日本語で押し通そうなんてせず、頑張って現地語を話したり、現地語を話せる人に依頼するなりして意思疎通に支障が無いようにするのが当たり前の認識です。しかし、多くの外国人はそこまで頭が回らず、厚顔無恥にも日本語をまったく話せへん状態、かつ、日本文化を尊重する気も無い状態、即ち、何も準備しない状態で日本にやって来て、自分らの母国語や英語等で押し通して相手の日本人を困らせたり煩わせる傲岸不遜さと愚かさを直せ。
ここで一つ言うべき事がある。最近、日本で外国人が激増してる原因は、日本の経済停滞と売国政府による意図的な支那人に対する査証緩和による。拙者が過去記事「日本人の問題点 五」等で示したとおり、おもな先進国の諸外国は給料が右肩上がりで好調なのに対して、日本は三十年以上給料が上がるどころか下がる状態が続き、こちら(FinTech Journal)にも書かれるとおり、日本は単に安い国というのが外国人の認識で、日本に来る動機も日本が安いからです。ほんまに恥です。言い換えれば、日本は安っぽい国、貧乏くさい格下の国と外国人から思われ、外国人は彼らの自国よりも安い買い物が出来て安い価格で贅沢気分を味わえるという理由だけで日本に来る外国人が激増してる。日本がかような有様で在り続けるなら、外国人たちから舐められ続けるわな。安いというのは栄えていないという判断になるからや。高級品と安物を比べ、どちらを大切にするか。例えば、百均の店で買うた安物はなんぼでも替えが利くと思て大事にしないのではないか。一つ何十万円もする、何百万円もする等という高級品なら丁重に扱うだろう。それを無意識でするのが人間やろ。しかし、単に販売価格を高く釣り上げればええってもんやない。日本人の平均収入が低い状態で価格を上げても益々購買意欲も消費活動も下がるだけやさかい、単純な問題ではない。全体的な底上げが必要や。国も同じで、日本は諸外国に比べて安い国ということは、それよりも高い水準の国の人からすれば、日本と日本人を格下に見るのは普通で、重んじる訳がない。勿論、人間と物を一緒にするなというのは分かるし、他国と他国人を見下すというのは倫理的によろしくないというのは当然ではあるが、それでも他人の潜在意識は変えられへんよ。外国人の日本での奔放な振る舞いやわがままな態度の根底には、日本が安い格下の国、そこで暮らして働く日本人は安月給で休みもろくに取れへん奴隷の如く働く格下の人間という見下す潜在意識があるからと考えられる。また、現代日本人が西洋かぶれして洋服を着てヘラヘラして倫理観も悪化してる以上、外国には無い日本らしさや日本人らしさの特別感も無く、外国人にしたら尊重する点が無い。すぐに出来る事で個人でも出来る事は服装変更で、洋服をやめて和服を着て、髪を染めるのをやめ、みっともない化粧等もやめ、ピアス等もやめ、明治維新前の日本人らしさを示す方が遥かに価値があることに早よ気付いて変えろよ。せやから、拙者は「日本人の問題点 一」からの連載で日本人の問題点を指摘して改善するようにと言うてるんや。それしか改善する道が無いさかい。しかし、現代日本人は愚かで、聞く耳を持たず、改善しようとせえへん。それでは今後も日本は人口減少と経済的にも没落の一途を辿り、大災害でも起きて壊滅状態になれば、いずれ誰にも相手にされへん国になるか、他国人に侵略されるかという暗い将来しかあらへん。
しかし、外国人にも物申す。日本人の尊重も感じられず、日本人を煩わせる外国人どもは日本に来るな。日本人も外国人を甘やかすな。外国人を甘やかすから、彼らは調子に乗ってやりたい放題するんや。また、日本人に対して挨拶や何かをお願いする際に会釈やお辞儀すらしないような者が多い。外国人の文化や習慣にはお辞儀が無いとか、色々な言い訳があろうが、その人の心が低ければ自然と行いに表れるものです。芸人や俳優等のように、心にも無いのにわざとお辞儀や平伏する事も厭わずに出来る人も居るだろうが、上述したとおり、心が大事なのであり、神の御前ではすべて見透かされており、その行いがその人の本心からやってるのか、見せかけでやってるのかはすべて把握されてる。主イエスは彼女の平伏を見せかけの行いとは判断せえへんかった故、彼女の要求を受け入れて願いを叶えはった。自分自身の利益のためという利己的な者や高慢な者の願いは、神に決して受け入れられへん。もし受け入れられたというなら、それは主なる神やのうて悪魔である。この仮の世の財産や権力等を支配してるのは悪魔やさかい。それ故、この世の金持ちや権力者や有名人等の多くが悪魔崇拝者なんや。昨今、日本人も老若男女問わず傲慢な者が激増しており、「今だけ、金だけ、自分だけ」の悪い人間が多く、又、神を認めへんとか、自分が正しいとか思い込む高慢な者や、世の権威に騙されて追従してるだけの愚か者が多い。今一度、すべての人間が、かような姿勢や態度を当該聖句のギリシア人女から学んだらどうか。
話は逸れるが、当該聖句でフェニキアについて言及があったさかい、ついでに調査した事を共有しよう。愛と真実の翻訳ノート(note)では、フェニキア人についての考察が紹介されてる。フェニキア人は、現在の中東のレバノンを拠点としていたが、航海して中海沿いの北アフリカやギリシアやスペインやイタリア等の南欧に広がり、大西洋にも出て北欧や英国やアフリカ北西部にも進出した。フェニキア人は、フランス北西部のノルマンディー地方に頭蓋骨と骨をXの形に組んだ英語で言う「Skull and bones」(髑髏と骸骨)を用いた証を残したことから、海賊のバイキングや米国イェール大学の秘密結社との関連性が窺えよう。ちなみに、その結社出身者として有名なのはジョージ・ブッシュ米国元大統領親子、ジョン・フォーブズ・ケリー元米国国務長官、歴代の米国中央情報局長官、その他の米国の中枢機関(国防総省等)にも多数存在する。フェニキア人の人種の特徴は、肌が白く、碧眼も居り、血液型のRh陰性(マイナス)である割合が他国に比べて多いということ。日本ではRh陰性は非常に少なく、人口の〇.五パーセントしか居ないのに、スペイン北部のバスク地方では人口の三十二パーセントも居るという。そして、ローマ教皇のために働く悪名高いイエズス会の創設者であるイグナティウス・デ・ロヨラとフランシスコ・ザビエルは、バスク地方の出身や。Rh陰性者は、日本をはじめとする東アジアでは非常に少ないのに、西洋の白人国家では十五パーセントと割合が高くなり、南米のブラジルもRh陰性者が多い。この理由は、中世時代の白人たちによる大侵略時代、ポルトガル人等が南米に侵略して繁殖した影響と思われ、それ故に現在のブラジルでRh陰性者の割合が高い。そして、興味深いのは、フェニキア絡みの国は、その国旗の配色として赤色、白色、緑色を使用してるという共通点があることや。レバノン、アラブ首長国連邦、パレスチナ、イタリア、ハンガリー、ポルトガル、ブルガリア、イラン、メキシコ、ウェールズ(英国の一部)、そしてバスクや。バスクは、この三色以外にも十字を使用する特徴もある。バスク十字は、鉤十字の一種であり、丸みがあって一見分からないかもしれへんが、実はかつてヒトラー率いるナチスドイツが用いた鉤十字紋章と形状と傾き加減がほぼ同じ。また、ブラジルはレバノンとの関わりもあり、日産の社長を務めたことがある有名なカルロス・ゴーン氏もレバノン系ブラジル人です。勘違いしないでもらいたいのは、白人全員がRh陰性ではなく、全体からみれば少数であり、外見や国籍だけでは分からへんということや。
そして、紹介した記事にも書かれてるとおり、Rh陰性の妊婦がRh陽性の子供を持つと流産確率が高く難産であるとのこと。Rh陰性は、自然界で他の動物にも無い特殊なもので、何処から来たのか不明とされる。しかし、拙者が思うに、Rh陰性が他の動物には一切見られへん理由は、聖書に書かれる堕天使の血筋であるネフィリム(巨人)の系統であるからではないかということ。理由は、Rh陰性者は子供を持つ際に障害となり得ること、ネフィリムも繁殖が困難であったことに共通点がある上、この悪い世の権力者や金持ちにRh陰性である人の割合が高いと言われており、その血統が重視されてる傾向が顕著なためや(勿論、Rh陰性者全員が優遇される訳ではない)。先に示したとおり、様々な領域においてこの世の権威者であったり、金持ちである比率が高く、意図的に縁故で固められてると言える。悪魔である堕天使やこの世の支配層と何らかの縁故があったり、利害関係が一致する等の事情があるからや。今では世界中に広がってるが、権力者である白人らの祖先を辿ればフェニキア人の末裔が多いと言うことが出来る。フェニキア人は、商売繁盛のためにフェニキア文字を他国人と共有して意思疎通を図り、それが発展して欧州でラテン語になり、現在のアルファベットの礎になったと言われる。言わずと知れたアルファベットは西洋言語の礎であり、彼らと深い関係があるのは疑いようの無い事実や。なお、ネットではフェニキア人はセム系と書かれてることがあるが、嘘であり、拙者が書いたとおり、セム系はアジア系民族であり、おもに遺伝子的に古代イスラエル人、及びその末裔である日本人、ブータン人、一部のチベット人等を指すからや。日本人が白人と同祖なんておよそ無理があるのは誰でも理解出来るやろ。アダムの子孫という点においては、どの民族であれ同祖であり、人類は皆兄弟と一応言えるのだが、遥か昔に分岐したり複雑に混血してしまい、人種的や民族的な点では同祖とは言い難いという意味でしかない。無論、差別という意図でかような事を言うてるんやのうて、ただ客観的事実を言うてるだけや。現代では混血が進んだ影響で、Rh陰性者でも背が高くない場合も大いにあるため、背の高さで判断すべきではない。
しかし、白人は、フェニキア人のみならず、ギリシア人やローマ人等にも居り、それに加え、コーカサス地方、即ち、黒海とカスピ海の間の辺り出身を拠点としてた白人、拙者が過去に述べた、国家的に集団でユダヤ教に改宗して自分らをユダヤ人であると偽ってるハザール人の末裔どもも存在する。彼らが現代の欧米の支配層となり、通貨発行権を握って銀行を中心に世界を牛耳り、現代では各国政府や国際機関(UNやWHO等)に傀儡となる政治家を送って売国政治を行わせ、世界経済討論会(WEF)等の組織の意向に沿う新世界秩序(NWO)の樹立に向けて、大企業をも支配し、悪事を日々働いてる。彼らだけやのうて、彼らの脅しに屈したり、大きな利益を約束されてそれに乗っかって彼らの手足となって一緒に悪事を働いてる者どもも、悪事をやめず、生き方を改めへんのなら地獄行きは不可避であり、神から赦されると思うなよ。コロナ偽感染症騒動という史上最悪の大量虐殺及び傷害事件も未だ解決しておらず、罰せられるべき奴らが罰せられぬままです。捜査機関や司法機関も彼らの配下にある以上、黒幕を捕まえたり裁いたり出来る筈もないという事実が分かるというもの。この世全体がとことん腐敗し切っており、もはやこの世全体が滅ぼされなければならぬ程に堕落と悪が極まりつつある。まさに創世記に書かれてるノアの時代のように。かの時代も、多くの人々が神を信じず、従わず、神の律法を破り、悪事に手を染め、ノアの呼び掛けや伝道に応えることもなく、悔い改めることもなかった。それ故、神は大洪水を起こしてこの世の生き物を一掃するしかないという決断をしはったんや。終末時代もノアの時代のようであると過去記事「聖書の終末預言 三」で示したとおり、主イエスは明言しはった。時代の情勢を正しく把握してるなら、拙者が言う事を理解し、悔い改めの行動を取るであろう。そうせえへん者は神に選ばれぬ者、滅びるべき者、反キリストであるという証拠や。
また、救いの序列については、上記聖句で「しかし、イエスは彼女に言わはった。「最初に子供たちを満たされるように。子供たちのパンを取って、小犬たちに投げるのは適切やないさかい。」ところが、(彼女は)答えて彼に言う。「その通りです、主よ。しかし、食卓の下の小犬たちは、子供のパン屑から食べます。」」と書いてるとおり、異邦人であるギリシア人の女は、主イエスに対してその分を弁えた発言をした。これは非常に驚嘆すべき事や。主イエスがギリシア人の女に言わはった「子供たち」とは、血統イスラエル人を指す。なぜなら、聖書では、明らかに主なる神はアブラハム、イサク、ヤコブ(イスラエル)の子孫、つまり、血統イスラエル人の十二部族出身の者とそうでない異邦人(外国人)とを分けて考えてはるからや。神である主イエスもこの認識でおり、血統イスラエル人こそが最初に満たされるようにと優先順位を設けてることを話しはり、加えて、血統イスラエル人に与える筈のものを子犬たる異邦人に投げ与えるのは適切ではないとも言わはった。これは即ち、主イエスは血統イスラエル人と異邦人を同等の扱いをしてへんことを明示してる。異邦人は、子犬扱いであり、人ですらないし、食べ物も投げ与えるという扱いです。聖書読者は、こういう目立たぬ点も見逃さず、きちんと読んで理解せないかんで。この主イエスの御言葉を多くの人間は、異邦人への配慮から、「そんな酷い意味な訳がない」と勝手に思い込み、結果的に曲解するに至る。かように、人間的な配慮、「政治的正しさ(political correctness)」を考えて、神の御言葉を文字どおり素直に受け取らず、異なった意味に捻じ曲げ、無理やり別の意味にこじつける。かように、不信仰の人間やパウロ教信者だらけの世の諸教会どもは、もれなく悪い行いをしており、神の御言葉を直視せず、神の御意志を理解することから逃げて、偽りを信じ込む。せやから、救われへんのや。
拙者が、真の聖書福音と預言を日本語で書いたり編集してるのは、血統イスラエル人である日本人向けにしてるからであり、主イエスの御言葉どおりにしてるからや。それなのに、多くの日本人はそれを理解せず、反抗してきたり、中傷したりしてる酷い有様や。そして、外国人も同じように無関心で、拙者のブログや動画に注目することもなく、聖書の真理への熱心さや渇望が感じられず、拙者に有意義な質問をしてくるでもないし、当ブログや動画を各言語に翻訳して拡散して伝道することもない。当該聖句のギリシア人の女とは、えらい違いやで。それだけ現代人は滅びるべき不信仰者が多過ぎるということや。現代では、血統イスラエル人が取りこぼした、下に居る異邦人が必死に救いを獲得しようと熱心な者も見られへん。この聖句で書かれてる点で注目すべきなのは、「食卓の下の小犬たちは、子供のパン屑から食べます。」という箇所や。異邦人は、血統イスラエル人という人間の子供として表現されず、人間よりも格下の子犬の扱いなんやから、人間の食卓に与る立場にないため、直にパンを食べることが出来ず、食卓から子供が落としたパン屑を食べるしかない、即ち、天国には不適格となった血統イスラエル人が取りこぼした分のおこぼれに与るしかない。それだけ神にとっては異邦人の立場は低いということを理解せねばならん。異邦人は、血統イスラエル人と同じ土俵に立ってる訳やなく、同等の立場にいるのではないと弁える必要がある。これに対して憤慨するようでは救いは絶望的や。何人として生まれるかは、人間各自が決めることが出来ず、神の自由な選びによるんやから、神を畏れるならその神の御采配に反抗するのは有り得へんやろ。あのギリシア人の女のように、血統イスラエル人と同列ではなく、それよりも下であるという立場を受け入れた上で、謙虚にそのおこぼれに与るということであれば救われ得るということです。すべての異邦人はこれを見習い、当ブログや動画から学んで、反抗して聞き入れへん大勢の血統イスラエル人(日本人等)のおこぼれに与ろうとすべきや。そして、血統イスラエル人の末裔たる一部の日本人は、さっさとこの悪い世俗社会の多数派に倣ったり従う生活をやめ、西洋かぶれもやめ、紙媒体の聖書を持ってへんのなら急いで買うて読み、当ブログや動画から学んで、真のキリスト者になるように努力すべきや。今後も悔い改めを先延ばしにしてると、ほんまに手遅れになり、どうしようもない事態になるだろう。
日本人の一部は、この血統イスラエル人であることを当ブログ過去記事や動画で示したとおりで、日本人が聖書や律法と無関係ではないどころか、大いに関係しており、日本人の律法違犯の罪によりその呪いと言えるような悪い出来事が次々と起こっており、為政者も庶民も不法行為を行い、愛が冷え、外国人がどんどん流入してきて侵略されそうになってるやろ。それでも、日本人たちは、二千十七年(聖書暦では二千十六年末頃)から伝道し続けてる拙者の警告を無視し続け、頑なに認めようとせず、好き勝手にし続けてる。その結果は、当たり前やが、滅びる以外に無い。折角、神に愛されたイスラエル人の血統に生まれたとて、神との契約を守らねば、救いを得ることはでけへん。聖書を読み、主イエスを真心から信じて神の律法を守る生活をすれば救われるのに、それをせずにみすみす滅びるなんて非常に勿体無い。不信仰であったり異教信者である日本人は、自らその特権を手放しており、たった一回の食事のために長子の特権を手放したエサウのようや。エサウとは、ヤコブ(イスラエル)の双子の兄であり、その出来事から「エサウのようになるな」と聖書(ヘブライ十二章十六節参照)で書かれてるとおりやが、エサウのようになってる日本人やその他の血統イスラエル人の末裔が非常に多い。無知やからという理由で許されることではない。自ら調べようとせず、神や真理を求めようとせず、聖書を勉強せずに自ら無知で愚かで在り続けることを選んでるんやから、その事自体が有罪となるべきやからや。
反対に、異邦人は、血統イスラエル人ではないさかい、神から特別に愛されてる訳やない。ただ、この仮の世を支配する悪魔に好都合なために異邦人が重用され、金持ちになったり、社会的地位を得たり、繁栄してるかのように錯覚してるだろうが、一時的でしかなく、いずれ終わりを迎える儚い幻想です。上記聖句のギリシア人女のように、序列を弁え、へりくだり、神の律法や秩序を守り、パウロ教信者にならず、真のキリスト者になれば救われる可能性はある。地獄行きを免れる唯一の手段です。この世で金持ちの人や権力を持つ人に憧れたり、追従してる場合やないで。また、多数派に紛れたり、多数派の一員になって安心してる場合やないで。
なお、服装について過去記事で度々言うてきたとおり、血統イスラエル人か異邦人かを問わず、これは断じて軽視すべき点ではない。和服を着る西洋人は非常に希少で、過去記事「偽使徒パウロの反キリスト教義 一」で紹介したとおり、ごく少数やけど居てる。しかし、彼女らは神の律法を知ってて着用してる訳でもないし、房も付けてへんさかい、主イエスの信仰がある訳でもないやろから、現状から変わらなければ残念ながら救われへん。しかし、主イエスの信仰を持って房付きの和服を着て、その他の掟にも従い、分を弁えて慈愛あるええ行いをする人であれば、救われる可能性がある。
余談だが、巷で噂になってる「をのこ草紙」という江戸時代の予言書があり、これについて軽く見てみたことがある。全部が正しいとは思わんが、そこそこ現代日本に合致する部分があり、少し引用したいと思う。そこには、「女は髪短く色赤黒く、袂なき衣も着、淫りに狂ひて、父母をも夫をも其の子をも顧ぬ者多からん。」という一節がある。実際、現代では多くの愚かな日本人女は性的に乱れ、婚外性交を行う不貞の輩が激増しており、父母を軽んじ、結婚しても夫を主人として敬わず、子供を産んでも適切に教育したり養育しようとせず、必要な事を蔑ろにしながら自分自身の美容や趣味等に関心を持ち続け、テレビやスマホに夢中になって必要な勉強(聖書等)をせずに白痴で在り続け、政府等の世の権威に従って問題を起こす者(マスク着用者やワクチン接種者等)も激増してる故、間違った記述ではない。もっとも、これは女だけやのうて男も同じであろう。そして、「袂なき衣も着」という箇所に注目すべきや。袂とは、和服の長い袖部分のことを指し、それが無い衣を着てる、即ち、洋服を着てるという指摘があり、まさに西洋かぶれが進んで洋服を着る者が増えた戦後の現代日本人を指してると言えよう。江戸時代には「洋服」という言葉も物も存在せえへんかったため、そう表現せえへんかった。そして、これは悪い行いについての指摘である。せやから、洋服を着ることを良しとしてはならんのや。また、同書には「万づ南蛮の風をまねびて、忠孝節義はもとより仁も義も軽んぜられぬべし。」という記述もある。南蛮とは戦国時代の日本史を学習したなら周知の事実で西洋を指し、西洋かぶれしてる者は、人として大事な忠孝節義や仁義も軽んじてると警告しており、まさしく昔と比べてかなり堕落した現代日本人のことを指し、そのとおりになってる。現代日本社会の悪化の根源は、西洋かぶれにあると拙者が何年も前から警告してきたとおりや。かように、聖書のみならず、色んな先人の書物には西洋かぶれの悪さ、愚かな現代人への警告や悔い改めの勧告がある。それなのに、巷には単に再生回数稼ぎのためにユーチューブ上で嬉々として動画を投稿したり、ブログ記事を書いて掲載してる愚か者も多い。かような警告を見聞きしておきながら何も学んでおらず、西洋かぶれをやめようとせず、洋服をやめて和服を着用せず、今までの自らの愚行を反省もせず、行いや生き方を変えへんのやから、その人ら自身が滅びる側の人間になってるという理解が無いのは狂ってると言う他ない。聖書や当ブログや都市伝説や噂話だけ興味本位で見聞きして終わりで、自分の言動や服装や生き方等を変えへんのなら、ほんまに何の意味も無いで。聖書で主イエスが教えはったとおり、最重要なのは、悔い改めやからや。各自がこれまでの西洋かぶれの生き方や言動を悪かったと反省し、自分の言動や服装や生き方等を変えなあかんのや。今までの生き方や言動等が悪かったと思わへん人、反省せえへん人、変えることがでけへん人等は皆、滅びる。
異邦人は、上述したとおり、救いの序列を理解し、分を弁えることが出来る人ならば、主イエスに認められ、願いも受け入れることは上記聖句の「そこで、(イエスは)彼女に言わはった。「この言葉故に、行きなはれ。悪霊はあんたの娘から出た。」そして、(彼女が)彼女の家に戻って来たら、悪霊が出て行って、寝台の上に投げ倒されてた娘を見付けた。」から分かる。主イエスは、「食卓の下の小犬たちは、子供のパン屑から食べます。」という、ギリシア人の女の言葉を受け入れはった。なぜなら、異邦人である彼女が救いの序列を理解し、分を弁えてへりくだった言葉を評価したが故に、彼女の娘を助けはったんや。先のギリシア人女は、心からそれを理解して受け入れてる事が分かる。なぜなら、主イエスは、人から出る言葉の表面的な事を評価しはらず、心を見透かし、本心からそれを言うてるのか、それとも口先だけで心が伴わへん嘘なのかは見分けることが出来はるからや。主イエスがあのギリシア人女の願いを聞き入れはったということは、彼女の言葉に嘘は無かったということや。この事実や事情を無視して、異邦人でも当前のように血統イスラエル人と同等に救われると思てたらあかんで。かように言うのは、口先だけで謙虚かのように偽装しようとするような嘘つきの邪な人間を排除するためや。実際、この世には建前と本心と分けてる二重人格の嘘つきが非常に多いさかい。口先だけ「理解した」と嘘を言うたり、表面的に謙虚かのような物言いや丁寧な話し振りをしたところで、本心がそうではない場合、主イエスはそれを見透かしはり、その者を認めることも救いはることもあらへんからや。
世の諸教会では絶対にこの事を教えへんやろ。上述したとおり、西洋人は傲慢な人間が多く、不信仰者(パウロ教信者を含む)も多いさかい、自分らが至高で正しいかのように思い上がって悔い改めへん者が多く、謙遜の欠片も見られへんのが多いさかい、救われるのは非常に困難と言えよう。しかし、現代日本人も他人事ではなく、西洋かぶれしてるせいで西洋人と同じように傲慢な愚か者が多く、神を畏れず、主イエスを信じず、神の律法を守らへんなら、同じように滅びるだろう。また、古代イスラエル人の末裔の血統イスラエル人だとしても、その事を鼻に掛けて驕り高ぶるものも間違いやし、不信仰であったり、世の権威に従順で、偽使徒パウロを信じて神の律法を守らへんようなら滅びるさかい、気を付けるべきや。
そして、巷では、白人の偽ユダヤ人を聖書のイスラエル人と看做し、それ以外の民族は日本人を含め皆が異邦人であるという嘘もはびこってるし、偽使徒パウロの反キリスト教義や偽福音もはびこってる。せやから、ほんまに世の諸教会の自称聖職者どもの言う事なんか聞いてたら騙されて滅びるさかい、気を付けなはれ。拙者が動画「真の聖書福音と預言 【第八回】日本はイスラエルである Bible, Jesus Christ, The true biblical Gospel and Prophecy」(BitChute)や過去記事「現イスラエル国家は聖書のイスラエルではない」で説明したとおり、また、その動画内で紹介した過去の有識者も言うたとおり、現代の中東のイスラエルは偽物であり、銀行をはじめとする金融機関を支配するロスチャイルド家が中心となって意図的に建国したに過ぎず、ハザール人の末裔である東欧系白人がユダヤ人と自称してるに過ぎひんからや。
最後に、読解力が無い人に向けて誤解のないように注意しておく。救いの序列において、異邦人が血統イスラエル人(一部の日本人を含む)よりも下であることは、拙者個人の意見や感想ではなく、聖書が示してること、即ち、神の御意志及び秩序であるということです。本記事に限らずやが、拙者はいつも聖書で示されてることを解説してるのであって、拙者個人の勝手な思い込み等を書いてるのではない。それなのに、拙者の感想、妄想、教祖の教義等と厚顔無恥の愚か者どもが誹謗中傷してきます。かような事を考えたり言うたりするんは、ほんまに裸で外を歩く以上に恥ずべきことで愚かやさかい、絶対に今後やめるように。これからのことを思えば、依然としてそないな愚行をしていれば、挽回する時間も機会も失い、救いを完全に失い、地獄で永遠の責め苦を味わうことになるだろうからや。
この世がおかしい、悪人や悪い出来事が多過ぎるって、拙者のブログや動画を見れば嫌という程、分かるやろ。この世に期待するんはやめましょう。手遅れになる前に聖書を読んでこれまでの言動と心の中をも改めて、万物の創造主であり、唯一の救い主(メシア)であられる主イエス・キリストに立ち返りなはれ。主イエスへの信仰と、キリストの再臨という希望と、愛を持って完全な者となれるように日々大切に生きましょう。一人でも多くの人が救われることを願っています。
以上